法規制になじまない人権侵害

NaokiTakahashiに応答

先日エントリコメント欄でのNaokiTakahashiのコメントがだめすぎるので、別途にエントリをたてて対応するにゃー。


>論理的には、レイプ被害者が、その犯罪が特定加害ポルノの影響による被害だと証明することは可能でしょう。そのポルノ作品に強力効果があることを証明し、それが犯人の行動に(法的に責任が認められるくらいに決定的に)影響したことを証明すればいい。


その証明が具体的にはほとんど不可能にしか思えにゃーのだが。
ある種の加害ポルノが、犯人にそこまで大きな影響を及ぼすとしたら、その犯人の精神鑑定のほうが先だろ。「〜という作品のせいで犯罪をしました」という言明って、フツーに考えて精神疾患か責任逃れでしかにゃーもの。
表現作品と加害の直接的な結びつきを証明すること自体が困難極まるのに、さらにその加害について表現作品に責任があるなんてのはいかれているにゃ。
ヘルタースケルターを聞いた狂信者がシャロン・テートを惨殺したとして、だからその作品なりポール・マッカートニーに責任がある、なんてのは眩暈のする馬鹿理屈だよ。


僕がまずはっきりさせたいのは、差別意識と暗数との実証的な関連だにゃ。
差別意識と表現の関係はそのあと。



>一般的な用語法でいうなら性差別の一部でしょうね。
>法的な人権侵害と考えるためには、加害者と被害者の間に、具体的にどのような加害行為があったかを示せなくちゃいけないでしょ。


ほほう?
セカンドレイプにおいても「加害者と被害者の間に、具体的にどのような加害行為があったかを示せなくちゃいけない」のかにゃ?
セカンドレイプってのが裁判や報道における典型的なもの「だけ」ならセカンドレイプ被害者の傷はまだそれほど深くにゃーけどな。
・・・・とか書いていたら、「セカンドレイプそのものを処罰すりゃいい」とかいいだしましたねーorz

性犯罪被害と二次被害・三次被害の一例

antonianに教えてもらった、性犯罪についての裁判員制度導入に反対する、性犯罪被害者の書いた文だにゃ。


性犯罪には、世間にはまだまだ理解されていません。司法関係者でさえ、理解のある方の方が少ないと言ってもいいくらいです。
弁護士を探す時点でも、多くの被害者が傷ついています。
また、警察や検察での取り調べ、裁判官の心無い質問、判断などで、多くの被害者が、とても傷ついた経験をもっています。


中略


世間の理解がまだまだ足りないため、自分が被害者であると周囲に知れ渡ることで、被害者は、偏見、好奇の目にさらされ続け、多大な苦痛を受けます。
守秘義務なくこのまま運用されることで、二次被害が、永遠に絶え間なく続くことを決定づけるようなものです。


被害者が、その後の人生を、事件により不利益を被ることなく決定できるよう、被害者の人権を守るべきであり、そのためには、被害者の個人情報を守ることが絶対に必要です。


いちど不特定多数の人に知られると、勝手な情報がひとりあるきし、被害者は迫害ともいえる差別を受けることになります。
偏見と好奇に満ちた目で見られ、私生活を詮索され、誹謗中傷されるなど、まるでこちらが犯罪者のような扱いを受けます。


私は、自分は悪くないのだから堂々としていようと必死で生活していましたが、辛く悲しい思いをすることがあまりに多く、自然と、それまでしていた活動が苦痛になり、外出することさえも恐怖になってしまいました。何度自殺を考え、実行に移したことでしょう。

被害者の知らないところで、不特定多数の人に知られることで、いつ、どこで、だれから、どういう形で二次被害を受けるのか、予測さえできません。
そのため、被害者は、何の落ち度もないにも関わらず、緊張と屈辱に満ちた生活を強いられることになります。
被害者は、好んで被害に遭ったわけではありません。被害に遭ったからといって、夢や希望、趣味、特技、好きなもの、友人、家族。そういったものは何も変わっていません。
ですが、不特定多数の人に知られることで、人とのつながりが脅威に変わってしまい、今まで築いてきたささやかな世界が壊されてしまいます。


わたし自身の経験ですが、今ほど普及していなかったにも関わらず、インターネットでさんざん中傷され、
「かわいいのか」と性的な興味を抱かれたり、
「レイプされた女なら何をしてもいい」と人間扱いされず、とても怖い思いをしました。見知らぬ人がわざわざ見に来て指をさされ、ひそひそ噂されたりしたこともありました。
知人から、脅迫もされました。おかしな電話もたくさんかかってきました。
友だちとはぎくしゃくしたり、知らない人にあれこれ詮索されたりしました。今では、実家に帰ることさえも苦痛で、昔からの友だちとの絆も壊れてしまいました。
とても心配でなのが、弱っている被害者につけこんだ第三者により、さらに性被害を受ける危険性があるということです。
実際にそういう被害を受けた被害者も数多くいます。


被害に遭ったこと自体も、心身を破壊的に傷つけられます。生きるのが困難なほどの苦しみです。


二次被害、三次被害を受けることで、さらに壊滅的にダメージを受けます。不特定多数の人に、被害者であることが知られることで、人とのつながりが、脅威でしかなくなりかねません。それでも、誰ともつながらずに、生きていくことはできません。


どんな人に、どんなことを、どこまで話すか、という、誰もが持っている当たり前の選択肢を、何も悪くない被害者が奪われてしまうのは、あまりにひどすぎます。
ましてや性に関することです。 信用できる人に、打ち明けるという選択肢すらなくなるのは、ひどすぎます。


どんな事情で被害にあっても、悪いのは加害者です。
被害者が悪くないというのは、厳然たる事実です。それでも、性犯罪では、被害者の「落ち度」を責め立てられるのが現状です。


