鏡に映った桃太郎はドロシー@オズの魔法使


家の4歳児向けに「オズの魔法使」DVDを購入しましたにゃ。安いやつ。
で、見てみたらびっくりしたのでエントリにしますにゃー。


何がびっくりしたかって、日本の昔話である「桃太郎」との細部に至るまでの反転・変換がなされていたことですにゃ。ググってみたところ、「桃太郎」と「オズの魔法使」との類似性を指摘するヒトは多いけれど、詳細を検討したものはなさそうなので、ちょっとやってみますにゃー。


まず、桃太郎のあらすじについては知らにゃーヒトはいにゃーだろ。
で、以下はオズの魔法使いのあらすじですにゃ。リンクもとが超絶的悪文なんで、ちょっと手直ししましたにゃ。どうもまともなあらすじがみつからにゃー(とほほ
知っているヒトは以下のあらすじをとばして読んでくださいにゃ。


カンサスの農場に住む少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)はある日愛犬トトが近所のミス・グルチからいじめられたといって泣きながら帰ってきたが、誰も相手にしてくれない。ここでは自分などどうでもいいと思われていると考えてトトと家出した。
田舎道を歩いていると占師マーヴェル(フランク・モーガン)に出会う。マーヴェルは家出を見破り、伯母さんが心配して病気になったといって家に帰らせようとする。家へ帰ると、折から大龍巻が襲来して農場は大騒ぎ、こわくなってベッドにうつぶせになっていたところを、風で外れた窓が彼女の頭をしたたか打った。


ーふと気づくと、ドロシーは家もろとも大空高く吹きあげられ、やがてふわりと落ちたところはオズの国であった。しかもドロシーの家が落ちたところに悪者の東の魔女がたまたまいて、東の魔女をおしつぶしてしまった。
シャボン玉から現われた北の仙女グリンダから、ここは小人の町だと教えられる。そこへ、グルチさんそっくりの東の魔女の妹である西の魔女が現れ、姉の形見のルビーの靴を持って行こうとしたけれど、靴はいつの間にかドロシーの足にはまっていた。西の魔女はグリンダにはかなわないと逃げ出し、グリンダは魔女の復讐がドロシーに向けられるのを心配して故郷へ帰るよう勧めたが、それにはずっと離れたエメラルド・シティに住むオズの魔法使の力を借りなくてはならなかった。小人たちに見送られて、黄色いレンガ路を西にすすむ。


ドロシーとトトは、途中、彼女をいつも可愛がってくれた農夫ハンクそっくりの、脳みそをほしがっている案山子と、ヒッコリー瓜二つの、鍛治屋が心を入れ忘れたブリキ人形と、ジークそっくりの臆病なライオンを仲間に加えた。エメラルド・シティの見えるケシの花畑に達したところ、西の魔女の魔術にかかってドロシーとライオンは眠ってしまったが、グリンダの力で目がさめて、待望の城内に入り、オズの魔法使いに対面すると、皆の望みを叶えてやるかわりに西の魔女の箒を持ってこいと命じられてしまう。


早速ドロシーたちが魔女の城へ向かったところ、途中、森の中で空を飛ぶ猿の軍勢に襲われ、ドロシーとトトはさらわれて魔女の城の一室に閉じ込められてしまう。
臆病ライオンまでが勇みたって城内に突進してドロシーを救い出したところがまた魔女に捕らえられ、藁で出来た案山子が焼かれそうになったとき、ドロシーが水をかけて彼を救おうとした。すると、その水がかかった魔女はなんととけてしまった。


一同は箒を持ってオズの魔法使いのところへ行くと、占師マーヴェルそっくりのオズの魔法使が「案山子は旅の困難を切りぬけようと頭を使い、ライオンは危険に立ち向かい、ブリキの人形はドロシーの運命に涙を流したから願いは果たされた」といい、ドロシーには一緒に気球でテキサスへ帰ろうといった。しかし、出発間際ふとしたことから気球は魔法使いだけを乗せて舞い上がってしまい、ドロシーがとりのこされて悲しんでいると、仙女グリンダが現れた。グリンダはドロシーの願いは靴の魔力で叶えることができるといった。ドロシーは仲間に別れを告げて目を閉じた。


