剥奪の結果としての子殺し


ジュー&マリーの「戦後日本の殺人の動向」におけるもうひとつの論点は、日本においては実の母親による嬰児殺しが多く行われていることでしたにゃ。
では、以下にサマリーを


ハミルトンの血縁淘汰の理論によれば*1、同祖遺伝子を共有する血縁者間には協力行動が生じやすく、攻撃的にはなりにくいはずである。事実、世界的に見て、殺人のほとんどは非血縁者どうしのものであり、遺伝子を共有しあうものが殺し合うことは少ない。


ところが、日本では、殺人者と被害者の間の平均血縁度(血縁度rとはある遺伝子に注目した場合にその遺伝子を二個体が共有している確率と言うことができる。倍数体の生物(ヒトなど)の親子では、ある遺伝子が親子間で共有されている可能性は50%である。これを0.5と表す。兄妹間も同じ0.5、祖父母や叔父叔母に対しては0.25、いとこ同士は0.125となる。一卵性双生児の兄妹は1である。また自分自身も1と見なす。以上、Wikipedia より:要約者注)が、諸外国の例に比較して高い。
1955年の780例の判例資料から平均血縁度を算出したところ、r=0.13だった。また、1990〜94年の犯罪統計(3000件以上)からもとめた推定値はr=0.10。
これらはいずれも、古今東西の9文化で同じ値を求めたDALYとWILSONの先行報告(r=0.01〜0.09)より高い。

  • 図2 殺害者と被害者の関係

1972年のデトロイトでは、被害者は知人、見知らぬ人、家族・親族の順で、血縁者間の殺人は全体の8%にすぎない。しかし、日本のデータではそれぞれ約40%、約25%を血縁者間殺人が占める。

  • 図3 日本における身内殺人の被害者内訳

日本における血縁者間殺人を押し上げている要因が子殺しであることは図3から一目瞭然。そして、日本の子殺しの中でもっとも多いのが、実の母親による嬰児殺しであった。
例えば、1974〜83年のカナダでは、出生した100万人の1歳未満の乳幼児のうち、母親によって殺される率は約24人。対して日本では、1955〜80年におけるそれは90〜120人となる。
日本での嬰児殺人率は1980年代半ばから急減した(約40人)が、それでも殺人全般の減少率に比べて鈍い。とくに、他の殺人がコンスタントに減少した70年代には増加傾向すら示した。(ここにデータがあります:要約者注)
別の角度から見ると、日本人が一生のうちでもっとも殺されやすい時期は出生直後ということになる。1980年代までのこの数字は、現代アメリカの平均殺人率に匹敵していた。


進化生物学的には、子殺しや育児放棄については特別な理由があると考えられる。
1)その子の生存確率が低く、世話をしてもいずれ死んでしまう確率が高い場合
2)必ずしもその子の生存確率が低くなくても、将来、よりよい条件での配偶が見込まれ、将来の子育てに投資したほうが長期的には有利となる場合など
人間社会でも古来さまざまな文化で子殺しが行われてきた。ヒトの母親による実子殺しの理由を分類すると
1)子が奇形、病気、病弱である。双子である。
2)出産間隔があまりにも短く、上の子の生存を危うくする。
3)貧困
4)父親が不確か、または不倫の子で、父親を含む周囲からの養育援助が見込まれない
などが主な理由であり、これらは動物一般における子殺しや養育放棄の原因とほぼ同じである。


では、日本における母親の嬰児殺しの原因は何か?
そのもっとも多い原因は、子が非嫡出子であり、父親からの養育援助が受けられないことである。1955年の判例資料では、780件中52件の母親による嬰児殺しが含まれ、そのうちの56%にあたる29件で、殺された子が非嫡出子だった。当時の出生数における非嫡出子の占める割合が1.7%であったことを考慮すると、非嫡出子は期待値に比べ30倍以上も殺されたことになる。
より具体的に判例資料から母親の動機を調べると「恥だから(20例)」「援助がないから(13例)」「貧しいから(9例)」というものだった。婚外出産が社会的に受け入れられず、それに貧しさが加わったときに子が殺されやすいことがわかる。配偶者がいる母親が嬰児を殺した場合の動機も、「夫に逃げられたから」「貧しいから」というものが大半であった。1990年代の資料についても、同様の傾向である。


