科学は歩む、オカルトへと続く全体論の道を

昨日のエントリで紹介した人間開発指数、人間貧困指数がありますにゃ。UNDP(国連開発計画)の使っている指標について、僕が検索したなかではもっともわかりやすい記述がなされていると判断したので紹介しましたにゃ。論理的に書けているし、目のつけ所も悪くにゃーと思いますにゃ。
ところで、リンクした頁からトップページに跳んでみましょうにゃ。


「そこで我々は信じられないものを目撃したのである」(川口浩探検隊風に)
「ああッ! きくちゆみ先生だ!!」
「これはッ!!! Loose Changeぢゃないかあッッ!!!
 【このドキュメンタリィー(ママ)は世界を変える】だとおッ!」


「にゃんじゃこりゃああああ」(松田優作風に)
9.11陰謀論に感染してやがりますにゃーorz


そういえば、先日のエントリで紹介した新潮社の「進化論の現在」シリーズのひとつ、メイナード=スミス「生物は体のかたちを自分で決める(原題:SHAPING LIFE ---Genes, Embryos and Evolution---)」を読み返してみたら*1、最後におまけ的に「還元主義者は右へ、全体論者は左へ」という1章がありましたにゃ。
乱暴にまとめると


個体発生を研究するにあたり、全体を動的なものとみなす方法と、局所的・還元主義的な方法の2つがある。これは、脳科学研究においても動的システム志向とプログラム志向という似たような方法論の違いがあるようだ。
若い頃のメイナード=スミスはマルキストであり、還元主義的方法を嫌悪していた。一方向からの支配という考え方を毛嫌いしていたのである。もっと協力的で相互的な見方が好きだったのだ。のちにマルキシズムに対して批判的になるにつれ、サイエンスについても還元主義的になっていった。メイナード=スミスの友人においても、全体的なアプローチを好んだものは政治的には左派になる傾向がある。ただし、還元主義者が必ずしも右派だとはいえない。
個体発生を全体的に見ようとすることと政治的に左派とされる見解とは関連があるということには確信がもてる。


以前、反体制運動とオカルト - 地下生活者の手遊びというエントリで

  • キリスト教的な・支配者側の・機械的な、そういう科学というのが「確定性と固定した法則とに探求の目を向けてきた科学」であり、自然破壊と戦争遂行をする「悪しき旧い科学」

  • 不確定で(不確定性原理)・相対的で(相対性理論)・多元的で(エヴェレット解釈)で、つまりはきっと多神教的でエコでしかも心の世界につうじる「良き新しい科学」

という、
主にオカルト、ニューエイジ側からの勝手な科学のイメージの分割についてイイカゲンに述べたけれども、ここでメイナード=スミスが述べているのはまっとうな科学における2種類の対立するアプローチですにゃ。しかも、僕がイイカゲンに述べた「良き新しい科学 と 悪しき旧い科学」のわけ方と、メイナード=スミスのいう「全体論的アプローチ と 還元主義的アプローチ」のわけ方には通底するものがあるように思えますにゃ。実際に、ニューエイジは極端にホーリズムに偏った主張をしていますからにゃ。しかし、全体論的アプローチそのものが疑似科学というわけではにゃー。


レヴィ=ストロースも、科学には2種類の方法があり、ひとつは構造的アプローチであり、もうひとつは還元主義アプローチだ、という旨のことを発言していますにゃ。多分、メイナード=スミスと同じことを言っているのではにゃーかと思う。進化生物学と構造人類学の巨頭がそろって同じようなことを言っているのは実に興味深い。


全体論的アプローチ(ファシズムではなくホーリズム)そのものは決して疑似科学に特有のものではなく、まっとうな科学でもありえるわけですにゃ。しかし、オカルトが一般的にホーリズムであることもまた確かなことですにゃ。ホリスティック医療を検索すると怪しげな代替療法がごろごろあるしにゃ。
ホーリズムにおいては、個々の事象は常に大きな全体における意味のあるピースなのですにゃ。ここから、「呪術思考は全面的な因果性をその公準とする」というストロースの発言を理解すべきなのでしょうにゃ。個々の事象は、大きな物語のなかで必ず何らかの意味を持たなければならにゃーのだから、どんな事象も必ず因果の鎖の中で解釈が可能になるはずなのだにゃ。これはまさに陰謀論の前提となる思考法ですにゃー。
9.11が大きな物語の中の意味あるひとつのピースなのだとしたら、陰謀論がもっとも合理的なのだにゃ。だから個々の要素はその大きな物語に従わねばならにゃーのだ。


まっとうな科学の方法論のひとつである全体論的アプローチは、科学とオカルトとの「地続き」の領域を形成していると考えられますにゃ。グレーゾーンの典型なんでにゃーのかな。
とはいえ、還元主義一辺倒ってのも弱点がいろいろありそうだしにゃー。全体論的視点をすてることはできにゃーと思う。それに、いわゆる科学至上主義って、その中身は還元論至上主義なんでにゃーのかな。

  • 科学がその有効性を保持するためには、オカルトとも地続きでなければならない

っていうことかもしれませんにゃー。


この辺のことを考えながら、
社会生物学論争は「善い科学」についてのいくつもの異なった基準があることを明らかにした。」
という、セーゲルストローレ「社会生物学論争史」の末尾における1節を思いだしたりもしましたにゃ。


  • 付け足し1

以前にも紹介したアドルノF尺度で、そのサンプル集団に「4.06 理系大学生」というのがあるけれど、これは当時の理系大学生が還元主義に偏りがちだったことを示しているのではにゃーだろうか? いまの理系大学生がどうなんだろにゃ。

  • 付け足し2

ユング好きとしては、「全体論的アプローチ=内向的」「還元主義的アプローチ=外向的」と、内向・外向の基本対立のバリエーションにも思えますにゃ。

  • 付け足し3

僕自身は明らかに全体論アプローチへの嗜好があるにゃ。

*1:この書籍自体は、発生生物学と進化生物学とのかかわり、情報ベースの遺伝学と複雑系・自己組織化のどちらを重視するかなどが述べられた小冊子