ーやがてドロシーが目を開けると、伯父伯母をはじめ、ハンク、ヒッコリー、ジーク、マーヴェルが傍にいたが、彼女にとって皆がオズの国で一緒だったことを覚えていないのが不思議でしょうがないのだった。
ドロシーは家の素晴らしさがわかったのだった。ドロシーの決め台詞は
"There is no place like home(お家ほどすてきなところはない)"


http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1384/story.html を改変

ドロシーと桃太郎の反転

まず、オズのドロシーと桃太郎の共通点・類似点を述べてみますにゃ。
共通点がにゃーと、反転のしようもにゃーからね。

  • 共通点1)両親がいない

ドロシーは伯父・伯母と生活していますにゃ。父母がなぜいにゃーのか映画では語られていませんにゃ。桃太郎もおじいさん・おばあさん(=養父母)に育てられていますにゃ。そして、両者ともに愛されて育てられていますおりますにゃ。

  • 共通点2)乗り物で移動

桃太郎は桃にのって川を流れてきますにゃ。ドロシーは家ごとオズの世界に行ったわけで、【オズの世界から見れば】ドロシーは乗り物に乗って異世界からやってきたことになりますにゃ。

  • 共通点3)超絶的な力の保持

桃太郎はその出自からして、超絶的な力を保持していることが明らかですにゃ。一方、ドロシーにゃんが、「ドロシーの家が落ちて悪者の東の魔女が下に押しつぶされたと告げられているところへ、グルチさんそっくりの東の魔女の妹西の魔女が現れ、姉の形見のルビーの靴を持って行こうとしたけれど、靴はいつの間にかドロシーの足にはまっており」とあるように、【オズの世界についた時】、ルビーの靴という超絶的な力を付与されているわけですにゃ。


では、以下に相違点を述べますにゃ

  • 相違点1)性別の違い ♂と♀
  • 相違点2)属性の違い 水属性と風属性

相違点1)は説明の必要はにゃーね。
で、(相違点2)なんだけど、桃太郎は川から流れてくるわけですにゃ。つまり「水」に由来した存在なのですにゃ。これは僕が言い出したことではなく、桃太郎・瓜子姫・一寸法師などの「小サ子」には水や蛇が共通モチーフとなっていることは柳田国男の民話研究において言及されているようですにゃ。というわけで、桃太郎は水属性。
ここで、【どのように来訪したか】をその属性判断の根拠とすると、ドロシーは風に乗ってやってきたので、風属性と仮定されますにゃ。

  • 相違点3)力の由来

桃太郎がうまれつき超絶的な力を備えていたのに対し、ドロシーはルビーの靴という形で、一時的に力を付与されますにゃ。

お供における反転

桃太郎のお供であるイヌ・サル・キジについてはいろいろと解釈があるのだけれど、ここでは儒教的な俗流解釈として、サル→知を表す・イヌ→仁(心)を表す・キジ→勇をあらわす、というのを採用してみますにゃ。
一方、ドロシーのお供は、カカシ→知の欠損・ブリキのキコリ→心の欠損・勇気のないライオン→勇の欠損、にゃんね。

  • 桃太郎のお供は知・仁・勇の象徴であり、ドロシーのお供は知・仁・勇の欠損


また、桃太郎には援助者がいにゃーのに対し、ドロシーには良い魔女という援助者がいることもここで指摘しておきますにゃ。

目的と手段の反転

ドロシーの目的は家に帰ること、お供の目的は各々の欠損を埋めることであり、そのためにオズの魔法使いに会うための旅をするわけですにゃ。そして、オズの魔法使いに会うと、西の魔女のホウキをもってこいと命ぜられるわけですにゃ。
ここにはいくつかの反転があって

  • 1)桃太郎は奪うため、ドロシーは与えてもらうために旅をする
  • 2)鬼退治と金銀財宝の奪取が桃太郎の目的だが、ドロシーにおいて魔女退治は手段であり、かつ奪うべきはホウキというみすぼらしいものである
  • 3)桃太郎(とお供)は金銀財宝という経済的価値をもたらす者だが、ドロシー(とお供)は自分や家族の価値(自尊心あるいは道徳的価値)を再発見する者である

