詭弁のゆくえにより「はてサ全員」連帯責任?

大人は批判されたときどうするのか

大人であるのならば、公然と批判された場合、社会的な対応として

  • 1)むきあってきっちり反論する
  • 2)話がつうじないと判断して、勝手に言わせておく

どちらかが基本となりますにゃ。


もちろん、(1)の対応をとろうが(2)で我慢しようが、それなりにストレスはたまるだろうから、私的な場において、つまり家庭とか友達と酒を飲んでいるときなんかには、いろいろと愚痴るのもいいだろ。にんげんだもの
しかし
自分に向けられた批判に対して、見てないとか聞いてないとか言いながら、言い訳を重ねていくのはどんなもんなんだろね? 仲間内の酒席での愚痴でならいいんだけど、それを仕事の席で公然とやっちゃうってどうなんだろにゃ?

詭弁のゆくえ その1

さて、今回のネタはこの馬鹿記事でーす。この問題周辺にはカロリーの高い餌がごろごろしてて、僕ふとっちゃう♪

以下、断りがなければここからの引用ですにゃ。


これはもっと重要で根本的なことですが、そもそも東は、id:nitarが書いている講義の速記録を公式なものだと言ったりしていないのに、勝手にはてサたちは「id:nitarは東の代弁をしている」と解釈して、id:nitarが書いたことに基づいて東を批判した。これは、やっぱり僕の考えからすると、許せないことなんですね。


講義というのは公的なものなのだから、講義での発言を元にしての批判が許されにゃーっていう論法はすごすぎですにゃ。その論法が通用するのなら、「この発言は公式ではありません」と言えば、政治家の失言もみなスルーしなきゃならにゃーな。
講義そのものが公式なものなのだから、問題は速記録が正確なものかどうかという一点だにゃ。速記録に基づく批判がダメだという論法はまるで無意味。講義の速記録って、重要な資料だにゃ、フツーは。

詭弁のゆくえ その2

さて
この速記録に対し、イースト氏はその一部を否定する発言をしているようですにゃ*1。この否定発言もいろいろとつっこめるんだよにゃ。少なくともイースト氏の立場はポストモダン系リベラルらしいし、ならばポストモダン系の言説からイースト氏の立場を説明するような記述がほしいところだにゃ。デリダでにゃーっていうのなら、イースト氏のポストモダン系リベラルってのは誰のどういう言説なんだろか?
イースト氏は自分のよって立つ立場の学問的なバックグラウンドを説明してにゃーわけよ、プロなのに。

詭弁のゆくえ その3


もし東の言ったことに対して議論をしたいのなら、例えそのきっかけがid:nitarの速記録だったとしても、それは放っておいて、やはり『リアルのゆくえ』を元に議論をすべきだった
ところがid:toledは、逆に、速記録を問題として、『リアルのゆくえ』を読んでいないとまで言い張った。この時点でもう「ああこの人にまともな議論をしようっていう意志はないんだな」つて思われても仕方ないでしょう。少なくとも僕はそう思いました。


『リアルのゆくえ』と速記録で、その内容に特に齟齬はにゃーんだな。だいたいさ、齟齬があったらまずいだろ? したがって、「はてさ」の批判の少なくとも僕の目にしたいくつかは、書籍の内容に基づいているものといっていいものですにゃ。ところがこの論法では、速記録と著書両方に共通する部分において批判をしたことも否定しちゃってるんでにゃーの?
さて
注目すべきことは、さきほどは「はてサ」に対する批判だったのが、ここではtoled個人に対する批判になっていることですにゃ。toledはデリダ絡みであおったし、イースト氏の本を読んでないといったようだから、toled個人に対する批判としての材料として出したきたことはよしとしておく*2

詭弁のゆくえ その4

さあ、この文章がこのあと、どう展開するか?


