チンパンジーの子殺しとカニバリズム(4

チンプの子殺しとカニバリズムについて、伊谷氏は以下のようにいっていますにゃ。P678


わたしはこれは一種の儀式ではないかと思っているんです。カニバリズムはオスたちの連帯の象徴として行われる行為ではないのか。そうしてみると、カニバルの犠牲者は、結社の結合のための聖なる生贄のようなものではないかと思えるのです。
初期人類の化石の中に、カニバルの痕跡がたくさん発見されていますね。私はあれは、当時の人類が食習慣としてカニバルをやっていたということではないと思う。何らかの社会構造上の要請がしからしめた、儀礼カニバルだったと思うんです。チンパンジーカニバルも、それにきわめて近いものではないのか。我々はここに、人類社会のもう一つの特徴である儀礼(リチュアル)の発生の原初的な形態を見ているのではないかと考えてるんです。


前回のエントリから今回の伊谷氏の発言を見て、「チンプを擬人化しすぎじゃねえの?」と思った向きもあろうかと思いますにゃ。しかし、霊長類の研究者に共通する見解として、ボノボ、チンプ、ゴリラ、オランウータンなどの霊長類の知的能力には驚嘆すべきものがあるそうですにゃ。知れば知るほどその知的能力の高さに驚くのだと。そして、その感情生活についても、ぶっちゃけヒトとそんなに変わらないんじゃないかと感じている研究者もいるようにゃんね。

紹介している「サル学の現在」は1991年出版と20年近く前に出版されたものにゃんが、チンプの子殺しとカニバリズムについては、いまもってよくわかっていにゃーようで*1、その意味では紹介したあたりはそんなに古くて意味のにゃー内容でもにゃーとは思っていますにゃ。


で、チンプの子殺しとカニバリズムについての知見が、この本が出版されたころからそれほど劇的に変わらにゃーというド素人の仮定に基づいてイイカゲンに発言いたしますにゃ。
社会生物学っていうガクモンを僕は非常に高く評価しているし、E.O.ウィルソン(とかハミルトンとかいう虫屋さん)は大好きだし尊敬もしているのだけれど、社会生物学あるいは進化心理学の方法論では霊長類のカニバリズムはよくわかんにゃーというか、相性がよくにゃーのではにゃーだろうか?*2

ことはチンプの「心」なんですよにゃ。子殺しとカニバルを最初に観察した高畠氏は以下のように言っていますにゃ。P405


「こういう研究をやっていて、やっぱり本当に知りたいのは、子殺しにかぎらず、彼らの心の中が本当のところどうなってるのかということなんですね。いろんな行動をする中で、彼らは言語表現はできないけど、いろんなことを感じたり、考えたり、記憶したりしているわけでしょう。そこが知りたいけどわからない。そのもどかしさをいつも感じますね」

ニホンザルのオスの群れ落ちに関して、伊谷氏は以下のように語っていますにゃ。P665


「なぜ群れを捨てたのかといいう動機ね。それはよくわからないんです。サルに話を聞くわけにはいかないから、内的動機はわからない。それがニホンザルのオスの一般的な生き方なんだとか、それによってニホンザルの群れの構造は保たれているんだとか、現象論的な説明、結果論的な説明はできるんですよ。だけど群れを去るサルの心の中ね、それがどうなっているのか、一番知りたいところなんだけどわからない。現象はわかってきたけど、ここにはまだ深い謎がある。」


前々回のエントリで紹介した今西のアイデンティフィケーション理論にゃんが、これを読んで疑似科学っぽいと思ったお方もいるとは思いますにゃ。しかし、高畠氏や伊谷氏がここでいっているような意味でのサルの「心」を説明する理論として、アイデンティフィケーション理論のような、一見すると疑似科学っぽい思弁的な理論でなければ説明できにゃーのではにゃーのだろうか*3。それともサルを擬人化して「心」を知ろうとする試みそのものが自然科学になりえにゃーのだろうか?
禁欲的であることが自然科学の美点であることに疑いはにゃーが、禁欲的であることと「痩せている」ことは違うのではにゃーのか?

近年の観察例では、チンプの群れ間の抗争で、殺した敵を食うというカニバリズムもあるようで(どっかで読んだ。出典だせませんので眉に唾つけといて)、僕にはチンプのしていることが呪術の萌芽のような気がして仕方にゃー。完全な植物食であるゴリラが、子どもを殺して食ったというのも呪術の始まりに思えてしまうのだにゃ。

しかしやっぱりサルの「心」というものは自然科学では扱いにくいのかもしれにゃーですね。
なぜなら


人間から見れば、猿は何だろう? 哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずなのだ。哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みに。

あなたがたは虫から人間への道をたどってきた。そしてあなたがたの多くのものはまだ虫だ。かつてあなたがたは猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿よりも以上に猿である。

岩波文庫版「ツァラトゥストラはこういった」P14

*1:僕の検索能力が低くて勘違いしているだけかもしれにゃー。このあたりの事情をご存知の方がいたらお教えくださいにゃ。

*2:竹内久美子ならチンプのカニバリズムの適応的意義をでっちあげることができるだろうか?

*3:高畠氏や伊谷氏の発言から、僕は人類学や社会学の研究者の懊悩を連想したにゃ。ニンゲンって、しゃべれるから本当のことをいうわけでもにゃーし、本当のことをいっているつもりでもそうとは限らにゃーことはよくあるんだよね