ダメなハラスメント定義を切る

ナルシストランス宣言について

http://www.geocities.jp/rits_queer/関連のお話ですにゃー。
この話題については、トランスジェンダーとからだ - キリンが逆立ちしたピアスあたりが見た範囲ではまとまっていると思いますにゃ。


これについては「見てないから何ともいえにゃー」が基本ですにゃ。とはいえ、「ナルシストランス宣言」のコピーを読むに、ちと違和感があるんですよにゃ。

  • 一般的に、自分の身体を忌避、嫌悪するとされている「トランス」(性別移行者・性同一障害者)

とあるのだけれど、マイノリティ差別にはほぼ必ず「自分の身体を忌避、嫌悪」させるような圧力が働くものなのですにゃ。人種差別において身体性が直接的な問題となることはすぐにわかりますよにゃ。若い女性に比較的多く見られる摂食障害も身体性と抜き差しならない関係にあるとされていますにゃ。被差別部落差別においては「血」のことが問題とされ、在日差別においては「キムチ臭い」などの言葉が投げ掛けられる。差別と身体性は、そもそも切り離せるようなものではにゃーんだよな。


最近書いたエントリ


例えばメリケンの黒人による反差別運動において、"BLACK IS BEAUTIFUL !"というスローガンが意識を転回するうえで一時的に有効であったし必要だったことを認めるとしても、あくまでそれは一時的なものでしかにゃーことも確かなことですにゃー。今でもメリケンの黒人が"BLACK IS BEAUTIFUL !"なんて抜かしているようでは、オバマは大統領になれなかったはずだにゃ。

と書きましたにゃ。
「トランス」による身体性の誇示というのは、"BLACK IS BEAUTIFUL !"と同位相なのではにゃーかという疑問がありますにゃ。運動としてのクィアは、このあたりはもうとっくに通り過ぎたものだと思っていたにゃんが*1


もちろん、「トランス」の場合は身体性が特別な意味を持つということはわかるつもりなんだけど、それが自分たちの特別視オンリーとか特権化につながっちゃまずいわけですよにゃ。いろいろと戦略的に練らなければならにゃー展示だということは間違いにゃーだろうね。
そのあたりのビミョーなところは実際に見にゃーとわかんにゃー。


こうした試みに批判的な言説がおこること自体は健全なことだろうにゃ。自治会の対応にはまるで納得できにゃーけどな。

ここで問題にしたいこと

さて、ナルシストランス宣言そのものについては上記くらいしか言えることはにゃーです。
こうした展示(しかもラウンジに展示されたとのこと)に不快感を示すヒトがいるのはアタリマエではあるだろうにゃ。
とはいえ、ここで問題にしたいのは、性は「社会的」なもの。だからこそそれは「社会的」に表現されなければならない - あままこのブログなどに典型的に見られる不快感至上主義にゃんね。id:amamakoは、昨年末のイースト氏の南京事件問題で発言したのだけれど、コメント欄でのツッコミや送られたトラバに無視を決め込んだ前歴のあるお方ですにゃ。自分は応答をしなかったくせに、はてなサヨクをジッパヒトカラゲにして矛盾があるけど応答してみろとか抜かすとっても痛いダブスタくん。
イースト氏のようなダメポモを応援するだけあって、ダメ相対主義的言説をハラスメント・差別の問題に持ち込んでいるので、ここで叩いておきますにゃ。

id:PledgeCrew セクシャリティ, 話が違う 職場に扇情的女性が置かれるのは男性による性的消費のため。同じではない。

に沿って、次のような発言をしたらどうだろう。「僕は純粋に芸術的*8な視点からこの写真を置きたいんであって、性的な意図なんて一切ないんだよ。むしろ性的な意図を想起する君の方がおかしいんじゃないの?」と。


