そんなあなたに絶対真理(追記アリ
似非科学ビリーバーが罵倒されるのは構わないのに歴史修正主義者や差別主義者が罵倒されるのには怒ったり失望したりする人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかから引用
まあ、勝手にサヨクに期待して勝手に失望している人々のことなんですが。実例を挙げるとhttp://anond.hatelabo.jp/20080902230106とid:y_arimさんへの人。この人の場合はホームレス差別主義者に対する罵倒を見てはてサに失望しているそうな。そして、それを自分が言うべきことを言わない理由にする始末。なんというかナイーブですよね。
ネット世界では反歴史修正主義や反差別主義や反貧困だとサヨクに分類されるから、その分類を受け入れている私から見れば、こういう人は珍しくはないです。
ただ、こういう非難をする人は(水伝とか食育とか血液型占いとかの)似非科学や陰謀論やカルトに対する罵倒がなされているところでは不思議と見ることが稀。歴史修正主義や差別主義が罵倒されていると颯爽と現れるのです。
うにゃー。
疑似科学が罵倒されているところでも「あなたたちには失望しました」系の捨て台詞を見ることは珍しくもにゃーのだが、これは大抵はサンドバッグにされた本人が遁走時にいう台詞にゃんね。この増田にしても、論争でボコボコにされた誰かが匿名で憂さ晴らしをしているだけの可能性もあるわけだしにゃ。
とはいえ、議論において
「品行方正たることを求められる」というか「良い人であることを求められる」立場というのは確かにあるのではにゃーかと思う。もちろん、他者に対して品行方正を求める者が自らも品行方正を求められることは必然といえるにゃ。ここで言いたいのは、別に他者に品行方正を求める言説をなしていにゃーのに、ある立場で発言するだけで品行方正を求められるということがあるということですにゃ。
まず思いつくのは、障害者なんだよにゃ。
障害者に対して、ずるいとか怠けているとかいうことを言う馬鹿はさすがにあまり見にゃー。夏休みや春休みにはネットで散見しなくもにゃーが。
しかし、
「障害者(特に知的障害者)はいい人です。天使のように純粋です」
などという「善意」に満ちたことを言うヒトタチはいるわけですにゃ。
直接知っている方ではにゃーのだが、重度の障害者で、「自分が性格の悪いダメ人間であることを露悪的といわれても表現する必要性を感じる」という問題意識を持っている方がいるそうですにゃ。良い人であれ、という圧力は息苦しくてたまらにゃーそうだ。
他に、フェミ系の議論において、攻撃的な♀(あるいは♀っぽいハンドル)がやり玉にあげられるのをちょくちょく見ていますにゃ。攻撃的・戦闘的な♀というのは実に嫌われるものらしいにゃ。
で、「サヨ」的な言説をする者が一方的な品行方正を求められるという非対称な傾向ってのは確かにありそうですにゃ。これは、サヨが「きれいごと」を言っていると見なされていることに原因の一端はあると考えますにゃ。
「きれいごとを相手に求めるくせに、口汚い奴らだ。」
っていうふうに思われているんでにゃーのかな。薄っぺらいきれいごとをぬかすタテマエ至上主義なんだから、その薄っぺらいきれいごとのタテマエを遵守しろや、と。
今回はこの部分には反論しにゃー。
これはあくまで僕の印象なんだけど
- 弱肉強食の原理・自然の鉄則・父性原理・世界はこういうもの 等
といった側にたって発言する者には「品行方正」は求められず、そうした行動原理を批判あるいは補正を求める立場で発言する者にのみ一方的に「品行方正な良い人」たることが求められることが多いのではにゃーだろうか。
弱肉強食だの自然の鉄則だのとのたまうお歴々って、自分のことを現実的だと思っているんだよにゃ。ユングのいう外向タイプにゃんな。
このあたりについては今回はツッコミはせずにメモ程度にしておくにゃ。
良い人であることを要求されるのは、被差別マイノリティにありがちなことだという指摘はしておきますにゃ。サヨが被差別マイノリティだというつもりもにゃーが。
で、
分析は棚に上げて処方せんだけ書いておく。
そんなあなたに
- 絶対真理:スタージョンの法則、すべてのものの90%は屑である
とにかくこれが絶対真理であるということをまず受け入れること。
僕がたまたまサヨだったこともあり、どちらかというとサヨの知り合いの方が多いけれど、多くは間違いなく屑ですにゃ。請け合うぜ。身障者だろうがフェミだろうが、ほとんどは屑にきまってんだろ? 「にんげんだもの」。
あ、いっとくけど、この絶対真理を、「妖怪どっちもどっち」などというチンケな存在といっしょにしにゃーようにね。
どちらも多数は屑であることを前提にした上で、個々の議題毎に「議論で白黒つけようや」ということにゃんからな。屑をひっぱりだして「どっちもどっち」などといいだすのが、件のチンケな妖怪ですにゃ。
追記
むかし、やふ掲示板にhebicyanという差別問題に見識のあるヒトがいましたにゃ。
hebicyanいわく
- 差別があるっていうことは、対等なケンカができなくなるということなんだ
これね、差別について本質的なところを突いた発言だと僕は思いますにゃ。
立場によって、その振る舞いに「品行方正な良い人」であることを求められたり求められなかったりするという非対称性のことを考えていたら、hebicyanの発言を思い出したのでメモがわりに追記しておきますにゃ。差別と対等なケンカについては、こんどゆっくり考えよう。