「人間とは何か」京大霊長類研シンポジウムレポート(前)


10月4日に、東京大学で行われた京都大学霊長類研究所・比較認知発達(ベネッセコーポレーション)研究部門 公開シンポジウム

  • 「人間とは何か−ヒトとそれ以外の霊長類の比較研究から分かること」

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news4/2009/091004_1.htm
に参加してきましたにゃ。
実にオモチロかったので、予定を変更して*1レポートをあげますにゃ。記憶が定かなうちに書いておかにゃーと。


とりあえず、第二部の基調講演「人間とは何か」のレポートをしますにゃー。
講演者の松沢哲郎氏は京大霊長類研の現所長。レポート部分においては猫かぶり文体を封印ね。

1、「二足歩行で手ができ、人間となった」という理解は正しくない

人口に膾炙している説として、四足の動物が立ち上がって二足歩行するようになり、手が自由に使えるようになったので道具使用をおぼえ、人間となっていったという話があるが、これは正しくない。
昔、霊長類は「四手類」と呼ばれていた。手が四つということだ。樹上生活に適応したサルは、後肢の末端(=足)で木の枝を握ることができた。人間の祖先はサバンナに生活の場を広げたことから、地上で効率の良い移動手段を獲得する必要がでてくる。そこで、四つの手から二本の「足」を生みだしたといえる。

2、チンパンジーと人間の♂は似たようなもの

人間の再近縁種はチンパンジーである。遺伝子は98.8%まで一致している。チンプと人間は、♂が協力して集団で狩猟をするという点で、他のヒト科霊長類(オランウータン、ゴリラなど)と異なる。チンプの♂は集まるのが好きで、狩りをしたり権力ゲームをしたりして過ごす。♂が♂同士の協力行動と権力ゲーム好きというのは、人間社会にも広く見られる。

3、チンプの子育て

チンプの寿命は約50年。♀は10歳くらいで子供を生みはじめ、40歳をすぎても子供を生んで子育てをし続ける。また、チンプの子育ては5年ほどかかる。その間、母親は1匹の子ザルにかかりきりである。人間のように年子や2〜3年離れた兄弟姉妹がいるというわけではない。つまり、10歳で子を生みはじめ、45歳での出産を最後とするとして、8匹の子を育て上げることがおおよそ限界になるわけだ*2
また
♂とちがいチンプの♀は、1匹でいることがもっとも多い。♂に比べると孤独といってよい。そして、母子の密着度は人間の比ではない。生まれてから3カ月は子ザルは母親の体に抱きついて、いっときたりとも離れることはない。母親のお腹は、子ザルの垂れ流す糞尿で常に汚れているくらいだ。授乳も長期(4〜5年)におよぶ。

4、人間とチンプの子育ての違い

もし、人間がチンプと同じような子育てをするとなると、人間の子供が独立するのには近代以前の社会でも15年くらいはかかるといえるので、15歳で子を生みはじめたとしても3人くらいしか子供を育てられないことになる。これでは絶滅を待つのみ。
そこで
人間の場合は、平行して複数の子供を育てることが必要になってくる。そして、平行して手のかかる子育てをするのは、母親だけでは到底無理である。また、授乳もそんなに長くしていられないので1〜2年で打ち切り、離乳食を食べさせることになる。

5、「おばあさん」の存在が人間の本質のひとつ

チンプの寿命は約50年。♀は10歳くらいで子供を生みはじめ、40歳をすぎても子供を生んで子育てをし続ける。つまり、自分は閉経し(=生殖能力を失い)、孫を育てる「おばあさん」という存在はチンプにはいない。チンプには、年をとった現役の女性はいても、自身の生殖能力を失って孫の面倒を見る「おばあさん」はいないわけだ。一方、「おばあさん」の存在は人類社会に普遍的である。
子育て期間が長いわりに授乳期間が短く、離乳食を子供が食べるということは、育児が生物学的な母子関係からある程度独立できることを意味する。逆にいうと、母子関係と子育てがある程度は独立しないと、複数の子を平行して育てることは困難となるだろう。
人間の♂はチンプの♂よりも子育てに協力的である。年長の兄弟姉妹や伯父伯母などが協力して子育てをするのが人間の特徴といえるが、自らの生殖能力を失った後に孫の面倒をみる「おばあさん」は、協力して子育てをすることが人間にとって生理的な行動であるということを意味しているとすらいえる。「おばあさん」の存在こそ、人間の子育てのあり方をよく表している。
また、♀同士もよく集まって協力することがチンプに比べて人間の大きな特徴ともいえる。

6、母子分離の帰結としての「あおむけ」

人間の子育ては、手のかかる子供を複数同時に育てなくてはならないので、子供をずっと抱いているわけにはいかない。だから、子供を母親などの大人から物理的に分離し、あおむけに寝かせなくてはならない。
人間の赤ん坊は身体構造的にも「あおむけ」で安定しており、また「あおむけ」で寝かせられることに不快や恐怖はないようだ。チンプやオランウータンの子供をあおむけに寝かせると、恐怖して何かに捕まろうと身悶える。
森林は気温が安定している(アフリカの森林で恒常的に22〜28℃)が、サバンナは朝晩の冷え込みは激しい。冷え込みの激しいサバンナの地面に寝かせられるので、人間の子供は脂肪にくるまれるようになった*3