セクハラであるかの基準を、「相手が性規範を押し付けようとしている」という"意図"の問題にする限り、こういう言い訳はどこまでも出来るし、そしてそれらの言い訳は反駁できない。だって、相手の心の内は相手にしかわからないんだから。ついでに言うならば、別にどんな意思を持っていたとしても、それを行動に移さない限りは、それは摘発されないし、気づかれない以上悪いことではない。ある人を目の前にした誰かさんが、そのある人について幾ら妄想したとしても、それがある人に気づかれない限りは、そのある人に害は与えないし、そもそも気づかれもしないから告発も出来ないだろう。


しかし、そこでもし告発できるとするならば、それは、その意図が"行動"に出たからである。つまり、妄想を口に出した(例えば「女はきれいでなくちゃ」と発言したり)とか、そういうことである。そして、何故それが非難されるかといえば、その発言の意図はともかくとして、その発言が他者を不快にさせたからである。つまり、問題はセクハラをした側の"意図"ではなく、された側の"気持ち"の問題なのだ。


そう定義するならば、如何にid:K416の説明がおかしいか分かるだろう。「自分はこういう性の持ち主である(で、こういう性の持ち主を承認をしてほしい(≠お前らもこうあれ))」って声を上げることというが、相手に対して声を上げることが、相手にとって自分のセクシャリティを踏みにじられたような不快を与えれば、それは立派なセクハラなのである。


http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090125/1232840040


ナニ? このダメダメセクハラ定義・・・・
これのどこがダメか検討してみましょうにゃ。

ハラスメントとは何か?

セクシャル・ハラスメント、モラル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメントなど、ハラスメントにはいろいろあるけれど、これらの基本はパワー・ハラスメントですにゃ。権力差を背景にしたものなのだにゃ。
そして、ハラスメントとはしばしば「女性、労働組合員、民族など」の社会的カテゴリーを対象にすることがあり、その意味では立派な差別問題だにゃ。
ハラスメントの背景には構造的な権力があるのですにゃ。そうでなければ、それは個人的不快感なのだにゃー。


「問題はセクハラをした側の"意図"ではなく、された側の"気持ち"の問題なのだ」
然り。
気持ちの問題を軽視するつもりはまったくにゃー。
しかし
彼の議論には「気持ち」しかにゃーよな。これではとんでもにゃークソミソ相対主義を招き、マジョリティの暴力を是認することになりかねにゃー。


例えばそれは同性愛嫌悪を肯定するだろ。
「ホモは不快。気持ち悪い。ホモは目につかないところで、ひっそりと生きてゆけ。ていうか死ね」
例えばそれは民族差別を是認するだろ。
チョゴリの娘を見た。日本という国が踏みにじられる気がした。日本が嫌ならでていけ」


「問題はセクハラをした側の"意図"ではなく、された側の"気持ち"の問題なのだ」
【だけ】なのであれば、多数派の「気持ち」「不快感」で少数派をいくらでも追い込めるよにゃー。
id:PledgeCrewのブクマコメにおける指摘は、以上に僕が述べたような観点を内包したものだったと考えられるけれど、そうした構造的差別を意識した指摘に対して「気持ち」【だけ】に矮小化した応答をするとはまったく救いがたい。
ダメポモは差別主義者の狗ですにゃー。

何のためのガクモンか?

繰り返すけど、「気持ち」は大事な問題だにゃ。
しかし
「気持ち」だけではハラスメントも差別も成立しにゃーし、してはならにゃー。


少数派・被差別者の切実な「気持ち」に、構造的な権力関係を見出して、それがハラスメント・差別であると立証し、サポートするのがガクモンの仕事だにゃ。
人文・社会科学系のガクモンは、リアルにニンゲンの「気持ち」を掬うものだにゃ。クソミソ相対主義虚無主義に毒されてはいけにゃー。

結論

  • 「ナルシストランス宣言」の展示は、「不快」であったかもしれないが、セクハラではなかった(と推測する。見てないから断言できにゃー)
  • 気持ち【だけ】を基準としたハラスメント(あるいは差別)認定は間違いであり、危険である
  • ヒトの「気持ち」を掬いとるのがガクモンだ

*1:もちろん、個々人にとっては自らの身体性の肯定という過程は必要