進化論関連で、怪作がまた1冊(追記アリ
「進化論の5つの謎 いかにして人間になるのか」という本を読みましたにゃ。
ひとことでいえば、駄本にして怪作。マニア向け。
著者の船木亨はフランス哲学者で、現在は専修大学教授ですにゃ。
進化論の5つの謎―いかにして人間になるか (ちくまプリマー新書)
- 作者: 船木亨
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/07
- メディア: 新書
- クリック: 11回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
図書館にいってみたら、進化論関連の新書が出ていたので手に取ってみたんだよにゃ。
ぱらぱらと眺めていたら、あまりにも香り高い記述がつぎつぎとでてくるんで、ついつい借りてしまいましたにゃー。
進化論は実験をすることができないのだから、自然科学ではないのである
P38
進化は実証されてはいないのである。進化論はただ、化石など、数万年単位でしか何も特定できない乏しい資料を状況証拠として使って作りあげられた「仮説」にすぎないのである。
P38
進化論はひとびとから科学とみなされてはいるが、科学者と宗教家の双方から異議が申したてられてきた。だが、それというのも不思議はない、進化論が自然科学的な実証性をもっていないからなのである。
P40
うにゃあああああ、なんちゅうテンプレ通りの進化論への懐疑だにゃ。あと、断続平衡説がダーウィン進化論への異論だとか、定向進化や大進化は説明しづらいとか、眼球の形成は決定的に説明が困難だとかいうお約束の記述がてんこもり。こんなんで進化論について著作をものしちゃっていいのかよ。
このあたりの初歩的な進化論への疑問については、http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/のトップページQ&Aを参照してくださいにゃ。
ところがこの本が、よくある進化論否定の宗教本かというと、そうともいえにゃーところが怪作にしてマニア向けたるゆえんだにゃ。
事実、
- 自然淘汰は弱肉強食ではなく、機能が高ければ子孫を残しやすいわけではない
- 退化という概念は必要なく、そのような現象も進化の一種である
- 獲得形質は遺伝しない
- 進化と進歩を混同してはならない
- 進化に意図・デザイン・目的はない
などについては、それなりに正確に理解しているようですにゃ。
では何がこの著作を駄本にして怪作にしているのか?
進化は実験できないばかりでなく、観察によっておのずから発見されるようなものでもなかった。観察しさえすればすぐにわかるようなことであれば、すでに多くのひとが過去に論じていたはずである。
中略
進化が論じられなかった理由ははっきりしている。それが単なる事実ではなく、ひとつの思想として近代ヨーロッパに生じたものだからである。
P41
つまり、もともとこの著者は自然科学として進化論を捉えるつもりがにゃーんだわ。
「観察しさえすればすぐにわかるようなことであれば、すでに多くのひとが過去に論じていたはずである。」という理屈が通じるのであれば、「物体の落下速度は、その物体の重さよらず一定 である」というのは科学的事実ではなくルネサンス思想ということになるんだけどにゃー。
この著者はどうも、生物の歴史学として進化論を捉えているらしいのですにゃ。こうした捉え方はフーコーも「言葉と物」*1で周到にしておりましたにゃ。というか、フーコーのような捉え方を劣化コピーして、歴史だから自然科学ではない、と思いこんでしまっているような感じにゃんね。
で、著作のタイトルでもある進化論の5つの謎、というのは
- 1)そもそも原始細胞はどうやって発生したのか
- 2)多細胞生物の出現
- 3)生物の大分類はどのようにして生じたのか
- 4)意識というものがなぜ出現したのか
- 5)理性は進化の結果であるといえるのか
ですにゃ。
ではこれらの問いに対する著者の応え
- >1)そもそも起源とはそのようなもの
進化論が歴史学であって、自然科学でないならば、この問いに答える必要はない
- >2)答えていない
原始細胞の発生と同じように、奇跡のようなものだ
- >3)答えていない
そもそも生命が何かがわかってないのだから、分類は便宜的なものだ。偶然と隔離というだけでは説明できない。
- >4)答えていないどころか、混乱している
生物学者たちは、意識一般を、こともなく説明してしまう。意識の有無を、行動や仕草など、外から見て捉えられる指標から推定してよいのであれば、さまざまな現象に容易に意識を認めることができる。変化する一切のものの、どれに意識を認め、どれに認めないでおくのか。植物や鉱物に意識を認めては、なぜいけないのか。生物学者たちは、理論的な用語を使いながら、何が生物かは、社会通念に訴えているのである。
P98
ね、マニア向けになってきただろ?
進化論を思想と捉えていたのはまだしも、生物学者にむかって「意識の有無を、行動や仕草など、外から見て捉えられる指標から推定」することに文句つけてどうすんだにゃ。外から見て量的に捉えられにゃーことは、自然科学のデータにならにゃーだろが。鉱物に意識って、パワーストーンとチャネリングして科学は名乗れにゃーだろ?
- >5)この辺に筆者のモチーフがありそうだが、カオス化している
そもそも進化において、人間の理性が、宇宙について、また生物について、そのありのままの姿と歴史を捉えることができるようなものとして、なぜ出現することができたといえるのか。 もしできていないとすれば、進化論も自然科学も、何もかも人類という生物の知覚世界を前提として推論された妄想であるということになってしまうであろう。
P102
(いろいろ哲学的かつ壮大な問いを挙げたあとに)
これらすべてについての答えが得られなければ、進化という歴史は、ただの物語になってしまう。たわむれのことばあそび、統一性の美へのあこがれ、思考という妄想の快楽、人生のなぐさみになってしまう。
「機械論的」というだけでは、進化において、人間は人間になれそうにない(!)
