切っても切れぬ生殖と愚行の関係(追記あり)

ノーベル賞受賞者精子バンク---天才の遺伝子は天才を生んだか---」(原題 The Genius Factory)を読みましたにゃ。書評というより、感想と連想にゃんね。

ノーベル賞受賞者の精子バンク―天才の遺伝子は天才を生んだか (ハヤカワ文庫NF)

ノーベル賞受賞者の精子バンク―天才の遺伝子は天才を生んだか (ハヤカワ文庫NF)

著者のプロッツはインターネットマガジン「スレート」の副編集長ですにゃ。重い話題を軽妙なルポルタージュにしてしまうのはメリケンのジャーナリズムの長所ではにゃーかと思う。いやホント、この生臭くてある意味気持ちワリイ話をよくこういうふうに陽性にカラっとまとめられるものだと感心しますにゃ。


このルポに出てくる主な登場人物は、

  • 筆者
  • 精子バンク設立者の富豪ロバート・グラハム
  • その協力者であるノーベル賞受賞者のウィリアム・ショックリー(この本での表記、一般にはショックレーかにゃ? この人物についてはwikipedia:ウィリアム・ショックレーを参照)
  • 天才精子バンクへの精子提供者(ドナー)の男性3人
  • 天才精子バンクから精子の提供を受けて出産した母親3人
  • 天才精子バンクの精子で受精した子供たち数人
  • 天才精子バンクで働いていたヒト、遺伝的には自分の子ではない子供を育てた父親など


で、あくまで僕の感想なんだけど、この母親たちについては気持ちワリイところがなかったんですにゃ。予想していたのとはちょっち違って、この母親たちは天才を求めてこの精子バンクから精子を取り寄せたというわけでもなかったみたいなんだにゃ。精子提供者とその家族の健康状態や病歴などをもっとも開示していた精子バンクから精子提供を受けたにすぎにゃー側面があるようだにゃ。
つまり、精子バンクが意図していたのは積極的優生学なんだけれど、母親たちのニーズは消極的優生学にあったということなのかもしれにゃーです*1。個々の母親が消極的優生学を志向してしまうことを責めることはできにゃーですね。


僕自身の立場は、公的なもの・共同体が優生学を志向することはとにかく反対。
個々人が優生学を志向することについては容認せざるをえにゃーと考えますにゃ。個々人の積極的優生学志向についてはひたすら愚昧だと考える一方、個々人の消極的優生学志向についてはとても責めることはできにゃーです。それと、個人レベルの優生思想的感覚においては、♂と♀ではだいぶ感覚が違うかもしれにゃーですね。


母親たちは気持ち悪くにゃーんだけど、ここに出てくる♂ども、特に精子提供者のうち2人が気持ちワリイ。
この天才精子バンク(レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス)の運営においては、精子提供者に金銭的な報酬はなかったのだけれど、それだけにいっそう、精子提供者側の動機の気持ち悪さが際立つのですにゃ。
ドナー男性のインタビューを引用しますにゃ。このドナー男性は自分から精子バンクに売り込み(あるノーベル賞受賞者の息子なのでドナーになりやすかった)、遺伝的な意味での子供(もちろん養育する気も認知する気もない)が50人ほどいると語ったあとで、以下のようなことをインタビューで答えていますにゃ。(引用者が適時改段)


精子ドナーになれると知ったとき、これだと思ったのです。私は女性たちを救っているのです。優れた遺伝子で人類を救い、それを残しているのです。」
かれは身を乗り出し、熱気を帯びた声で言った。
「私は進化生物学を学びましたが、これこそ進化そのものです。遺伝子を受け渡すとは勝利することであり、それに失敗すれば負け犬なのです。人間はさまざまなゲームを考えだしました。そこではスコアをあげることが勝利の方法です。」
彼はそんなスポーツの空しさを強調するかのように、しばらく沈黙した。
「しかし世の中の主たるゲームは、いや唯一意味のあるゲームは、進化というゲームです。そこでは遺伝子を受け渡すことが勝利の方法です。」
彼は取り澄ました笑みを浮かべた。
「そして私はそれに勝ちたい!」
これほど気味の悪い言葉は聞いたことがなかった。P91