更なる苦痛、世間の偏見、好奇の目、差別、そういったものに、立ち向かうのは、被害者がするべきことではないと思っています。
もっと社会に守って欲しい、強くそう思います。


中略


性犯罪は社会の理解がないため、被害者は訴えることさえ、ためらいます。
裁判員制度の対象事件の中で性犯罪は二割ということですが、この制度により、訴えることがより困難になり、性犯罪が増長する結果を招きかねません。


精神医学上も、被害からの回復には、何よりも「安心感、安全感をもって暮らせること」から始まるとされています。
それは私をふくめ、多くの被害者の話を聞いても、とても納得できることです。


二次被害、そして不特定多数に知られることで起こりうる三次被害により、日常の生活さえ、恐怖におとしいれるようなものであり、
安心感を持って暮らすことなど、全く叶わなくなるに等しいと思っています。


八木啓代のひとりごと ある性犯罪被害者の方からのメッセージ より抜粋して引用

二次被害・三次被害の「主犯」

二次被害セカンドレイプ)はまだ「加害者」が特定できる場面もありえるかもしれにゃー。だが、ここで書かれている三次被害はどうかにゃ?
ちゅうかさ、この文を読めば、セカンドレイプの主役が何かは明白ではにゃーか。
「世間の理解」「偏見と好奇に満ちた目」「不特定多数の人に知られることで、人とのつながりが脅威に変わる」「更なる苦痛、世間の偏見、好奇の目、差別」「性犯罪は社会の理解がないため」
極論すれば、性犯罪被害についての社会の理解が十分にあれば、裁判はセカンドレイプにならにゃーんだ。被害を思い出し語るのは辛いことではあるだろうけどにゃ。
社会の理解があれば、二次被害も三次被害も存在しにゃーともいえるわけ。


無論、馬鹿お巡りとか馬鹿法曹関係者の責任を問うのも否定しにゃーけどな、それはセカンドレイプにおける本丸ではにゃーの。裁判のやり方などで緩和できる部分はあるけど、それがセカンドレイプの本質ではにゃーの。
性犯罪の二次被害・三次被害について、まったく何もわからにゃーでNaokiTakahashiはいろいろといってたわけね(げんなり
・・・だいぶいやになってきた。


でな、こうした二次被害・三次被害をどうやって法規制するわけ? 特に三次被害を具体的に法規制する自由主義の枠内におさまるうまいやり方があるのなら是非とも聞いておきたいものだにゃ。



この文を書いた♀は、二次被害・三次被害において人権を侵害されていにゃーのかね? こういう被害を扱う法の枠組みがにゃーから、人権侵害ではにゃーといいつづけるの?>NaokiTakahashi
ここでの「敵」「主犯」はいわば世間様だ。
世間様を法規制しようがにゃーのだが、しかし世間様が人権侵害としかいいようのにゃーことをしていると僕はいっているんだよ。


痴漢冤罪にはめられた♂を考えてもいいにゃ。もちろん、痴漢冤罪にはめた者が直接の加害者としても、痴漢冤罪被害者は二次被害・三次被害を世間様からうけるだろが。痴漢冤罪の二次被害・三次被害は人権侵害としかいいようがにゃーと思うけど、これをどうやって法規制するんだ?

  • そもそも法規制になじまない人権侵害がある

これが当初からの僕の主張であり、性犯罪被害における二次被害・三次被害はその典型なんだにゃ。こういう人権侵害に対して権力ができることは、被害者の救済とか啓蒙活動、公権力が自身が差別者とならにゃーようにすることくらいでにゃーのか?

ひどすぎるところを指摘

あと、どうしようもにゃーところをいくつか指摘しておく


>地下猫さんですらずるずると滑り落ちてしまっているマッキノン流ポルノ論の根本的な危険性


まず僕はマッキノンは嫌いだにゃ。馬鹿っぽいし、パターナリスティックだにゃ。
そもそも社会意識を問題視するのはラディフェミばかりではにゃー。フェミの敵は一般に家父長制権力なので、意識も含めた制度全般を問題圏としてもつのだにゃ。さらにそもそもいえば、意識を含めた制度全般を問題とするのは、フェミだけでなく多くの被差別マイノリティのいっていることでもあるにゃ。スタンスの違いはいろいろあるだろうけど、制度の問題に意識を含めにゃーってのは考えづらい。
「差別問題を制度として考えること自体が根本的に危険だ」とチミはいっているに等しい。


>地下猫さんの立論とこの彼の公権力論とを分かつものがあるとしたら、それは多分公権力への個人的な警戒心や嫌悪感に過ぎないのでは、と疑ってしまう。


歴史的に公権力が表現を規制してろくなことをしてこなかったという認識は実に常識的なものにゃんが、これがチミにかかると「個人的な警戒心や嫌悪感に過ぎない」となるのかにゃ? アタマ痛え。


女性差別が置き去りにされているか否かが問題なんじゃない。問題なのは彼の手法だ。
>「法規制には反対だけどね」と嘯きつつ、「法規制せよという話がまるでダメというわけではない」と、結局はそれを脅しの道具として使う許可を与えてしまっている地下猫さん


確かに僕は、どこかのブクマコメで「ヘイトスピーチに対する法規制がダメダメというわけではない」とは発言しているにゃ。例えばホロコースト否定論というヘイトスピーチについて、僕は言論規制に反対だけど、規制論がダメダメというわけではない、ということなんだけど、どっかおかしいか?
この文脈では、まるで僕が「エロゲ規制はダメというわけではない」と発言したとしか思えにゃーような引用にゃんな。こういうくだらにゃーことすんなよ。