物語構造の反転

桃太郎は、異界(水のかなた)から「こちら」やってきた者、つまり来訪神・マレビトであるといえますにゃ。そもそもその出自として英雄にゃんね。そして、長ずると異界(鬼ケ島、これも水のかなたにある)に向かい、財宝を獲得して、真の英雄として再び「こちら」に帰ってきますにゃ。
また、桃太郎が鬼ケ島を征服して王となる、というバージョンもあるみたいですにゃ。
異界→こちら→異界(→こちら) 
一方
ドロシーは、「こちら」から異界(空のかなた)に行きますにゃ。その着地点の小人の国で偶然に東の魔女を倒して英雄となり、結果的に「こちら」に帰ってきて「家」という宝を発見するわけですにゃ。そして、ドロシーはオズの世界にもどることはにゃーわけだ。また、オズの世界で英雄であったけれど、「こちら」でのドロシーは平凡な存在であり、そしてそのことを受け入れるわけですにゃ。
こちら→異界→こちら


オズの世界の住人から見たドロシーを民話風に語ってみましょうにゃ。

むかしむかし、小人の国では悪い東の魔女が悪さをして困り果てておりました。
すると、どこからともなく強い風が吹くと、家にのった女の子がやってきて、東の魔女を踏みつぶし、ルビーの靴を奪いました。ドロシーと名乗るこの女の子の活躍に小人たちは大喜び。
ドロシーは家に帰りたいというので、黄色いレンガ路をとおって偉い魔法使いに会えばいいよと教えられ、途中でお供をふやし、悪い西の魔女も退治して、世界は平和になりました。そしてドロシーは偉い魔法使いといっしょにもといた世界に帰ってしまいました


オズの世界の住人にとっては、ドロシーと桃太郎の役割はだいぶ重なりますにゃ。ドロシーこそはオズの世界にとっての来訪神にして英雄だったわけにゃんね。

まとめると

桃太郎 オズの魔法使
主人公の性別など ♂・水属性 ♀・風属性
主人公の由来 異界→こちら こちら→異界
主人公の性格 こちらの世界にとっての来訪神 異世界にとっての来訪神
力の由来 生まれつき 装備により一時的付与
主人公の目的 遠征して鬼退治・財宝奪取 魔法使にお願いして帰還
援助者 なし あり
お供の性格 知仁勇の象徴 知仁勇の欠如
お供の目的 宝(キビダンゴ・財宝)の獲得 欠損を満たす
移動手段 詳細不明、たぶん船 黄色いレンガ路を徒歩
獲得されたもの 経済的な富 家族の価値・自尊心


共通点は、養父母に愛情深く育てられた者が、4人パーティーで困難を克服し、真に価値あるものを見出す、というところですにゃ。*1


さて、こうしてみると、桃太郎がいかにも薄っぺらいというか、暴力的・帝国主義的に見えてきちゃいますよにゃ。芥川のパロディでは桃太郎は侵略者としてかかれているしにゃ。
そういう見方をしていいのかにゃ?

桃太郎説話の解釈1

以下は桃太郎という民話の起源を事実に求める解釈のひとつですにゃ。
桃から生まれた、というのは、中国の仙人譚の影響は明白にみられるものの、いわゆる「異常誕生譚」だにゃ。この、異常誕生譚というのは、英雄の神格化のためによく使われるものにゃんね。キリスト、聖徳太子、(母の胎内に72年いて、生まれたときには老人だった)老子、(母のワキから生まれた)ゴータマなどや、戦国武将なんかにも見られるものだにゃ。また、異常誕生譚とは「是正されるべき悪しき秩序」があり、主人公がそれに対して戦うことを読み手に予感させるものともいえるのだにゃ。


また、キビダンゴをわけ与えたというのは、飢饉のことを示しているのではにゃーかといわれているにゃんね。同様の物語構造はインドネシアあるいはミャンマーにも北米原住民にも見られますにゃ。
で、桃太郎でいう「鬼」というのは、同様の構造を持つインドネシア民話では「悪しき太陽」。つまり、異常気象の原因ということみたいだにゃ。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E/も参考にしてくださいにゃー。