気持ちワリイよおおおおおおお、怖いよおおおおおおおおお(半泣き


精子バンクから精子の提供を受ける母親を気持ち悪く思えなかった理由というのは、彼女らが自分のお腹を痛めて子を生み、自らの責任で育てるという責任をおっているというところがでかいのではにゃーかと思いますにゃ。自分のお腹をいためて育てる「良い子」が欲しい、という欲求を、それが優生学的なものであると認めたうえで、責めたり馬鹿にしたりはとてもできにゃーです。それに、少なくともこのルポに登場する母親たちは、精子提供者の正体がわかった後においても、自分の子供に誇りを持ち愛していた。タネをどのように手に入れようとも、血と心のつながりがあれば、それはどこにでもいるフツーの母子ですにゃ。
しかしこの♂はなんだ? この気持ち悪さ。彼にとっては精子バンクに登録する母親も生まれるガキも「勝利」のための道具にすぎにゃーではにゃーか。ドーキンスの利己的遺伝子説というのは誤解を受けやすいレトリックにゃんが、彼は利己的遺伝子説の最悪のカリカチュアといえるのかもしれにゃー。


他の精子ドナーの気持ち悪さちゅうか情けなさについては、本をお読みくださいにゃ。ミステリー仕立てのところもあるルポで、ネタばらしをあまりするのは避けておきますにゃー。まともな精子提供者も出てくるし。


遺伝するのは知性だけではなく性格や健康面などもあるわけですにゃ。いわゆる天才といわれるヒトタチが情動面においても安定したヒトタチであったかというと、いろいろと疑問の残るところですよにゃ。実際に、ノーベル賞受賞者のショックリーは、あまりトモダチになりたくにゃー人物にゃんなあ。人種差別主義者で猜疑心が強く、破滅的な人物ですにゃ*2。こういう性格のガキがほしいと思う奇特なヒトはあんまりいにゃーんでにゃーかな。


それに、知性の面では母親の遺伝子が重要で、情動面・身体面では父親の遺伝子が重要であるという仮説もあるらしいですにゃ。*3
また、最近では卵子ビジネスが狂気の沙汰に陥っているという話も紹介されていますにゃ。


中年の夫婦----若者夫婦よりも、より優生学的判断をする傾向が強い----はアイビーリーグの一流校のキャンパスをこれまでにも増して分厚い札束を持って徘徊し、大学の学生紙に広告を出してあれこれ希望条件を並べ立てている。スマートで若い女学生なら、健康な卵子を売って、一万ドル、二万ドル、はては五万ドルもの大金を手にできるようになっているのだ。母親側の遺伝子が生まれてくる子供の知性に関係するという認識が広まれば、この卵子バブルはもっとひどくなるかもしれない。
P329


遺伝子をばらまきたがる♂にしろ、卵子を高額で売る♀にしろ、その情動面に対して僕はとうてい好感をもてにゃーけどな。感情はことによると知性よりも重要な資質だと思うんだけどにゃ。ガキができて僕も保守化しとるかにゃ?


生殖における「身勝手さ」というのは仕方のにゃーものだと僕は思う。うちの三歳児が相棒の腹の中にいるときいろいろと考えたんだけどさ、ガキを作ることも作らにゃーことも、産もうと堕ろそうと、ガキを育てようが捨てようが、どんな選択をしようと何かしらの意味で利己的になっちまうものではにゃーだろうか。
問題は自己の生殖において他者を利用するかどうかなのではにゃーかと思う。「勝利」を目指す精子提供者はその意味で気持ちワリイ。そして代理出産の格別の気持ち悪さは、他者の身体を道具として利用するところにあると僕には感じられる*4


