「ありもしないものを見る」のが人間@京大霊長類研シンポレポ(後)
では前回のつづき。チンプの知的能力について。
チンプの記憶力
タッチパネルを使ったチンプの記憶力テスト。画面のランダムな位置に、1〜8までのアラビア数字が映し出される。すると、チンプは1から順番に手つきよく画面をタッチして消していく。つまり、チンプはアラビア数字が順番を表すことを理解していることがわかる。
次に
やはり画面のランダムな場所に1〜8のアラビア数字が映し出されるのだが、1をタッチすると同時に2〜8の数字のうえに■が重ねられて隠される。しかし、チンプはものともせずに2〜8の数字を間違えずに順番でおしていく。このテストを何回か行ったのを映像で見たが、数字が映し出されるとほぼノータイム(1秒以内)に1を押し、その後もノータイムでさくさくと間違いなく数字を押していく。
これ、僕にはとてもできない。
さらに
やはり画面のランダムな場所に1〜8のアラビア数字が映し出されるのだが、今度は一瞬表示されただけ(0.2秒)で、すべての数字に■が重ねられて隠される。それでもチンプはまったく何の困難もなく、ノータイムでさくさく1から順番に数字を押して消していく。
松沢教授によると、これはニンゲンでは無理なのだそうだ。
このテストの優れたところは、アラビア数字を使うことで民族や文化にほぼ関係なくニンゲンにもテストできるところにある。ニンゲンの場合、0.2秒の表示では数字を5つを80%ほど覚えるのがだいたい限界だと確かめられているらしい。文化の差はいまのところ見られないとのこと。
映像を見ていて、確かに僕にはとてもとても無理だと実感する。
研究結果によれば
- こどものチンプのほうがこの試験での成績はよい
- こどもの場合0.2秒で8つの数字をほぼ90%覚えられる
- この記憶は10秒以上持続する
チンプは色と漢字がわかる、しかし・・・
タッチパネルをつかったテストのつづき。
画面に特定の色面が映し出されたあと、「赤 黄 緑 青 紫 ・・・」などといった色を表す漢字が映し出される。ちゃんと確認しなかったが、10くらいの色を表す漢字が画面に並んでいた。
で、赤い色面が表示された後には、チンプはしっかり「赤」の漢字にタッチする。赤、青、黄などの左右対称の漢字については少々見分けがつきづらいようだが、それでもほぼ間違わずにタッチする。つまり、色の違いを理解し、漢字がそれぞれの色に対応していることを理解しているわけだ。
これ、けっこーすごいでしょ?
ところがオモチロイのはここから。
「色面⇒文字」の関係をしっかりと学習し、ほぼ間違えることがなくなったチンプに、今度は逆のテストをしてみる。つまり、画面に漢字を表示させ、それに対応した色面をタッチさせるというテストをしてみた。こんなことは易々とクリアするかと思われていたわけだが・・・・
「まったく驚いたことに」
と松沢教授
「色面⇒文字」の対応を学習したチンプは、「文字⇒色面」のテストがぜんぜんできなかったのです。その後もいろいろと実験した結果、まったくできないというわけではないのですが、チンパンジーにとってこれはどうやら困難なことのようです」
刺激等価性の不成立
これは論理学の基本だし、プログラムの基本でもあるようだけれど
- 「PならばQ」が成り立つからといって、「QならばP」が成り立つわけではない
だから、
「色面⇒文字」が成り立つからといって、「文字⇒色面」が成り立つわけではない。つまり、形式論理的にいって、チンプが推論できていないというわけではない。
むしろ、
- 論理学的にはチンプの推論不能は正しいともいえる
問題はニンゲンの推論のありかたにあるのではないか?
「色面⇒文字」から「文字⇒色面」を、つまりは「PならばQ」から「QならばP」を導くことができた場合、これを認知研究・発達心理学などでは【刺激等価性】のうち「対称性」が成立しているという。刺激等価性とは、反射性、対称性、推移性という3つの関係性から成り立っているが、そのうち「対称性」についてはニンゲンに特有とされている。
参考:思考と言語獲得における対称性
松沢教授によると、刺激等価性が成立するためには、カテゴリー化・シンボル化などがなされる必要があるとのこと。ちなみに、松沢教授はもともと哲学畑の出で、思考言語分野の教授である。
チンプの「ことば」を言語学的に捉えると、以下のようになるとのことである。中身はよくわからないが、興味ある人のために、スライドを写したものを書き留めておく。
チンプの「ことば」
絶望しない患者
霊長類研で飼育しているチンプのなかに、病気によって下半身不随になってしまった成体がいた。研究者たちが24時間態勢で看護して、ようやく歩けるようになってきたのだが、そのチンプの「闘病」がじつにこう淡々としているものだった。
床ずれなどもそうとうひどいことになっていて、はた目にもつらそうなのだが、淡々としている。
もちろんチンプの成体には喜怒哀楽などの感情はあることははっきりしているのだが、「未来の自分」というものを想定して絶望したり希望をもったりということはないのではないかという感想を松沢教授はもったようだ。
お絵描き
チンプは絵を描く。
こういう話もあったし。⇒チンパンジーの描いた絵が270万円で落札される : ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会
チンプに絵を描かせる際に、前もって紙に円などを線で書いておくと、その線をなぞることが知られている。では、チンプの頭部と顔の部分のみの輪郭を書いた紙を与えるとどうなるのか? 輪郭は線描してあるが、目鼻口などは描かれていない紙である。
結果的には、チンプは大人であっても、与えられた顔や頭部の輪郭をなぞるだけであった。一方、ニンゲンの場合は、三歳児であっても輪郭の中に【存在すべき】目や鼻、口を描くものが多い。
そこにあるものを見るだけ
講演の結論。
チンプは高度な知的能力を持つが、それは「そこにあるものを見る」ものである。
