なぜ僕が美少女戦士になりたかったのか?

撫でたい、さすりたい、のに・・・

ニンゲン、自分にとっていとおしいと感じられるものは撫でたりさすったり頬ずりしたりしたいものですにゃ。これは大人になってもそういうもので、撫でたりさすったりする対象がほしくて僕たちはペットを飼ったりするわけですにゃー。ニンゲンにとってはニンゲンが愛情の主な愛情の対象のひとつであるわけで、だからニンゲンはニンゲンを撫でたりさすったりすることが好きですにゃ。これはガキが小さいうちの親子関係とか、性的なパートナーシップにおいてよく見られますにゃ。
ところが、成人同士の社会的な関係性においては、一般的に身体的接触は忌避されますにゃ。身体的接触は性的な意味を持たざるをえにゃーので、そのあたりが忌避されているのでしょうにゃ。とはいえ、♀同士の身体的接触は♂同士のそれほど忌避されてはいにゃーようだ。女の子同士で手をつないでいっしょにトイレに行くところなんかは、中高生のときによく目撃していましたにゃ。
しかし、成人の♂同士の身体的接触となると、汚らわしいものとして忌避されるわけにゃんね。


「男社会」などという言葉がありますにゃ。こういう社会は、♂同士の協働を尊びますにゃ。聖化しているといってもいい。♂同士の友情を価値あるものとし、「女には友情というものはない」などと傲然といったりしますにゃ。
つまり
♂同士の友情(=精神的な関係性)を尊びつつ、♂同士の身体的接触を忌避するということが広く見られるのですにゃ。これはホモソーシャルな社会の一般的な特徴なのではにゃーだろうか。

ホモソーシャル社会はリニアモーターカー

♂は♂が好き、♂は♂同士の人間関係、「男の世界」が大好きですにゃ。♂同士で認め合い、尊敬し合って、そして何ごとかを協働して成し遂げていくことが理想とされますにゃ。♂というのはこんなにも♂が好きなのだから、本当なら♂同士で身体的な接触をしたいものなのではにゃーだろうか? やおいとかボーイズラブとかいう表現は、♂同士がものすごくいちゃいちゃしているという事実が往々にして♀によって観察され、そのいちゃいちゃの帰結として身体的・性的な接触にいたるというものなのではにゃーだろうか? 仲が良ければ、身体的にもべたべたしてアタリマエなのではにゃーだろうか?


実は♂同士で身体的にいちゃいちゃと接触することは大好きで、♂同士で抱き合ったり尻を触ったりするということはよく見られるのですにゃ。例えば、サッカーで得点した場面とか、野球でファインプレーを見せたとき、試合に勝ったときには♂同士での抱擁や、尻叩きは普通に見られますよにゃ。あるいは、ボクシングが非常に同性愛を感じさせるスポーツであることはよく指摘されることだけれど、確かに格闘技には自分の肉体へのナルシシズムと相手の肉体への敬愛というものがあり、同性愛を感じさせるものといっていいでしょうにゃー。
そして、スポーツの世界においてこそ、ホモフォビアが非常に強いこともまた周知の事実であるといえますにゃ。♂同士での関係性が尊ばれるほど、♂同士の身体的接触は汚らわしいものとして忌避されるんだけど、実は♂は♂の身体に触りたくて仕方がにゃー。だから、勝負において成果をあげたりしたときに、「儀礼的に」♂同士の身体的接触が公認されて、抱き合ったり尻を叩いたりするのではにゃーだろうか?


♂同士の「友情」を尊び奨励する、これは【引力】といえますにゃ。
そして、♂同士の身体的接触をおぞましいものとして禁ずる、これは【斥力】ですよにゃ。
ホモソーシャルの社会は、たいていこの【引力】と【斥力】を兼ね備えていますにゃ。そして、【引力】と【斥力】を動力として駆動するのではにゃーだろうか、リニアモーターカーのように。

友情・努力・勝利

少年ジャンプにおける「友情・努力・勝利」というのは、ホモソーシャルな社会の原理をうまくあらわしている標語ですにゃ。♂同士のいちゃいちゃ(友情)と、身体的接触を忌避して自らを律すること(努力)を通して、競争に闘争に「勝利」するわけにゃんね。
つまり、ホモソーシャルな社会は、【引力】と【斥力】を動力として勝利にむかって駆動するのだといえるでしょうにゃー。


見方をかえると、
このことは♂同士の友情、♂同士の関係性というものが集団の動力であり、何かの目的を達成することに組み込まれているといえますにゃ。さらに言えば、友情とか関係性というものが、それ自身を目的にされておらず、何かを得るための手段となってしまうということなのですにゃ。だから、ホモソーシャル社会において、いわゆる「非コミュ」は役立たずの烙印をおされたりするのではにゃーのかな? あるいは、「非コミュ」自身も、関係性獲得とその強化、そして集団での目的達成というサイクルの前で、少年ジャンプ的勝利の方程式の前で、どうしたらいいかわからなくて呆然としているのかもしれにゃー。