神的な出自を持つ主人公が、知仁勇を兼ね備え、飢饉に際して人々に食料を施して、異常気象とたたかった話、と読めるわけにゃんね。このような文化的英雄が現実におり、その事実を起源としてこうした説話が成ったという可能性もあるでしょうにゃ。


ところで、桃太郎をこうした文化英雄のメタファーと考えると、ドロシーとの間にもうひとつの反転がみられるのですにゃ。というのも、ドロシーは東の魔女を滅ぼしたのちに西の魔女を滅ぼしにむかう存在ですにゃ。またドロシーの進む黄色いレンガ路にゃんが、まず伝統的に太陽の色は黄色にゃんね。また、ギリシア・ローマ以来、太陽は二頭立ての馬車をシンボルとしているわけで、その通路は舗装路と考えていいのではにゃーかと。つまり、黄色いレンガ路とは太陽の通り道であり、ドロシー1行は太陽のメタファーともいえるのではにゃーだろうか。
つまり

  • 異常気象に立ち向かう文化英雄の桃太郎と、秩序を正す太陽としてのドロシー*2

桃太郎説話の解釈2

また、ユング好きの僕としては、桃太郎がもたらした「金銀財宝」を単なる経済的な富とみることに単純に賛同できにゃーですね。神話・民話では「金銀財宝」などに託して価値が語られることが多いのですにゃ。
例えば、羊水のかなたからやってくる僕たち普通のニンゲン(桃太郎)が、刻苦勉励して技術や知識を身につけ(イヌ・サル・キジをお供にする)、自らの魂の奥底を覗き*3(水のかなたにある鬼ケ島への「帰還」)、困難を克服し(鬼退治)、自らの真の価値(金銀財宝)を見出し、その結果、現実世界で創造的な仕事を為す(財宝の持ち帰り)。
という風に、比喩的に解釈することも可能だということですにゃ。


こう書いてしまうと、今度はオズの魔法使のほうが、伝統的価値マンセーメリケン保守思想映画という見方もできるようになってしまうけど、もちろん、オズの魔法使もいろんな解釈が可能なものですにゃ。少なくとも原作はそのようですにゃ(原作未読です)。

時代的制約と普遍性

wikipedia:桃太郎の項を読む限りでも、桃太郎民話が今の形で成立したことに明治時代の国家政策というか当時の雰囲気が影響したってのはガチみたいですにゃ。
で、オズの魔法使の原作が書かれた時期と、桃太郎が今の形で成立した時期というのはだいたい一致するようですにゃ。桃太郎が何か帝国主義的だったり、オズの魔法使がどうも家族的価値マンセーだったりするように見えるのも、各時代の雰囲気や考え方を反映したものなのではにゃーかと考えますにゃ。


実は普遍的なのは物語構造なのですにゃ。神話というのは構造によって語るものであって、その内容は置き換え可能なものですにゃ。そして、反転された神話というのは、同じ構造を示しているといってよいわけですにゃ。(この辺は我ながら乱暴)


オズの魔法使の原作者ライマン・フランク・ボームが桃太郎民話を知っていたかどうかは、ちょっと興味があるところですにゃ。もしライマン・フランク・ボームが桃太郎を知らなかったとするのなら、ユング派のいう集合無意識理論の傍証にもなりかねにゃーほどの一致ぶり。
ユング好きオカルト好きの僕としては、
「19世紀終わりに国民国家の神話が要請され、同じ構造をもった桃太郎とオズの魔法使がそれぞれ受容されたのだあああああ」
などと言ってしまいたいところですにゃー。

おまけ

実は西遊記との比較もとてもオモチロイ。これも4人パーティーですにゃ。
まあ、西遊記五行思想でだいぶ説明できそうにゃんが。

*1:あと、イヌ・サル・鳥の出演というのも実は共通といえるかも。オズの魔法使において、イヌはドロシーの愛犬トトとして。そして、ドロシーをさらう魔女の下僕はにゃんと「翼の生えたサル」なのよ

*2:♀で太陽神というとアマテラスみたい

*3:ユングが「夜の海の航海」とよんだ、人格形成のために必要な「懊悩」