ムラカミハルキという作家への僕の判断が依存するもの(追記・再追記アリ


例えばだ、アインシュタインとかファインマンさんとかいう偉大な科学者を評価するにあたって、彼らの手による専門の論文を読まなければ僕らは彼らを評価できにゃーのだろうか?
彼らの偉大さや魅力は、その知力だけでなく、人道面の活動やエピソードにあるのではにゃーのかな? 少なくとも僕はそうなんだけど。


で、ムラカミハルキですにゃ。
ちょっと読もうとしたことがあるんだけど、僕にはアインシュタインの論文並に難解な作家でしたにゃー。理解も共感もまったくできなかったんでね。
しかし、世のみにゃさまにはムラカミハルキを理解し共感するお方が多いらしい。
うむうむ、きっと僕が愚かなのでしょうにゃ。


で、僕にはさっぱり理解も共感も不可能なムラカミハルキが、イスラエルから文学賞をもらうんだって?
ふむふむ、僕にはムラカミハルキのブンガクはアインシュタインファインマンさんの論文と同様に理解できにゃーので、僕にとってムラカミハルキという作家の判断は社会的・人道的なエピソードに依存せざるをえにゃーな。


アインシュタインファインマンさんは、その社会的な活動や発言のゆえに僕は尊敬していますにゃ。さあ、ムラカミハルキはどうだろか?
僕は1人の愚かな大衆として、その社会的な言動で作家を評価するつもりですにゃ。
僕の判断のありかたって、どっかおかしいだろか?

追記 10:55ごろ

おーおー、「賛同できない」とか「これはひどい」とか予想通りいわれているにゃんねえ。にゃっはっはっは。
で、僕の記事に否定的なチミらに質問にゃんが、例えばアインシュタイン核兵器を肯定したり人種差別発言を繰り返したりしても、アインシュタインという科学者に対する総体的な評価は今と同じだったと思うのかにゃ?


逆の例をあげると、テグジュベリは読もうとしたけど文体が苦手で読めなかったけど、文学者としてのテグジュベリをその行動や発言から僕は総体的に肯定しているけど、どっかオカシイ?
同時代の人物を評価するのに、作品を読まなければならにゃーの? ゲージュツとかブンガクって、そんなに特別?


まあ、ノーベル文学賞は欲しいようだから、ムラカミハルキはそんなに下手をうつことはにゃーだろうと予想しているけどにゃー。

再追記 19:50ごろ


我々にとって文学とは、生きるための価値を求める一手段に過ぎない。このことは、しかし決して文学や芸術を我々が軽視しているということにはならぬのである。我々が多少とも信頼がおけると思っている作家、詩人は、いずれも文学を第二義的なものとして取扱っているのである」


鮎川信夫 「『荒地』について」より


僕はブンガクやらゲージュツやらを軽視していにゃーがゆえに、それは第二義的なものだといいたいだけのことですにゃ。
いっとくけど、思想的に鮎川はサヨとはほど遠いヒトにゃんね。一貫してコミュニズム大嫌いで安保闘争にも批判的でしたにゃ。


ついでに、鮎川の詩の一節を引用しておきましょうかにゃ


『あらゆる行為から
一つのものを選ぼうとするとき
最悪のものを選んでしまうことには
いつも個人的なわけがあるのだ
だから純潔を汚すことだって
洗濯したてのシャツをよごすほどにも
心を悩ますことはないのだ
教授にとっての深渕が
淫売婦には浅瀬ほどにも見えなかったりするのだ
ポケットのマッチひとつにだって
ちぎれたボタンの穴にだって
いつも個人的なわけがあるのだ』


「橋上の人」より


ムラカミハルキの【個人的なわけ】に注目していますにゃー。