「正当な差別」? なにそれ?(再追記あり)


承前

上記の増田は非論理的であると考えるが、ブコメをみるとやけにもちあげる意見が多く、苦笑いしている。簡単にだが、増田の非論理性を説明しておく。


増田は結論部で以下のように発言している。


「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と正当な(というよりも、現今の環境下では許容せざるを得ない)差別は外形上区別できない。


増田は女性専用車両は「正当な(というよりも、現今の環境下では許容せざるを得ない)差別」であると考えているようだ。ところがこの論理が日本語としておかしいのである。
国語辞典を参照してみよう。

差別
[名](スル)1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

デジタル大辞泉



( 名 ) スル
1 ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる−なし/十和田湖 桂月」
2 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること
大辞林 第三版


いずれもこの文脈では(2)の意味であるが、ここでポイントとなるのは「不当に」「偏見や先入観などをもとに」という意味が「差別」という言葉に内包されていることだ。「偏見や先入観」も不当なものといえるので、(2)の意味で使われる「差別」という言葉はその語義に「不当性」という意味を抱えているということである。
ここで、「差別」という言葉を大辞泉にならって「不当に低く取り扱うこと」と言い換えてみると、「不当な差別と正当な(というよりも、現今の環境下では許容せざるを得ない)差別」という言い方自体がおかしなものになることは明らかであろう。「正当な「不当に低く取り扱うこと」」ってなんだよ? おかしいだろ?


検索すると、この「正当な差別」という語義矛盾まるだしの言い方が結構はびこっているようである。推測であるが、「不当な差別」という「頭痛が痛い・馬から落ちて落馬した」のごとき言い方がまず蔓延し、そこから「正当な差別」という非論理的な言い方ができてきたのではなかろうか?
(追記:英語のdiscriminationには不当性という意味合いが内包されていないようである。例えば、プログレッシブ英和中辞典によると、a man of discrimination で「違いのわかる男」みたいな意味になるようだ。したがって、不当性を明らかにしたいときには、unjustなどの形容詞をつける必要がありそう。unjust discriminationをそのまま訳すと「不当な差別」となる。「不当な差別」というおかしな言い方が日本語に定着したのはこのあたりも一因かもしれぬ)


「差別」という言葉には不当性という意味が内包されているので、憲法や労働法などにおいて差別は禁じられている。女性専用車両は裁判においても違法性を棄却されており、これは単純に言えば「不当じゃないから差別じゃないよ」ということである。
増田の議論はかえって混乱を招くだけではあるまいか?


以下、増田が僕のブコメに応答しているので再応答

tikani_nemuru_M 増田も結論部で「不当な差別」と「許容せざるを得ない差別」を分けている。ならば、前者を「差別」後者を「差別ではない」と言ったほうがシンプルで、子供にも説明しやすいだろう。よって増田の主張は不適当。

でも、それだとその2つが連続的な、同質な行為だということが理解できなくならない? 私は、子供に「男性の痴漢が多いから男性の入れない女性専用車両がある。これは差別ではない」と、「○○人の犯罪者が多いからといって○○人を排斥しようとするのは、不当な差別だ」ってどう違うの? って聞かれたら答えに詰まると思う。だってどっちも、一握りの犯罪者をもとにある集団を推し量る、っていう同じ行為じゃない。だったら、どちらも差別と認めた上で、差別を漸減させていくために何が必要かって話にした方がいいんじゃないの?
それに、2つを別々の言葉で扱うことは、片方を「あって当然で、解消しなくていいものだ」と捉えることにもなる。そうじゃない。痴漢が撲滅され、女性が何の不安も感じずに電車に乗る日が来るなら、女性専用車両なんて必要ない。それはあくまで、日常的な性暴力の脅威に対抗するために、やむを得ず認められている差別にすぎないんだ。それは差別と認識されるべきだ。いつかその存在が正当化されなくなる日が、目標にされるべきだ。私はそう思う。


女性専用車両と特定民族の排斥は形式的には地続きの面はある。しかし、増田もよく理解しているように、両者には正当なものか不当なものかという違いがある。僕たちが目指すべきなのは「不当なことを減らす」ことである。差別という言葉に不当性という意味が内包されているのだから、差別=不当な取り扱いを減らす・なくす、でいいんだよ。
性差別をなくしていくことで女性専用車両という措置・配慮が不要になればよいという増田の方向性には強く賛同する。



(再追記でブコメに応答)


id:crowserpent
女性専用車両の是非自体とは別の問題として、「一定の合理性があれば差別でない」という理路はダメだと思う。「合理性」と「正当性」を区別せずに扱うのはおかしい。/参照:http://macska.org/article/184


これは応答の必要がある。おっしゃるとおりです。
憲法学における「合理的な区別」の議論が頭にあったので、合理性という言葉をつかってしまいました。いちおう、言い訳をしておくと、憲法学における合理性というのは経済的な合理性ではなく、憲法的諸価値を実現するための合目的的な合理性ということになります。しかしそもそも僕は一般的な語法・語感の点から増田を批判しているので、憲法学におけるタームを持ち出すのは不適当でした。



あと、追記の間違いを指摘していただきありがとう>id:tick2tack
正当性と合理性まわりでやらかしてしまいました♪


他は特に応答の必要はなさそう。
増田は許容できるものと許容できないものの2つを措定しているので、それをどう呼ぶかはいわば神学論争あるいは言葉遊びであり、言葉遊びをしかけたのは増田のほう。憲法まわりなどで差別を禁じる条文が周知されている以上、よほどのメリットがなければ増田の語法を採用するのは混乱を招くだけ。
というか、女性専用車両が差別ということになったら、「女性専用車両反対運動」を正当化するという効果がでてきてしまうわけよね。本来の増田の理路であれば、結果的に女性専用車両がいらなくなる状態を目指すべきということになるはずが、性犯罪に対抗するためのやむを得ない措置そのものに反対することを正当化してしまうという大きなデメリットまである。だから、必要悪だろうがなんだろうが、許容できるものであれば差別と呼ぶべきでないという話である。
よって言葉遊びとして対処するのが適当なので国語辞典で語義矛盾を指摘すれば十分だろう。