反省会


先程愛媛県警生活安全課より電話がありましたので報告します。

RAH体験談の投稿者の確認が取れた

主治医の氏名も確認が取れた

当該児童は医療機関を受診済み

投稿者は今回の件に関して、全国の皆さまをお騒がせして申し訳なかったと反省している

愛媛ホメオパシー事件報告 | Ego caedo, ergo sum


ということで、とりあえずほっとしましたにゃ。よかたー。


では前回エントリの反省会だ。推敲せずだらだらいくぞ。


事件を知ったのは15日の夜のことであり、公的機関は動いていない状態で何か自分にできることはにゃーかということで、報道機関への情報提供を思いつきましたにゃ。報道機関からの働きかけであれば、関係諸機関も動きがよくなるのでにゃーかとも考えた。
要は、関係諸機関へのパイプが太いところへ情報を流して、そこで動いてくれることを期待していたわけですにゃ。
また
ホメオパシーの危険性についてマスコミに意識してもらうことは有益であるという計算も確かにありましたにゃ。
まあこのへんはいいだろ。


自分の行動に疑問符をつけるとすれば、メール・ファックス内容を公開してテンプレ化し、情報提供を「煽った」という手法でしょうにゃ。ブコメでは「報道機関や関係諸機関にコネクションのある方は、この記事をテンプレとして使ってください」と書いてはあり、いわゆるチェーンメール化の可能性を考慮して抑制してにゃーわけではにゃーのだが、結果的に情報提供を「煽った」と言われても仕方がにゃーかもしれにゃー。


これは、僕よりもパイプの太い情報提供先をネット上での誰かが知っているかもしれにゃーという希望がありましたにゃ。次に、同様の事態がおこることをなるべく防ぎたいということもありましたにゃ。ホメオパシーの危険性はあらゆる機会をとらえていうべきだとも考えていますしにゃ。
それで、送信内容を公開したわけにゃんね。


つまり、いわゆるネットの「集合知」と「情報拡散」を使おうとしたということなんだけどにゃ。「集合知」「情報拡散」を恃むというのは、根っこのところではチェーンメールと同じなのかもしれにゃー。
緊急性の高いと感じられるトピックについてネット上で何か具体的な行動をとろうとすると、「チェーンメールに潜む何か」から距離をとるのはムツカシイ。個にゃん的には「チェーンメールに潜む何か」を嫌っていたつもりであるのに、そこに突っ込んでしまったような気がして座りがワリイ。まるで直径1センチのイボジができてしまったように座りがワリイ。


ネットとつきあっていくのであれば、「チェーンメールに潜む何か」のことをちゃんと考えていかなければならにゃーだろう。今まで僕は「嫌い」で済ませていたようだにゃ。だから直径2センチのイボジができてしまったように座りがワリイ思いをすることになるんだよにゃ。


児童相談所に通報したd:id:lets_skeptic
「客観的に考えれば、今回の連絡が単なる自己満足にしかならないだろうとも思ったのだが、論理よりも感情で動いた。」
といっていますにゃ*1
僕も感情で動きましたにゃ。何もしなかったら眠れなかった。


感情で動くのが悪いと思っているわけではにゃー。
近所でガキが虐待されていたら、それを何とかしようと思うのは当然ですにゃ。ネットで医療ネグレクトが可視化されると、虐待されている近所のガキをなんとかしたいという感情と同様の感情がでてくるでしょうにゃ。これは断じて悪しきことではにゃー。こうした感情を資源として生かす方法を考えるべきなのだにゃ。


何が最善かをうじうじ考えているよりは、感情にまかせて現実の行動を選択するほうがいいと僕は確信しているし、それを偽善といわれるにしても、結果オーライなら偽善と「真の善」の区別をする必要はにゃー。
なんかやる奴は偽善者だってことでいいんでにゃーの? 偽悪よりぜんぜんマシ。僕は偽善者であることをやめるつもりはにゃーよ。偽善をするとメシが美味くなるわけではにゃーが、偽善もしにゃーとメシが不味い。


ただ、やるならなるべく効果的に、現場の足を引っぱらにゃーようにやらにゃーと。
例えば今回のように、

  • 医療ネグレクトと思われる事例をネット上で見つけた場合、どのような対応をするのが効果的なのか

について普段から考えておく必要があるでしょうにゃ。僕はちゃんと考えてなかった。だから、直径3センチのイボジができたくらいに座りのワリイ思いをしているということだにゃ。
あるいは
「このような場合にはこのような対応を」という対策を練るのにネットの「集合知」を恃むべきなのかもしれにゃー。その上で緊急性の高い事例において、「チェーンメールに潜む何か」をあえて使うという選択もあるのかもしれにゃー。


昨日のエントリに賛同して行動していただいた方々は、これを読んで不快に感じているかもしれにゃー。みにゃさまには感謝しているし、その行動をおとしめるつもりは微塵もにゃーのです。
ただ、昨日のエントリを書いているその時からひっかかっているものがあり、それがイボジとなって刻々と大きくなっており、このままでは僕のケツが持たにゃーんです。とっちらかってまとまってにゃーものを、あえてそのままあげておこうかと考える次第ですにゃ。


なんにしろ、普段から考えてにゃーのに行動しようとするからダメなんだにゃ。
「哲学は死の練習である」というソクラテスの言葉はつくづく真理だよ。


暫定的な結論ね。

  • あの時点での選択としてやらないよりはマシだったと思う。が、批判は歓迎する。
  • またこういう事例を見たら、僕は何かやるつもりだ。ガキに何かあるのは本当に嫌だ。
  • その時に今回よりもうまくやるために、もうちょっと考えておく。よいやり方をいっしょに考えてください。


ああ、そうそう。書きわすれてたけど大事なこと。
今回の事例では母親のケアもちゃんと考えにゃーと。どうやら母親が「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪するといういつものパターンになっているようで気になりますにゃ。
ホメジャなどのホメオパシー団体は、悪質なカルトといっていいという認識はちょっとずつ広まっているとは思いますにゃ。ただし、反社会カルトとしてのホメオパシー - 地下生活者の手遊びというエントリで書いたとおり、ホメオパシー団体を悪質なカルトとみなすのであれば、「末端信者」はあくまで被害者であり、馬鹿にしたり非難してはならにゃーというのは大事だと考えますにゃ。