ICRP陰謀論のごときものについて

宗教学者島薗進氏が、ツイッター上で『放射線被曝の歴史』(中川保雄著)という書籍を紹介していたので、これには注目しておりましたにゃ。島薗氏はこの書籍の結論部をブログで紹介されていますにゃー。


価値の高いと思われる絶版本をブログで公開していただけるのは実にありがたいことだと感謝ですにゃ。
ただ
紹介されている放射線被曝の許容量基準が変遷してきたことの理由について、僕の知っていることと少なからず齟齬があるので、カウンターの情報をここに掲載させていただきたく思いますにゃー。

ICRPの性格について


2)核兵器開発・核軍拡政策にそう被曝管理を最大の目的とした時期(1950-58年)

アメリ原子力委員会の主導の下に国際放射線防護委員会(ICRP)が作られ、戦後の国際的被曝防護体制が再編成された。核兵器放射線による遺 伝的影響の問題が、社会的かつ科学的に大問題となり、「安全線量」の存在を認める耐用線量の考えは放棄せざるを得なかった。しかし、新たに導入された「許容線量」の考え方でごまかしがはかられ、「安全線量」が実際には存在するかのように宣伝された。」


中川保雄『放射線被曝の歴史』に学ぶ(1) | 島薗進・宗教学とその周辺


とありますにゃ。これではまるでICRPメリケン原子力核兵器産業利権の下請けみたいにゃんな。
ここがそもそも僕の知っていることと違う。違うので紹介しますにゃ。


1928年の国際放射線学会の第二回総会で、国家代表でなく、その方面の専門家の個人的な集まりという形で委員会が組織され、放射線防護の基礎的な指針を各国に勧告する作業をはじめた。これがいま有名になっている国際放射線防護委員会(略称ICRP)のはじまりである。


武谷三男編「安全性の考え方」(岩波新書。1967年刊・絶版)P121


もちろん、その起原は専門家の個人的な集まりだったが、正式な組織化をされるときにはアメリ原子力委員会の主導の下にあった、ということもありえる話ですにゃ。実際にはそんなところかもしれにゃーですね。


「許容線量」概念の意味合いについて

ところが、先程引用した
「 しかし、新たに導入された「許容線量」の考え方でごまかしがはかられ」
という記述は明らかに武谷の言っていることと矛盾するのですにゃ。


そもそも【社会的な概念としての許容量】は日本の核物理学者・武谷三男日本学術会議のシンポジウムで提唱したものですにゃー。ではその概念が提唱された経緯はどういうものであったか?
1950年代初頭の放射線被曝の許容量概念は、いわゆる「閾値(しきいち)」と同じ、つまりそれ以下では被害が生じないものだとされていましたにゃ。ところが、放射線が人体に与える影響について新しい知見がどんどんと加わり、また、広島・長崎の被爆者には何年も健康ですごした後に原爆症を発症する例が多数いる事実も確認されましたにゃ。白血病の発症率が放射線被曝量に比例して増大することが知られ、微量の放射線により遺伝障害が起こり得ることも知られてきますにゃ。
ここに至って、日本の良心的な科学者は【閾値としての許容量】という考え方を放棄し、武谷三男が【社会的な概念としての許容量】を提唱するのですにゃ。



放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。


その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラス もある。そこで、有害さとひきかえに、有利さを得るバランスを考えて、【どこまで有害さをがまんするかの量】が、許容量というものである。


つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。


P123  引用者が適時改段


この【社会的な概念としての許容量】が政治的に持ち得た意味は何だったか? 
その帰結は

  • 原水爆実験(特に地上における)の激減

なのですにゃー。
原水爆実験という原子力の軍事利用が人間の生活にとって無意味である以上、低線量といえども放射線被曝を強いられるいわれなどどこにもにゃーわけだ。言い方をかえれば、原水爆実験に許容量など存在しえない、ということになりますにゃ。
武谷三男の【社会的な概念としての許容量】という考え方は原水爆反対運動に理論的な根拠を与え、

この運動が日本国民の原爆ヒステリーだという米国の非難と闘うことができた。
同 P124


これらの記述は、「新たに導入された「許容線量」の考え方でごまかしがはかられ」という中川保雄氏との記述と真っ向から対立いたしますにゃー。

「許容量」概念の変遷について

また、中川によると、許容量概念の変遷は以下のようになりますにゃ。


四、被曝を人々に強いる側がその都合に合わせて基準を定めてきた歴史p202-3


「ヒバクとその防護の歴史においておさえられるべきことは、まず第一に核兵器の開発と核軍拡、および原子力開発とその推進策が、世界の各地でいろい ろな種類の、膨大な数にのぼるヒバクシャを生みだしてきたことである。第二に、その犠牲の上に核・原子力を進めてきた当の国家や原子力産業が、その推進策 に添う放射線防護策をも作り上げてきたことである。第三に、その被曝防護策の基礎にあるのは、放射線被曝による生物・医学的影響に関する科学的評価である が、それもまた、ヒバクの犠牲を強いる人たちによって、自らの利益にかなうようなやり方で評価されてきたということである。


今日の放射線防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ひばくがやむをえないもので、我慢して受忍すべ きものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。


しかし、この歴史の実態と真実は、これまで明らかにされることはほとんどなかった。なぜなら、「放射線防護」に関するほとんどすべての解説や説明 が、ヒバクを強制する側の人々によってもっぱら書かれてきたからである。ヒバクを押しつけられ、犠牲を強いられる人々の側から、ヒバク防護の歴史が語られ ることはこれまでなかったのである。


その結果、上のような基本的性格を持つ放射線防護基準が、「国際的権威」とされるICRPによって「科学の進歩によりなされた権威ある」国際勧告として示 され、それを受けた形で原子力推進派がそれぞれの国々の法体系の中にその国際勧告を採り入れるという仕組みが築き上げられてきたのである。


