コンビニエロ本問題を考える(続

承前

公共と公権力は異なる。公共性の主張を公権力の押し付けと混同する誤解は後を絶たず、とりわけ自由主義を主張する一部の人たちにこの混同が甚だしい印象がある。しかし、本来の公共性は公権力から私的自治を守るための盾となるものである。公共性の歴史的な経緯を簡単に追うところから始めよう。


歴史的には公共空間というのはカフェ、コーヒーハウスから起こってきたというのはよく知られている。基本的には私的領域にありながら、不特定多数の人が出入りし、種々の議論を行い、公的領域と私的領域の中間領域として公権力と対峙しうる言論空間が発達してきた。これが近代における公共というもののおこりである。
多様な市民が参加する言論空間をそのおこりとした公共においては、身分や階級などを考慮せず、公正公平に扱うことが求められる。普通選挙制というのは、こうした意味での公共性が公権力に浸透していったことの一例であろう。行政や立法などの政治的な意思決定においても、公共性の要求する公正公平の原則が求められるようになり、自由民主主義政体として結実し、それが公権力の原理ともなって憲法にも明記されたわけだ。無論、表現の自由をはじめとした数々の自由権もこうしたものである。


公共性を公権力が典型的に担っている現代社会に生きる僕たちはとかく誤解しがちなのであるが、公共性というものは公権力から押し付けられたものではないし、ましてや自由の敵対物ではない。不特定多数が出入りする私的領域から公権力に突きつけられ、公認の原理として認められたものなのである。自由・平等・博愛をはじめとした自由民主主義の諸原理は、公共性を母体とする兄弟姉妹であるといえる*1


したがって、利便性よりも理念がまず求められるのが公共なのである。私的領域においても不特定多数が出入りするのなら、考慮されなければならないのが公共なのである。公共空間においては特定の属性を持つ人に高いコストを負わせることは妥当ではない。例えば公共空間においてバリアフリーが進められるべきのはそういう理由である。
理想的には、人種や民族はもちろんのこと、趣味嗜好・思想信条・セクシュアリティジェンダーなどにおいて中立であること、ニュートラルであることが求められる。ま、あくまで理想であって現実にはなかなか難しいのであるが、目指す方向はそちらであるわけだ。


以上のような理由で、前回論じたエロの攻撃性という論点を抜きにしても、公共空間でのエロの提示は認めがたい。
また、公共性というものをなるべくオーソドックスにまとめてみたが、これはリンクした青識氏の公共の捉え方、公共という語の用法についての包括的な反論にも結果的になっていると考える。

さて、次の問題は、コンビニにどれくらいの公共性があるかということである。
不特定多数が出入りする場所には原則的に公共性が発生し、現代社会ではもっとも公共性が強く求められる空間は役所や学校などである。少人数が出入りする居酒屋やスナックから自治体や政府の議会まで、公共性はその「濃度」を増していく。


コンビニと同様の小売業が担っている公共性、規模というのは同等の店舗面積や売上高の店舗が満たすべき基準、立地は都市計画等との関連性において同様の施設に要請されるものを満たしていればよいだろう、ということです。


https://twitter.com/dokuninjin_blue/status/924576232179503105


コンビニは同程度の規模の他の小売業(本屋とか八百屋とかだろう)と同程度の公共性しか有さないと青識氏は主張しているが、そのあたりを検討してみよう。
ただ、公共性というものを定義することは難しい。
ニセ科学批判に携わっていたものとして、定義や線引きの泥沼にはまることは特に警戒するところだ。科学的かどうかは単純に0か1かで割り切れるものではなく、グレーな領域がある。科学を特徴づける判断指標はいろいろあるが、その中のひとつひとつが決定的な意味をもつわけでもない。例えば、反証可能性の有無は決定的ではないが、他の指標と組み合わせていわばチェックシートのように「濃淡」を判断することはできよう。決定的な定義はなくとも、有力な指標は複数あるということだ。
コンビニの公共性を考えるにあたっても、こうした判断のありかたを採用したい。「これが公共性だ」という決定的な要素はなくとも、公共的であると認められる要素を多く持っていれば、総体としてコンビニは公共的な空間であると言えると考える。では主だったところを個別に確認していこう。