進化論は、人類において、みずからが地上に存在しなかった遠い過去から現在までを歴史として再構成する理性という能力が、進化によって実現したということを証明しなければならない。そのようなことが可能なものとして進化の概念を提示しなければならないのである。
P103
進化論を構成する理性を説明しにゃーことには、進化論は妄想になるという理路がすさまじすぎてわかりませんにゃー。これなら、同じ理屈で物理学も妄想になりそうにゃんね。意識とか言語の自己言及性は面白い話なんだけど、科学論でそういうのを素朴にやられると困りますにゃ。
倫理哲学科を卒業されてるようですが、科学哲学についての基礎をぶっちぎっていらっしゃるのはすさまじいですにゃー。科学的知見がどこまで事実かという話は科学哲学でも議論されている話題だし、科学的事実を素朴に信奉する必要性もかならずしもにゃーと思うけど、いやこれはスゲエ。
というわけで、タイトルの5つの謎に華麗にお答えになっているわけにゃんな。
頭いて。
ほかにもいろいろスゲエところはあるけど、疲れてきたのであと一点あげるにとどめておきますにゃ。
進化が本当であれば理論としての進化論が生じるはずがなく、進化論が正しいとすれば「進化」とされているものは真理ではない。このパラドックスについてどう考えるべきだろうか
P134
ハイ先生ぜんぜんわかりません。なにがどうパラドックスになってるんですかにゃ?
ほかにも、
本能なんてものはない、それは人間の解釈に過ぎない、
とか、
適応という概念はおかしい、
とか俺様進化論が暴発しまくりですにゃ。
とにかく進化論について不勉強なのが致命的なんだよにゃ。人文学的視点から進化論を見るのはいいんだけど、このヒトは自然科学の特性からしてまるでわかっておらず、わけのわかんにゃー解釈の垂れ流しになっているにゃ。
人文系の視点から進化論を見るのなら、せめてローレンツくらい参照してほしいにゃー。
- 作者: コンラートローレンツ,Konrad Lorenz,谷口茂
- 出版社/メーカー: 新思索社
- 発売日: 1996/02/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
突然変異と遺伝形質の新たな組みあわせが、ある生物に、その祖先に可能だったよりもいっそうよく環境世界を利用する能力を与えることがある。このことは、その新たな生物が自分の環境世界のなんらかの事実を「よりよく判断できるようになった」こと、そしてその結果彼のエネルギー獲得のみこみが増えたかまたはエネルギー損失の確率が減ったことを意味する。この恵まれた生物の生きのびるチャンスと増殖のチャンスも同じように高まるが、それとは異なった方法で新たに形成されたために競争に破れ、死滅の宣告を受けた同類は滅んでいく。この自然による選抜の過程は自然淘汰と呼ばれ、それによって引き起こされた生物の変化は適応と呼ばれる。
中略
適応とは生物とその環境世界との間に存在する転移情報の増大であり、この増大は生物の内部における諸プロセスによっておこされるのであって、そのさい環境世界には目立った変化はない。
中略
休むことなく実験を行ない、その成果を現実と対決させ、そして適したものを保存するゲノムの方法は、ただ次の1点においてのみ(そしてこれとてもけっしてそんなに本質的なものではない)人間が科学的に認識しようと努力するさいに用いる方法と相違するだけである。つまりゲノムは成功からのみ学ぶが、人間は誤りからも学ぶという点である。
旧版P48から52 適時抜粋
ローレンツは古いとかいわれるけど、生命を情報認識装置と捉え、進化を情報認識装置の刷新過程ととらえる考え方が古びているとは思えにゃー。「ゲノムは成功からのみ学ぶが、人間は誤りからも学ぶ」なんて名ゼリフではにゃーか。
この引用部分だけで、船木のわけのわからにゃーパラドックスとやらはほぼ完全粉砕だと思いますにゃ。
集団遺伝学や進化ゲーム理論どころか、サル学の知見やローレンツまで無視して俺様進化論を爆発させるのは、春休みや夏休みに涌いて出る若者くらいにしておいてほしいものだと切にお願いしたいものですにゃ。
ちゅうかさ、ちくま書房はなにしとるんだ?
ちくまプリマー新書って、初心者・入門者向けのセグメントだろ? こんなのを初心者に読ませてどうするんだにゃ?
しかも、
- 作者: 池田清彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/07
- メディア: 新書
- クリック: 11回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
ちくまプリマー新書の編集部に猛省を促したいにゃ。マジに。ちくまには期待しているから言ってますにゃー。
追記
船木の歴史についてのスタンスが人文科学的にも支離が熱烈に滅裂であることは、こちらのエントリを読んでくださってもわかりますにゃ。
船木の著述のおかしなところは人文系の知見にもいろいろあると思ったけど、そこは突っ込む余裕がありませんでしたけどにゃ。
まあ何にしろマニア向けということで
*1:巻末で参考文献にあげられている