中川保雄『放射線被曝の歴史』に学ぶ(1) | 島薗進・宗教学とその周辺


このあたりについても、やはり「安全性の考え方」と付きあわせてみましょうにゃー。


国際的な会合へ出席した日本の科学者は、全国民の原水爆禁止のよびごえに支えられて、許容量理論と死の灰の測定結果とを出して奮闘した。このような活動がしだいに実って、許容量の考え方も日本のものにきわめて近いものにだんだんに移ってきた。
ICRPは年を追って許容量勧告を次々に出していったが、それを見てゆくと考えの変化を見ることができる。


1954年には、許容量は

現在得られている知識に照らして、生涯のいずれの時期にも感知されうる程度の身体障害を起こさないと思われる放射線

と定義されている。


最近の1956年の新勧告では、許容量が、放射線のもたらす利益と危険度のバランスによってきまることを強調するとともに、最大許容量という表現が必ずしも適当でないことさえ認めている。最大許容量の数字は昔の10分の1にまで年を追って低くなってきたばかりでなく、その基本的な考え方で、武谷氏の理論がほとんど全面的にうけ入れられていることを知るのである。


許容量概念の変遷は、

  • 中川によれば「核・原子力を進めてきた当の国家や原子力産業が、その推進策に添う放射線防護策をも作り上げてきた」結果
  • 武谷によれば「 全国民の原水爆禁止のよびごえに支えられて、許容量理論と死の灰の測定結果とを出して奮闘した」結果

ということになりますにゃん。
で、僕は武谷の見方を支持しますにゃ。
理由は、

  • 放射線被曝の許容量は一貫して下がり続けている


「核・原子力を進めてきた当の国家や原子力産業が、その推進策に添う放射線防護策をも作り上げてきた」のなら、国家や原子力産業の都合の良いように被曝許容量が増大してきたはずだにゃ。しかし、現実には1950年代から現在まで、一貫して許容量は厳しくなり続けているんだにゃー*1


武谷三男という学者は、戦前には反ファシズム活動で二度も検挙され、戦後は原水爆や公害に反対して活動し、実績を残している学者だにゃ。つまり「親米」や「御用学者」というスタンスには程遠い学者にゃんね。そして、反核運動ICRP勧告の策定についての生き証人でもあるわけだにゃ。
こういう学者の言っていることと真っ向から矛盾するうえに、実際に被曝基準値が下がり続けているという事実を併せて考えると、中川のICRPに対する評価はだいぶ偏っているのではにゃーかと思われるのですにゃ。

他の機関の見解との整合性

これはブログ記事を書いた島薗氏にも聞いてみたいところなんだけど、仮にICRPが中川のいうとおりに「核・原子力を進めてきた当の国家や原子力産業が、その推進策に添う放射線防護策をも作り上げてきた」組織だとして、それではWHO(世界保健機関)やUNSCEAR(国連科学委員会)などの他の国際機関、あるいは各国の疫学、放射線医学などの学会がICRPの提唱しているモデルを原則的に承認しているのはどういうことなんでしょうかにゃ? これらの諸機関や諸学会には、健康状態や疾病などについてのデータがガンガンあがってくるはずだから、ICRPの言っていることがおかしければそれらのデータと整合性がとれなくなってくるんでにゃーの?
いろんな国際機関や各国の学会はみな「御用学者」の巣窟で、原発マフィアの鼻薬をかがされているんだろか? 


ICRP勧告の基準値は、疫学データに基づいて算出されており、原則的にデータは公開されているわけですにゃ。こういうデータを検討できる能力をもった人はたくさんおり、その中には市民よりの献身的な人もいるだろうし、あるいは野心をもった人もいるでしょうにゃー。
もし仮にICRPの基準値を算出する基になったデータ解釈に偏向があったとしたら、市民よりの献身的な学者がこれらのデータを見逃すことはなく、野心をもった学者がこれらのデータ不備をつくことで影響力を増そうとする、ということになるのではにゃーでしょうか?


科学的なことがらというのは、公開して討論するという基本が押さえられてさえいれば、恣意的で偏向した解釈が大手をふってまかりとおるということはおこりにくいものなのですにゃ。もし国際機関が恣意的で偏向した見解を出していたら、その地位をねらう野心的な学者にとっては実にオイシイ話にゃんねえ。能力が高く、それゆえ野心的な連中はかならずおり、彼らを科学的議論の場からすべて排除することなんてできるわけがにゃーのだ。


個々の科学者のモチーフは良心でも野心でもいいわけだにゃ。科学ってのはそういう個々の勝手な思いで駆動していくわけで、それこそ科学が信用に値するところですにゃ。
他の国際機関や、諸学会がICRPのモデルや勧告を基本的にうけ入れられているってのはでかいと思うんだけどにゃー。

結論

紹介された部分で判断する限り、中川保雄「放射線被曝の歴史」最終部分のICRPによる防護基準への評価は信頼に値しない。特に「新たに導入された「許容線量」の考え方でごまかし」「原発推進策に添うように被曝防護の考え方を手直しするため、リスク-ベネフィット論を導入し、リスクの「科学的」過小評価と社会的利益(ベネフィット)の強調で、許容線量被曝の受忍を被曝労働者のみならず一般人にも迫った」あたりの記述はひどい。率直にいって、【ICRP陰謀論】のごときものを感じる。
他にもICRP不信の論調を一部に見るが、陰謀論的思考で組み立ててられておりあまり根拠が無いように思える。

*1:1934年には、職業被曝の基準値が「1週間につき1レム」(=約500mSv/年)で、積算被曝量という概念もなかったようだ