この時点で、まずid:toled氏は、あの明らかに東氏を小馬鹿にした10万はてなポイントを進呈します。東浩紀歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら - (元)登校拒否系を訂正して、そして謝るべきでした。それは、id:toled氏の記事の尻馬に乗って、東氏を小馬鹿にしていたはてサ全員にも言えます。


ところが、そのような訂正や謝罪がはてサから一つでも見られたか?答えは「否」です。自分が嘘をついた、または嘘に荷担したことを、それこそ歴史修正主義者のように「無視」して、記事に対する批判を始めた。


先ほども書いたけど、イースト氏が自分の立場を学問的に基礎づけることをしてにゃー以上、toledがこの時点で謝る必要なんてどこにもにゃーだろ。
で、ここはまだともかくとして
なんでここからいきなり「id:toled氏の記事の尻馬に乗って、東氏を小馬鹿にしていたはてサ全員」が謝るべき、となるんだ? 頭蓋骨のなかで干からびた脳がからから音をたててにゃーかね?
まず

  • 1)id:amamakoも認めているとおり、もともとこの問題で東を批判的に見ている「はてサ」は何人もいた
  • 2)はてダに東の講義の速記録があがった

これだけで、イースト氏に対して批判的な声があちこちからあがっても何の不思議もにゃーだろうに。
さらに

  • 3)デリダ云々とは独立した論点で東を批判した者もいる

例えば僕はデリダと無関係にイースト氏を批判しとるしにゃ。
というわけで、何で「はてサ全員」が「id:toled氏の記事の尻馬に乗っ」たことになるのかさっぱりわからにゃーのだが。
仮にtoledが修正したり謝罪したりする必要があったとして(僕にはそうは思えにゃーが)、toledと独立に、違う観点で批判したものも謝らなければならにゃーの? 「はてサ全員」連帯責任ですか?


誰が嘘をついたの? 誰が嘘に加担したの?
難癖のレベルが低過ぎるぜ(げらげら

詭弁のゆくえ その5


問題は「知識人」というものが権威を失った、ということなのに、はてサたちは「知識人」がまだ権威を持っていた古い時代のロジックを用いて、旧来型の批判を繰り返す。この時点で、東氏がはてサたちに愛想を尽かしたと考えても、全くおかしくありません。



イースト氏が依拠するポストモダンとやらは、知識人の権威と関係にゃーのかな?
ポストモダン系リベラルとかいう念仏をイースト氏が唱えるとき、イースト氏は知識人の権威を利用してにゃーとでも?

  • 知識人は権威を失いました、と権威ある知識人がいっております

このパラドックスにかこつけて、イースト氏は自分を権威づけたり責任を逃れようとしたり好き放題なわけだにゃ。
それにな
知識人が権威を失ったとしても、責任を失ったわけではにゃーんだぜ。
問われているのが権威だとでも思ってんの? 字が読めるようになってから出直したら?

詭弁のゆくえ その6


東氏のミスは、東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつかにおいて

文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。

と書いたことです。


イースト氏の戦術上のミスは、冒頭に書いたとおり、批判に対してまるでスジのとおらにゃー対応をしたことだにゃ。無視するか反論するかすればいいのに、無視するといいながら言い訳をしたってのはヘタレだろ。「はてサ」の書くものは読んでないとかいいながら、明らかに読んでいるようなので、端的に「平気で嘘をつくヒト」だしにゃ。
というわけで、僕の考えるイースト氏の戦術上のミスを、言論の中身にふれにゃー部分であげておくと

  • 無視するか反論すればいいのに、無視するといいながら言い訳した
  • 明らかに嘘をついていることがバレバレ
  • 南京虐殺否定論に言論の場を与える「ポストモダン系リベラル」の学問的バックグラウンドが明示されていない

と、ここまでボロボロなくせに、
「実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか」
とか煽っちゃったわけだにゃ。

詭弁のゆくえ 最終章


ですから、もしこの問題を本気でなんとかしたいと考えるならば、このシステムのオルタナティブを示さなければならない。それをせずにただ「開かれた授業をしない東はダメだ!」と批判しても、大学システムの限界という根本的な問題は解決しないわけです。


学問の開放性とかシステムのオルタナティブとか、そんな大層な話ではにゃーってば。
チミのしているのは簡単に言えば以下のとおりだにゃ。

  • toled個人と「はてサ全員」の意図的(?)な混同
  • 東のミスの極端な矮小化
  • 揚げ句の果てにメタに逃げる

*1:「俺はデリダがそういうことを言ったなんて一言も言っていない」

*2:toledも書籍の引用部分を念頭においた発言をしているのは明らかだとは思うんだけどにゃ