  • 24時間営業と治安維持への協力

24時間で小売業を営むというのは、犯罪発生率の高い場所では危険なことである。24時間営業というのは、治安のよさという公的な資源を存分に活用した営業形態であるといえよう。関連して、コンビニはセーフティステーション活動(SS活動 http://ss.jfa-fc.or.jp/article/article_1.html )の拠点ともなっている。SS活動は警察庁からの要請として始まったようだ。これは治安維持に多くを依存するコンビニ側としては警察庁からの要請を断りにくいこともあるだろうが、治安維持そのものがコンビニの営業の前提であることを考慮すれば、コンビニ側にも大きなメリットがあると考えられる。

  • ATMの設置、税金・公共料金支払いの納付など

前述の治安のよさ、警察との協力といった安心感を前提として24時間使用できる店内ATMの設置が可能となる。このATMでの手数料はコンビニ関連産業のドル箱のひとつで、例えばセブン銀行の収益の93%は提携金融機関からの手数料だとのこと。また、公共料金や税の納付も可能となっている。金融機関の出張所にちかい機能がある。
公共料金や税の支払いというのも、なにも自治体などからコンビニに押し付けられたものではない。コンビニ店内というのはマーケティング理論や心理学などの知見を総動員した衝動買い発生装置であり、公共料金手数料は少額であったとしても「ついで買い」が発生することが見込まれる。
マーケティング理論には「おとり商品(ロスリーダー)」というものがあり、それ自体で大きな利益は見込めなくとも集客効果のある商品を扱うというのは、経営上合理的な行為である。また、この「おとり商品」は店舗のイメージ形成にも資するそうだ。「おとり商品」として公共料金や税金の納付を捉えると、1)非常に広範な集客が見込め 2)安心堅実な店舗イメージを形成し 3)しかも在庫を置く必要がなく棚も専有しない という実に理想的なものになるのではないか?
また、とにかく店舗への出入りが多くなることで、さらなる集客や治安維持にも貢献することにもなる。コンビニ経営のキー戦略のひとつといえるだろう。

税金の納付だけでなく、戸籍や納税証明などの交付がコンビニでできる自治体もいくつかある。また、食料品・日用品などをコンビニでストックできることから、コンビニと防災協定を結ぶ自治体も増えている。防災協定を結ぶことで、災害時にコンビニの流通車両が指定許可車両になるなど、コンビニ側としてもメリットは大。緊急時に優先的に商売ができるわけだ。また、この災害時の協定が発展して、地域特産品の販売促進なども含む包括提携協定を結ぶコンビニと自治体も増えているようで、香川県など県単位での協定まである。

  • 宅配便というインフラの取り扱い

ヤマト運輸が始めた個人消費者相手の運送業は、社会インフラといいえるまでに成長した。20世紀後半に日本でおこった最大の成長をしているビジネスとして、携帯電話・ネット関連・コンビニ・宅配便が挙げられるだろうが、いずれも高度なインフラを前提としつつ自らもインフラとなり、さらにこうした新興インフラが相互に依存して成長しているわけだ。
この新興インフラである宅配便の最大の窓口はコンビニである。相互依存で非常に合理的な流通網を形成しているようでもあるし、コンビニとしては前記の「おとり商品」の役割も果たす。

  • 社会インフラとしての自任

各項目でも触れていることであるが、上記の公共性に関連したことは警察や自治体に一方的に押し付けられたものではなく、コンビニのビジネスとしても重要な役割をもっていることを理解しておく必要がある。
これらの特徴は、治安の良さや流通網の整備、情報網の発達などのインフラ整備を前提とし、また自らもインフラ化していくことで安定的な収益をとるビジネスモデルをコンビニが採用しているということを意味するだろう。新しいインフラを立ち上げることができれば、大規模かつ安定性の高いビジネスの継続が可能となる。実際に、日本フランチャイズチェーン協会は2009年に「社会インフラとしてのコンビニエンスストア宣言」というものを出している。