日本での母親の嬰児殺しが多い社会的背景を考察する。
まず、日本ではシングルマザーが社会的に認められず、社会的サポートがほとんどないこと。
次に、女性の側の望まない出産が多いことも無視できない。日本の中絶率は諸外国に比べて突出して高い。厚生省統計(1950〜90年)によると、わが国は出産数に対して35〜70%もの中絶が行われてきた。経済的理由などで中絶のタイミングを逸した母親によって嬰児殺しが行われていると考えるならば、嬰児殺しは中絶の延長線上の行為であるとすらいえる。
ピルの認可が遅れたことも、女性の側の生殖決定権が与えられなかった大きな原因となっている。1980年代後半以降、日本の子殺し率は減少傾向にあるが、皮肉にもエイズ防止キャンペーンでコンドーム利用が浸透したことと符合している(つまり、男性側の自衛が子殺しを減少させたのであり、女性の性的自己決定権が尊重されたからではない、ということか。要約者注)
最後に、日本における子殺しの量刑が甘く、抑止効果が弱いということもある。嬰児殺しの判決では、執行猶予がつく場合がほとんどであり、これは欧米ではまず見られない。


子殺しは、生物学的な解釈が有効性をもちうる現象であるが、具体的に子殺しが生じる状況を大きく規定しているのは文化的要因である。日本には母子密着感情を肯定する文化があり、それは確かに評価すべき側面もあるが、その一方で母親が子の生存権を著しく侵害している事実はほとんど認識されていないのではないか*2


サマリーここまで。
ちゅうわけで、クイズ「猫まっしぐら」2回目も、見事に最初の答えが正解となっておりますにゃ。お見事>黒影。次はムツカチイの出してやる。
このあたりの進化心理学的なところをもっと知りたい向きには、この書籍をお薦めしておきますにゃ。著者はジュー&マリーね。

進化と人間行動

進化と人間行動


ところで、アマルティア・セン「貧困の克服」P30にこんな記述がありますにゃ。


出産や育児を過度に繰り返すことによって、若い母親たちの福利や自由が奪われてしまうことがよくあります。事実、家庭外での雇用や学校教育の拡大などを通じて、女性たちのエンパワーメント(力をつけること)が確立されると、出生率が低下するという結果は、まさにこの相互関係によって生み出されたものです。
若い女性たちには出産を抑制したいと思う強い動機があり、また、彼女たちのエンパワーメントの確立によって、家庭内の意思決定を左右する能力も大きくなるためです。別のところでも論じましたが、中国の出生率の低下もまた、1979年に導入された、「一人っ子」政策その他の厳しい法規制や経済的罰則などの懲罰規定によるものというよりもむしろ、女子教育の普及や雇用拡大の結果でした。

生涯出生数が2を切るほどの少子化は進化生物学的にはすっきりした説明は僕の知る限りいまのところにゃーのですが、潜在的繁殖速度とか生涯繁殖成功度などに性差があることから*3、♀が出産を抑える傾向があることは予測できますにゃ。♀が社会的に力をつけることと出生数とは進化心理学的に関連があることは確かだろうけど、どれだけ進化心理学で説明できるかはにゃんともいえにゃーわけです。
ただし、
「戦後日本の殺人の動向」で嬰児殺しの社会的背景として考察されている諸事情は、厚生経済学開発経済学の俎上にのるものに思えますにゃ。具体的にいうと、日本における母親の嬰児殺しは、「剥奪」のひとつの帰結ではにゃーかと僕は考えますにゃ。


で、剥奪とはそもそも何か? これは引用部のエンパワーメントの反意語で、一橋大学政策大学院 公共経済事例研究「社会保障政策論」第12回講義(概要メモ)によると


相対的剥奪(Relative Deprivation)とは
 「人々が社会で通常手にいれることのできる栄養、衣服、住宅、居住設備、就労、環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いていたり、一般に経験されているか享受されている雇用、職業、教育、レクリエーション、家族での活動、社会活動や社会関係に参加できない、ないしはアクセスできない」(Townsend 1993, p.94)状態のこと、つまり、端的にいえば、“decent life(まっとうな生活)”を送れない状態のこと。


乱暴にいえば、剥奪とは通常利用可能な財・資源にアクセスできないことですにゃ。
引用元では、現在の日本では「世帯所得400~500万円を閾値として、その水準以下で相対的剥奪指標が急増する」とのことであり、http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07101702.cfm児童扶養手当などを含めた平均年収は213万円と、多くの母子世帯では「剥奪」状態であるといっていいでしょうにゃ。ひとり親世帯のこどもの貧困率、57.3%あたりも参考にしておきたいにゃ*4


「子が非嫡出子であり、父親からの養育援助が受けられないこと」「社会的に非嫡出子が排除されること(=非嫡出子は恥)」が日本における嬰児殺しの主要原因であるとしたら

  • 子育てをする母親が、財・資源へのアクセスを断たれたとき(=剥奪状態)、嬰児殺しがおきやすくなる

と、進化生物学の考察を厚生経済学開発経済学の語彙にのせることができるのではにゃーだろうか? 