驚異的な記憶力は、現在そこにあるものを記憶する能力である。刺激等価性、特に対称性というのは、そこにありもしない規則をつくりあげてしまうことである。チンプはこういうことを行わない。顔の輪郭を与えられても、【そこにあるはず】の目鼻を見ようとはしない。
だから、未来の自分というものを想定することもなく、「患者」としては絶望することもなく淡々と治療をうけるということになる。
つまり、
感想
後半部においては、刺激等価性の不成立の話を聞きつつ「おお、これはまったくもって呪術ではにゃーか!」などと興奮していましたにゃ。
呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしかの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。レヴィ=ストロース「野生の思考」P15
何度か引用しているレヴィ=ストロースの言葉だけれど、この「包括的かつ全面的な因果性」ってのは「対称性が完全に保たれている」とも言い換えられると考えますにゃ。
脳内で勝手に「そこにありもしない」因果性を補ってしまう、「PならばQ」という前提から「QならばP」をもってきてしまって、現実に対して操作的な介入をしようというのが呪術ですにゃ。
「嵐のときに雷が鳴る」から、「雷のような音をたてて雨ごいをする」を導くのが呪術思考であるのだから、その基盤にあるのは「包括的かつ全面的な因果性」あるいは「完全なる対称性」といえるのではにゃーだろうか?
呪術思考については、このブログでは何度かとりあげていますにゃ。
格差容認に使われたり、疑似科学に親和的なものとして呪術思考を批判してきたわけにゃんが、松沢教授の結論というのはいわば
- ニンゲンとチンプの違いは、呪術思考をするか否かである
とすら翻訳できるわけで、ここまで呪術思考が根深いものだってことには今さらながらしびれてしまいましたにゃー。
思考の技術とは何か
で、いろいろ調べてみると、この対称性ってものは呪術に限定されるものではにゃーようだ。先ほどリンクしたサイトから引用すると
類推,因果推論,確率判断,仮説検証などにおいても,潜在的に対称性が関係していることが示されており,対称性の仮定が,外界の効率的な認知に寄与している可能性が示唆されている.
さらに,対称性は意思決定とも関係がある.選択肢に関する情報は決定の前提となるが,その情報を収集するかどうかも含めて意思決定しなければならない状況では,情報の正確さを高めるための探索行動と,高報酬を獲得するための知識利用行動の間にトレードオフが発生する.このような「探索と知識利用のジレンマ(exploration-exploitation dilemma)」状況においても,対称性を伴う推論が有効であることが示されている.
「類推,因果推論,確率判断,仮説検証」って、人文・社会・自然科学をとわず、科学的思考のど真ん中じゃん!
呪術思考と科学的思考って、つくづく根がいっしょのものにゃんなあ。
さらに意思決定においてまで、「ありもしないものをそこに見る」対称性が有効だってのはスゲエよにゃー。
「この対称性をどう制御していくのか」 というのが、科学や哲学などの思考の技術だといえるのではにゃーだろうか?
おまけのはったり
対称性対称性と何度も書いていて、こんな本のことを思い出しましたにゃ。
- 作者: 中沢新一
- 出版社/メーカー: 講談社
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対称性の論理で作動をおこなっている「無意識」は、欠けたところのない充実した流動的知性としての本質をもっている。いっぽうで認知考古学の研究は、現生人類(ホモ・サピエンス)としての私たちの「心」の形成を可能にしたのは、この流動的知性の発生にあったことをしめしている。つまり、「無意識」こそが現生人類としての私たちの「心」の本質をなすものであり、非対称性の原理によって作動する論理的能力は、この「無意識」の働きに協力しあうものでこそあれ、それが人類の知的能力の本質であるなどとはとうてい言えないことがわかる。
対称性人類学 はじめに より
この本は「カイエ・ソバージュ」というシリーズの5冊目。シリーズを通して「対称性」はキーワードとなっていますにゃ。中沢新一というヒトは、考える材料としてはとてもオモチロイものを持ってきてくれるんだけど、せっかくの材料をハッタリ構築してしまうという魅力というか欠点があり、このシリーズでもそのあたりがでていますにゃー。神話学や宗教学をもってくるのはいいとして、物理学とラカンを結びつけるようなポモにはいささか食傷しますにゃ。
とはいえ、興味深い思考の材料をいろいろ出していることは確かではにゃーかと。
個にゃん的には、第2巻の国家論である「熊から王へ」、と第3巻の贈与論である「愛と経済のロゴス」の出来がよかったと思いますにゃ。まあ、2巻の元ネタはクラストルだし、3巻の元ネタはモースだから面白くて当然なんだけど。
リンクした認知研究における対称性の重要さについては比較的新しい研究のようで、中沢新一は触れていませんにゃ。中沢新一の触れているのは、神話や権力、経済あるいは思想における対称性の扱いにゃんね。何にしろ、「対称性」を突破口にしていろいろと考えていくというのは、目のつけ所はよいのではにゃーかと思えますにゃ。
とにかく、神話学や人類学に興味があってハッタリが許せるのならオススメ。ハッタリが許せなくても、紹介されているネタは確かに興味深いにゃー。
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愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ)
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