コンビニエンスストア業界は、今や売上高7兆9,000億円、店舗数4万2,000店を超え、関連する工場や物流会社を含め 130 万人を超える雇用を創出するなど、その経済的規模、社会的責任の大きさにおいて、流通・小売産業の中でも重要な位置づけを占めております。同報告書においては、コンビニエンスストア業界が社会的責任に対応する上での4つの課題として、1.環境  2.安全・安心  3.地域経済活性化  4.消費者の利便性向上、を掲げ、また、課題に取組むための 3 つの視点として、1.本部・加盟店間での持続的な発展のための関係構築  2.コンビニ各社の競争と業界としての協働  3.行政との役割分担・連携、を指摘しております。


http://www.jfa-fc.or.jp/misc/static/pdf/090528.pdf

  • 子どもの立ち寄れる空間

こうした多方面におけるインフラ化の結果として、例えば子どもの立寄りなどの敷居も低くなっている。欧州やメリケンにも飲み物や雑誌などの多品目を扱う雑貨屋のようなものはあるようだが、子どもが気軽に立ち寄る空間ではないようだ。セーフティステーション活動の拠点として、子どもや女性の駆け込み場所となっている。子どもがコンビニに立ち寄ることは禁止されているどころか、状況次第では公的に推奨されているということになる。これも日本型コンビニの特徴といえようし、子どもの立寄りが推奨されているということは、その空間の公共性が「濃い」ことの指標ともいえる。

  • まとめると

治安、流通網、情報網などの社会インフラに多くを依存し、また自らもインフラであることを宣言しているコンビニという業態。もちろん、インフラというのは公共性の典型である。警察や自治体といった公的な機関との協力・提携を行い、金融機関の機能を持ち、犯罪防止の駆け込み場所となっているコンビニという業態。8年前の時点で売上8兆円にせまり、店舗数は4万をこえ、130万人以上の雇用を創出し、社会的責任を自任し、行政との役割分担を指向する巨大なフランチャイズというコンビニという業態。このコンビニが同じような規模の他の小売と同じ公共性しかないという主張は問題外である。コンビニは公共性に依存し、公共性を収益源とし、また自らも公共性を担っていく新興インフラビジネスモデルの典型といえる。

前回はいわゆる「公然わいせつ」と「わいせつ物頒布」とを切り分け、公共の場におけるエロ提示の攻撃性を述べつつ、わいせつ物頒布の非犯罪化を主張し、同時にゾーニングの意義を再確認した。特に「見たくない人の権利・青少年保護」が言われているときに求められているのはゾーニングであることは強調したい。
今回は公共性というものを歴史的に確認し、次に青識氏の主張を批判的に検討しつつコンビニのビジネスモデルは公共性が色濃いものであり、いわば「新しい公共」といいえることを論じた。コンビニがこれだけ公共セクターに食い込み、多くの自治体と包括業務提携を結んでいるということは、自治体とコンビニは単なるお上と民間企業の関係ということはできない。両者は関係のふかい提携相手同士であるということはコンビニエロ本問題を考える上で重要な前提であるが、この前提がほとんど共有されていないように感じる。
次回は、コンビニにおけるエロ本の現状と今後について述べることとする。(さらにつづく)

参考書籍:

「公共性の構造転換」ユルゲン・ハーバーマス
「公共圏という名の社会空間」花田達朗
「公共空間としてのコンビニ」鷲巣力
「コーヒー・ハウス」小林章夫
公共圏について知りたい方は、上記にあげたうちでは「公共圏という名の社会空間」がおすすめであるが、ざっくりと知りたい向きは花田達朗氏の講演録がウェブ上に公開されているので一読を。以下にリンク。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm

*1:憲法に明記されている「公共の福祉」は以上のような歴史的観点から理解されるべきと思う