説明責任を果たさない権力が何を言われてもアタリマエ(追記アリ


いまちょっと、http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/?no=435のコメント欄で遊んでもらっていますにゃ。前回エントリでは、このブログを好意的に紹介していましたけどにゃ。
隣の陰謀論 - シートン俗物記のコメント欄関連でもありますにゃ。
「小沢秘書の逮捕は陰謀なんじゃね?」関連の話。


再三再四表明しているとおり、【専門家集団への信頼】が僕の基本スタンスであるので、僕自身としては専門家集団はとりあえず信頼しますにゃ。


ただし
僕が学者などの専門家集団を基本的に信頼するのは

  • 1)その集団が開かれている(=説明責任を果たしている)
  • 2)内部で競争がある

などの条件を満たしている場合にゃんね。


陰謀論というのは一般的に愚かしいものであるという認識は、必ずしも妥当であるとはいえにゃー。
特に相手が権力集団となると、陰謀をするのがデフォルトだろにゃ。ちゅうかさ、閉鎖的な小集団が権力をもっていたら、陰謀をしないというほうがおかしな話だろ。


だから、権力には説明責任というものがあるわけにゃんな。
自由民主主義政体における権力というものが、個々の国民の信託によるものである(というタテマエになっている)以上、説明責任は正当な権力の基盤であり、また権力の維持手段でもあるわけですにゃ。とってもアタリマエ。


もし権力側が説明責任を果たしてにゃー場合、それだけで何か後ろめたいことをしていると指弾されてもアタリマエだよね。検察が過去にいろいろと後ろめたいことをやってきたというのもガチっぽいし。
ということは
説明責任を果たしてにゃー権力に対して、「それって陰謀なんじゃねえの?」と表明することは、自由民主主義政体におけるきわめて健全な批判のありかたといえるでしょうにゃ。必要不可欠といっていい。


ここで重要なのは
相手が権力、しかも説明責任という自己の存立基盤をないがしろにしているような権力であったばあい、陰謀論を疑うのに何の理由も必要にゃーということだ。重要な義務を果たしてにゃー権力が、何を言われもアタリマエのことではにゃーか。権力の側に、より大きな責任が存することは自明。
これは当然の理路であり、反権力でもなんでもにゃーわけだ。僕自身は反権力だけど、この理路は反権力でもなんでもにゃー。もんのすごく穏当でアッタリマエのことをいっているにすぎにゃー。


と、ここまでは一般論。
僕自身は現段階では検察側を疑ってにゃーが、検察が説明責任を果たしてにゃーのならば検察を疑うヒトがいるのは当然であり、その表明も当然。極めて健全なことであり、権力を牽制するためには誰かがやらなければならにゃーだろう。そしてこれを陰謀論よばわりすることは間違っているということだにゃ。

追記でブクマコメに応答 11:55ごろ

id:kurokuragawa 陰謀論, 政治, 共感できない
普通に(陰謀論抜きで)「納得できないから説明しろ」と要求するだけでいいのに


うん、それはわかりますにゃ。「納得できないから説明しろ」と要求するほうが僕の好みでもありますにゃ。
でもさー
「説明責任を果たしてない権力は何を言われても仕方がない」という観点からすると、見えてくる断片から想像力でストーリーを構築した疑義や批判(まあ要するに陰謀論ぽく見える言論)にしても、言われてアタリマエなんだよにゃ。


権力側と批判側に、情報の圧倒的な非対称性がある以上、多少なりとも想像力を働かせにゃーと批判のいとぐちすらにゃーんだよ。権力が説明責任を果たしてにゃー場合、どこか想像で補って批判せざるをえにゃー部分がでてきちゃうわけだにゃ。
つまりは明らかに想像で補われた批判(=陰謀論っぽいもの)が出てくること自体が、権力側の説明責任放棄を原因としている側面もあるわけ。


僕自身は想像をもって批判するのは好みではにゃーのだが、説明責任を果たしてにゃー権力が相手の場合、これは好み以上のものでもにゃーだろう。言論の好みにおいては、僕は玄倉川や久間君に【共感】しているといっていいくらいだにゃ。
ただし
今回の陰謀論呼ばわりの批判は、不当であり間違っているということだにゃ。
説明責任を果たしていない権力があいてなら、想像の混ざった批判・陰謀論っぽく見える批判「も」不当ではなく、必要ですらあるのだにゃ。それを陰謀論呼ばわりするのは味噌糞いっしょにゃんぜ。


想像で補われた批判は確かに僕の好みでもにゃー。だがこの場合は健全であり必要だろ。
自分の好みと論旨の当否を分離して論じているつもりですにゃ。


id:met8086
検察に説明責任はないはずだけど。検察が説明したら裁判は何のためにあるのかわからなくなる。


この反論は当然出てくると思っていましたにゃ。
検察は裁判の場において全面的な説明責任をおっているというのはガチ。その意味では裁判以外で検察に説明責任はない、ということになりますよにゃ。
しかし
検察がマスコミにいろいろと情報をリークしているようだけど、そっちはどうなんだろね? さすがに捏造情報をリークしているとは考えてにゃーけど、自分たちの組み立てたストーリーに都合のよい情報だけをリークしているということを疑っても当然のことでしょうにゃ。


つまり、情報を占有する権力である検察が、リークという手段によって裁判外に世論形成手段をもち、しかもその手段を行使している以上、説明責任から逃れることはできにゃーと考えますにゃ*1
リークを単純に違法だというつもりもにゃーが、裁判外における説明責任は生じるでしょうにゃー。日本の社会が、残念なことに報道で致命的な社会的不利益を受けえる社会である以上、警察・検察に司法の場以外での説明責任はあると考えるべきではにゃーでしょうか、一般論としても。

再追記 12:10ごろ

ありゃりゃ、id:met8086のブクマコメが消えちゃってるにゃ。有益なご批判なのでせっかくスターをつけようと思ったのに。
追記でとりあげて迷惑だったらごめんね。
いったん公開された言論だからとりあげることは問題にゃーとは思うけど、削除した言説でもあるし、どうしても不愉快だとか問題があったらいってきてくださいにゃ。一般論として書き直すから。

*1:ちょっち話は跳ぶけど、裁判員制度を考えた場合、検察のリークは非常に問題になりえますよにゃ。リークによって世論をつくり、シロウトの裁判員に先入観を植え付けることができるわけですからにゃ