そしてもうひとつ。
他者に危害さえ加えなければ、私的領域において僕たちには愚行権があり、愚かでいる自由があると再三このブログで僕は発言していますにゃ。そして、生殖とは私的領域の核心にあるもののはずだにゃ。ところが、生殖における愚行のツケを払うのは、往々にして愚考をした本人ではなくガキのほうだにゃ。私的領域の真ん真ん中で、愚行権は揺さぶられているんだよにゃ*5


最後に、20世紀初頭のメリケン優生学のすさまじさにはびっくりしましたにゃ。1930年代には過半数の州で「不適格者」の断種が法的に義務づけられていたとは。
しかも、子供に対して断種手術をしていた!


医師 映画は好きかね?
子供 イエス、サー
医師 漫画は好きかね?
子供 イエス、サー
医師 手術されても構わないね?
子供 構いません、サー
医師 よし、じゃあ決まりだ
P62

これが子供に対する断種手術の同意問答として紹介されているにゃ。アタマくらくらくるにゃんな。
そして、メリケン流の優生思想が世界に輸出されましたにゃ。ドイツの優生学者はメリケン流のゲルマン優越主義的優生学にとりわけ夢中になり、メリケン流の考えで優生学教科書を書く。それを読んだのがヒトラーだにゃ。ヒトラーメリケン優生学者にファンレターを送っているとのことですにゃ。
北欧の「福祉国家」の優生思想とその実践については聞いたことがあるけど、根っこはどうやらメリケンみたいにゃんなあ。さすが実験国家だぜ。
生殖に国家が介入する愚行だけは御免被りたいものですにゃ。

  • 追記 19:20

ワトソンの差別発言を報じた記事を見つけたのでリンクしておきますにゃ。
米ノーベル賞科学者が人種差別発言、所属研究所から職務停止処分 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
部分引用


2007年10月20日 09:07 発信地:ニューヨーク/米国
DNAの二重らせん構造の発見が認められ1962年にノーベル医学生理学賞を受賞した米科学者ジェームズ・ワトソン(James D. Watson)博士は19日、英紙とのインタビューで人種差別的な発言を行い騒動を巻き起こしたことを受け、予定されていた英国での新著発売記念ツアーを中止し帰国した。また、博士が所属する研究所は、博士の職務停止を決定した。
中略


 ワトソン博士は、同紙とのインタビューで「アフリカの先行きは暗い」と述べ、その理由を「すべての社会政策は、われわれの知性が等しいとの事実を基礎としている。しかし、さまざまな研究結果はそれを必ずしも肯定していない」と発言した。
中略


■過去にも差別的問題発言

 英国オープン大学Open University)のSteven Rose神経生物学教授は英国放送協会BBC)に対し、「ワトソン博士の軽率な行動および人種主義的、性差別主義的、同性愛差別的な強い攻撃的発言は悪評高い」と指摘する。

 伝えられるところによると、ワトソン博士は、同性愛者の遺伝子を持つ子どもを妊娠している事実が検査の結果で判明可能となれば、女性には堕胎する権利が発生するべきだと述べ、物議を醸したこともあるという。また、遺伝子を修正して人々、特に女性をより美しくできる日が来るとも主張しているという。(c) AFP

*1:積極的優生学=子孫を残すに相応しいと見なされた者がより子孫を残すように奨励する。消極的優生学=子孫を残すに最相応しくないと見なされた者が子孫を残すことを防ぐ。ウィキの記述より

*2:ショックリーについて書かれているところを読みながら「(DNA発見者の)ワトソンと似ているなあ」と思っていたら、訳者後書きでワトソンが人種差別発言ととれる発言をしたとあった(w

*3:あくまで仮説ね。知性だの感情だのという複雑精妙なものが、そんなに単純に父親由来とか母親由来と割り切れるはずもにゃーと思うけれど

*4:関連エントリ効率のよい搾取 - 地下生活者の手遊び

*5:関連エントリ背負うべきは親の愚行ではない - 地下生活者の手遊び