また、この世界における♀の役割は、友情と努力によって得られた勝利の「景品」となることが基本となるでしょうにゃ。あるいは疑似♂となってホモソーシャル社会に参入するか。

そしてプリキュア

さて、友情と身体的接触の忌避を目的のための動力として駆動するのがホモソーシャル社会であると、ごくごく粗くのべ、ホモソーシャル社会の典型としてスポーツをあげましたにゃ。ま、軍隊やある種の宗教結社のほうがスポーツよりもさらにホモソーシャルな社会だろうけどにゃ。軍隊や宗教においては、♂の肉体がより魅力的とされ、そしてより強く禁止されるわけですにゃ。

ホモソーシャル社会の外側にあって、せいぜい景品扱いをされている♀同士の関係性というのはどうなっているのでしょうかにゃ?
これはあくまで僕の主観的な観察なんだけれど

  • ♀同士での身体的接触については、♂のように忌避しない
  • 関係性そのものが目的化している

つまり、♀は二級市民扱いされているので、関係性を動力として目的に向かって駆動することを求められてにゃーな、と。


プリキュアの、とくに初代シリーズをちらっと見て、少年ジャンプを35年以上読み続けたジャンプ脳にとって非常に新鮮に感じましたにゃ。で、この新鮮さというものはいったい何に由来するのかと考えていましたにゃ。で、暫定的な結論として

  • プリキュアにおいては、勝利のために友情があるのではなく、友情の結果として勝利がある。

のではにゃーかと。勝利とは目的ではなく結果であり、目的とはあくまで友情そのものにあるのではにゃーだろうか? 勝った後に抱き合うのではなく、抱き合うことによって勝利するわけだにゃ。

ホモソーシャルからの脱出のために

♂同士の友情の聖化という【引力】とホモフォビアという【斥力】を動力とするホモソーシャル社会は、まあロクでもにゃーものだ。目的のために排除するものが多すぎますにゃ。まあ、この競争的なところが、より多く発見し生産して多くの生命を救ってきたという側面もあるわけですけどにゃ。たくさん殺し、たくさん生かすのがホモソーシャル社会なのかもしれにゃー。どっちにしろ僕はホモソーシャル社会が苦手だけどにゃ。
ホモソーシャル社会が苦手だとはいえ、僕の精神には見事にホモフォビアが刻印されているわけですにゃ。実に恥ずかしいことだけど、事実なので正直に吐いておく。
まあ
性的な接触を直接目撃するのは、異性愛カップルのそれでも愉快なものではにゃーし、たとえお隣にゲイカップルが暮らしていてもそれ自体はなんとも思わにゃーので、別に強いホモフォビアがあるわけでもなく、多分平均的なところよりホモフォビアはゆるいとは思いますにゃ。
とはいえ
このホモフォビアホモソーシャル社会でヘテロ♂として生きてきた身として、自らの身にホモフォビアが刻印されていることは事実として認めなければならず、これはあんまり愉快なことではにゃー。というのは、このホモフォビアの感覚のおかげで、ホモソーシャル社会からの脱出がムツカチイものになってくると考えられるからですにゃ。


【引力】と【斥力】で駆動するホモソーシャル社会というのは、今の社会を形作る基本的なもののひとつなのではにゃーかと僕は考えており、もちろんこんなロクでもにゃーものは現実になんとかしていかなきゃならにゃー。
しかし
妄想による脱出の回路というものもあったっていいだろ。妄想による脱出の回路なんてものは、どうしたっていいとこどりのどうしようもにゃーものであるなんてことはアタリマエの前提。しかし、どうしようもにゃーものだとしても、そういう脱出というか解放というものももちろんあったほうがいいわけだにゃ。というか、なければ困る。少なくとも僕は、こうした解放の回路を否定したことは1度たりともにゃーしな。


なんで♂というのは、勝利だの目的だのに回収されにゃー関係を作れにゃーのだろう? ボーイズラブの世界のような*1、♂同士の純粋な愛情をとりもどすために、刻印されたホモフォビアが邪魔なのだにゃ。ああ、プリキュアのようになりたい・・・・
互いの身体を忌避せず、互いの友情を目的とするような、しかもちゃっかりと「勝利」までついてくるような、そんな美少女戦士になりたい・・・・


以上、前回エントリの追記部分を説明してみましたにゃー。

追記 11:00ごろ

id:samoku
しないほうが良かった説明/女はいいよねえ男と違って気楽でってのとどう違うんだろう

へ?
妄想のロクでもなさを否定してんの? それとも、妄想に優劣があるとでもおっしゃりたいの?
○○への変身願望って、「○○はいいよねえ、俺たちと違って・・・で」ってのと違うの?
ご立派な変身願望とやらがあったら、是非ともご教授いただきたいにゃー。


だいたい、変身願望に限らず、妄想による解放なんてモノがロクでもにゃーものであることは、本文でも明示してあるけど。本文でも明示されたわかりきったことをつっこんで、批判のつもりかい?
チミの批判は「しないほうが良かった批判」にゃんね。

*1:BLものを実は読んでないけど。昔のやおいマンガならいくつか読んでる