僕は死にましぇーん

追加というかにゃんというか


エリアーデの「オカルティズム・魔術・文化流行」を読んでいて次のような一節がありましたにゃ(P63)


いかなる伝統的文化においても、死が祝福と見なされることはない。それどころか、古代的社会では、いまだに人間の永遠性の観念を見出すことができる。すなわち人はもはや不死身ではないとしても、敵対者が彼の命を終わらせない限り無限に生きることができる、という確信である。つまり、自然死というものは全く考えられない。祖先が偶発事や悪魔的陰謀によって不死性を喪失したように、人がやがて死ぬのも、呪術や死霊、あるいは他の超自然的攻撃者の犠牲となるからである。


この一節を読んで、最近の医療事故訴訟を連想してしまいましたにゃ。司法までもがこうした呪術的感覚で人間の生死を見ているのではにゃーのか?
「全面的な因果性をその公準とする(by レヴィ=ストロース)」呪術的思考においては、死に明確な因果性を措定するのは当然かもしれませんけどにゃ。陰謀論というのは、常に因果性が明確であるともいえますにゃん。ここでは死は陰謀論的に解釈されてしまうにゃんね。
そのとき、どうやって死者を悼めばよいのでしょうにゃ。そこには復讐しかにゃーのだが。