7、「あおむけ」とコミュニケーション

チンプの赤ん坊は夜泣きをしない。母親に抱きついているので呼ぶ必要がないからだ。ところが人間の赤ん坊は必要に応じて母親などを呼ばなくてはならない。人間の赤ん坊は声をだして母親を呼び、母親もそれに応える。こうした声におけるやり取りが発話の基礎となっている。
また
あおむけなので顔と顔を見合わせた対面コミュニケーションが豊かになった。母親だけでなく、父親やおばあさん、年長の兄弟姉妹や周囲の大人が赤ん坊の顔を覗き込み、互いに目をみて、微笑む。表情や眼差しが重要なコミュニケーション手段となった。

8、「あおむけ」と手の自由

そして、あおむけの姿勢こそが手を自由にした。1歳頃に立ち上がってはじめて手が自由になるわけではない。背中が体重を支えているので、生まれながらに手が自由なのである。だから、人間の赤ん坊は生まれてからすぐに手でものを操ることを学びはじめる。人間を特徴づける多様な道具使用の出発点も「あおむけ」にある。
そもそも、二足歩行が人間を特徴づけるのであれば、1歳頃までの赤ん坊は人間ではないことになる。人間は生まれたそのときから人間なのである。

ここまでの感想

「あおむけ」という姿勢と人間性の本質についての部分をまとめましたにゃー。松沢教授が講演では使ってにゃー言葉も使っちゃった部分もありそうですにゃ。講演の構成とこのエントリの文構成は明らかに違うし。アタリマエのことだけど、面白い部分はすべて講演のおかげであり、おかしな部分つまらん部分は僕の責任ね。
さて
僕が個にゃん的にオモチロかったのは、まず、チンプの♂も「ホモソーシャル」なキャッキャウフフと権力ゲームが大好きという点でニンゲンと同じだけど、♀の行動パターンがニンゲンとチンプではまるで別物というところですにゃ。♂の行動パターンはチンプと僕たちで、あんまりかわってにゃーようだ(へらへら
で、子育ての共同性・協働性がニンゲンの場合には避けようがにゃーってところから、いろんなことが派生しているってのが実にオモチロイ。で、その典型といえるのが「おばあさん」の存在だ、と。
このあたりについて、石原慎太郎都知事閣下のご発言を思い出した向きも多かろうと思いますにゃ。石原慎太郎都知事閣下が誹謗なさった「閉経後のババア」こそが、人間性の本質をあらわすもののひとつだったというわけですにゃ。石原慎太郎都知事閣下は、チンプの群れで権力ゲームをなさっているほうがお似合いにゃんなあ。


あと、この講演の趣旨では、チンプなどに比して母子の分離がなされている子育てこそがニンゲン社会の大きな特徴ということになりますにゃ。核家族化は時代の流れとして仕方にゃーのだろうけれど、おばあさんも近くにおらず、つがいの♂は会社で長時間残業でガキの面倒を見られず、ニンゲンの♀がガキといっしょに孤立しているっていう状態は、つくづくニンゲンの子育てではにゃーよな。


大型霊長類のなかでニンゲンだけが皮下脂肪が厚いことは、「アクア説」、つまりいったんニンゲンは水棲適応したのではにゃーかという仮説の根拠のひとつにゃんが、この「サバンナ&あおむけ」説でも十分に説明可能ですにゃ。まあ、アクア説ってのはいろいろ問題があってほぼ論駁されていると断言してよさそうですけれどにゃー。しかしまあ、アクア説がお好きな方も多いのよ。その理由を考えるのも楽しいけどにゃ。


あおむけの話をしたら、うちのガキが3カ月くらいのときのことを同居人が思い出していましたにゃ。目の前で自分の手を「むすんでひらいて」したり、自分の手をひらひらすることを、真剣にずーっと見ていたのですにゃ。これは自分の身体感覚と視覚がそのころに一致するという、発達上だいじな場面なんだそうですにゃ。きっと、アルキメデスどころではにゃー大発見をしていたのでしょうにゃ。僕たちもみな、この大発見をしてきたわけだ。
で、こういう体験も「あおむけ」でなければできにゃーわけだ。


顔ほどではにゃーけれど、手というものも「表情」を持ちますにゃ。手は多くの意味を持ち、シンボルとして使われますにゃ。視覚表現において、手の役割は重大ですにゃー。絵描きが人物を描くポイントは、顔と手ですしにゃー。
D.S.ウィルソン*4の「みんなの進化論」によれば、チンプは「指差し」の意味がわからにゃーとのことですにゃ。「手」のイメージ、ひいては自己の身体イメージというものを持てるか持てにゃーかと、「あおむけ」は関連しているのかもしれにゃーなどと妄想していますにゃ。だとすると、「芸術」を生みだした基盤に「あおむけ」があるってことにもなるんだよにゃー。


さて、後半はチンプの知的能力のお話になりますにゃー。憶えているうちに書きますにゃ。
ぽんぽん痛いんで、今日はもう寝るー。

*1:書くといっていたネタを書いてないけど、まあ関連分野でもあるし、ひらにお許しを。なんかね、胃炎だったようでなかなか書く気力が起きず、有線で銀英伝とクリィミー・マミ見たり、takanorikidoに教えてもらった「世界樹の迷宮」をやったり本を読んだりでぐだぐだしてた

*2:60近くまで生んで育てた♀も観察されているようだが

*3:チンプの赤ん坊の体脂肪率は4%しかない

*4:社会生物学」を著したE.O.ウィルソンとは別人