さらに、「女性の側の望まない出産が多いことも無視できない。」というジュー&マリーの指摘を考慮してみるにゃ。ここで、国連開発計画(UNDP)が開発した指標である、人間開発指数HDI)、人間貧困指数(HPI)、ジェンダーエンパワーメント測定(GEM)などにご登場願いますにゃ。これらの指標についてはここの記事が非常に参考になるので是非ともご参照のほどを。
この記事からそれぞれの指数がどのようなものかを一応引用しておきますにゃ。

合成指数であるHDIは、人間開発の3つの基本的側面(寿命、知識、生活水準)を通して各国の平均的達成度を測定したもの。この3つの側面を表すものとして、平均寿命、教育達成度(成人識字率と初等・中等・高等教育就学率を加えたもの)、1人当たり実質国内総生産の3つの変数が使われている」(97年版 

  • 人間貧困指数ー2(HPIー2)」

HP1ー2 今年の報告書から導入されたもので、先進国の人間貧困を測定するものである。・・・HPIー1と同じ3つの側面に加えて社会的疎外の状況に焦点を当てている。変数は、60歳未満で死亡すると見られる人の割合、識字能力が十分とはいえない人の割合、可処分所得が中央値の50%未満の人の割合、そして長期失業者(12ヵ月以上)の割合である」(P21)。HPIー2は、先進国の国内格差すなわち国内の富の不平等な配分の程度を示している。(つまり、剥奪の度合いの指標である:引用者注)

女性が経済的、政治的生活に積極的に参加できるかどうかを表す。社全参加に焦点を絞り、政治経済への参加や意思決定の主な領域におけるジェンダー不平等を測定している。国会、行政職、管理職、専門職および技術者に占める女性の比率、および男性の勤労所得に対する女性の勤労所得の比率を追跡している。(経済的・政治的実力を背景とした女性の発言権だと考えてよいように思う:引用者注)


GDPだけでなく、こうした指標で各国を見ると非常にオモチロイ。HPI-2 ではメリケンはずっとビリ独走みたいにゃんからな(げらげら。
とはいえ、メリケンの悪口をいっていられる状況ではにゃーのだ。http://aerowm.org/gender/rank_gender2007.htmを見てもらいましょうにゃ。日本はHDIにおいては北欧諸国につぐ上位(8位/177カ国)だけど、GEMにおいては54位/93カ国と、とても先進国ですといえる状況ではにゃーんだな。GEMが低いということは、♀の生活において容易に剥奪状態が訪れるということだにゃ。
で、このGEMは公的・社会的な女性の地位を表す指標なんだけど、これは当然のことながら私生活にも影響すると考えられますにゃ。つまり、私的領域における女性の自己決定権が尊重されていにゃーと考えられますにゃ。ここが、ジュー&マリーの指摘する、
「望まぬ妊娠が多い」→「中絶が多い」→「望まぬ出産が多い」→「嬰児殺しが多い」
という陰惨な連鎖に直結するのではにゃーのか?


結論として、戦後日本の殺人率が一貫して下がっていったことについては、HDIの改善と連動しており、飛び抜けて多い嬰児殺しがあまり改善されてこなかったのはGEMがあまりにも低かったからではにゃーかと乱暴に言ってみるにゃ。また、貧困とは剥奪状態のことですにゃ。先のサマリーで殺人率上昇と希望のなさの相関関係を述べたのだけれど、剥奪という言葉は、この希望のなさをよく表している言葉であるとも思いますにゃ。
剥奪状態にあるときに、ヒトはヒトを殺してしまうことが多くなるのだということを僕たちは肝に銘じておかにゃーとな。考えてみれば、戦場における兵士も完全な剥奪状態にあるといえるし。


最後に、貧困問題を財・資源へのアクセス遮断と厚生経済学開発経済学的に定式化すれば、進化生物学は貧困問題に対しても重要な理論的貢献をなしうるのではにゃーだろうか?

*1:これが社会生物学進化心理学、利己的遺伝子説などのコア。wikipedia:血縁選択説wikipedia:社会生物学などを参照のこと

*2:実はこのあたりの議論は河合隼雄によってなされている。ユング心理学における元型のひとつ、グレートマザーの暗黒面は我が子をのみこむ存在ですにゃ

*3:「進化と人間行動」の9章〜10章を参照してくださいにゃ

*4:記事にトラバできにゃーので、id:Apeman、とIDコールしておく