自覚せざる自然科学教がまねく歴史修正主義


はてなブックマーク - 東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊びに再応答。
小ネタエントリはさんだので、新しく応答エントリをたて、さらに突っ込んで考えてみますにゃ。とりあえずのまとめ。

再応答その1

id:wiseler
"うん。【私的】な言論において、愚行がまかりとおることを僕も認める。" それを認められない人が、しかも大勢居るのがこの人の提起している問題なんじゃないの?/少なくともビックバンは確定してないです


問題提起はいいんだけれど、認め方が無節操すぎるのではにゃーかと。
ビッグバンは確定していにゃーとしても、まっとうな科学仮説であることは事実。
科学仮説は灰色のものからほとんど確定的なものまであるけど、真理そのものではありえにゃーというところが重要。
科学仮説はあくまで近似であり、その意味において歴史学における学説と地続きなのですにゃ。

再応答その2

id:Midas
歴史は自然科学でない。歴史を科学とするのは事象間の因果性においてのみ(ベルンハイム)。更に「同一事象でも観察者が違えば把握は異なる」東発言は許容内。全員、歴史学の基本がダメ。今回の批判者は皆嘘つきか小6


たいへんにオイシイので逐語的にいきますにゃ。


>歴史は自然科学でない。
誰もそんなことは言ってにゃーのだが。


>歴史を科学とするのは事象間の因果性においてのみ(ベルンハイム)。
問題となっているのは、南京虐殺の【有無】についてですにゃ。存在とはまさに事象なんだから、事象間の因果性によりその有無を科学として判断できるということですにゃー。
ベルンハイムって歴史学の大御所みたいにゃんね。こういう大御所の脂っこいところで僕の言説を補強してくれてアリガトウ。


>更に「同一事象でも観察者が違えば把握は異なる」
うんうん。南京虐殺の規模の確定やその原因などについては一筋縄ではいかにゃーと僕も言っていますにゃ。規模などについて議論することと、その事象そのものがなかった論とは次元が違う。ベルンハイムのいうとおりだろうし、多くの歴史学者もそう考えているだろ。


>東発言は許容内
まったく意味不明。
誰にとっての許容範囲なの? どういう基準で許容範囲を設定するの?


>全員、歴史学の基本がダメ。
オマエガナー
「歴史を科学とするのは事象間の因果性においてのみ」であれば豊富な物証や証言から(物証や証言も事象)虐殺の有無を確定するまではガチにできるだろが。その論法では原爆投下もシベリア抑留もその事実の有無がわからず応仁の乱大化の改新はさらにわからず歴史はただのカオスだろが。


>今回の批判者は皆嘘つきか小6
というわけで、少なくとも明示された範囲内でベルンハイムのコトバに沿っているのはどう考えても僕の方ですほんとうにありがとうございました*1

再応答その3

id:metalbabble
ネタ 進化論は生物学の分野で証明がなされている訳だが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96 /id:tikani_nemuru_M 進化の存在は確認されているが南京事件はあった可能性が示されているだけだよ


はいはーい、字の読めにゃー大先生再登場。「進化の存在は確認されているが南京事件はあった可能性が示されているだけだよ」とわざわざ僕をidコールして追記ですにゃ(げらげら


いいかい?>文盲大先生
進化という事象があるということは、専門家集団の合意においてまず絶対にひっくりかえることはにゃーだろうというほど堅い科学仮説であることは僕もよーく知ってるよ。しかし、進化の機構についてその細部まできっちりとわかっているわけではにゃー。
そのうえ、何度も何度も言っているけど、自然科学において、「わかっている」というのは真理に到達したという意味ではなく、精度の高い仮説であるという意味だにゃ。あるいは、id:sivadのブクマコメにあるように、科学の再現性とは「厳密に言うなら実験の再現すらこの世では不可能。見ているのはモデルの再現なのです。http://d.hatena.ne.jp/sivad/20061227#p1
ただ
一般に流布する言説として、「進化があったことは科学で証明されている」と言うことはかまわにゃーだろうとは思いますにゃ。


ネットにはり付いて、辞書といえばウィキペディアしかひかにゃー狭い世界にすむチミのために、日本大百科から南京大虐殺の記述を全文引用してあげよう。

1937年(昭和12)12月13日、上海(シャンハイ)派遣軍(司令官朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)中将)・第10軍(司令官柳川平助(やながわへいすけ)中将、杭州(こうしゅう/チューチョウ)湾上陸)の2軍団からなる中支那(しな)方面軍(司令官松井石根(いわね)大将)が、中国の首都南京を攻略した際、中国軍の捕虜・敗残兵および一般市民に対して行った大残虐事件。この事件を欧米ではナンキン・アトロシティーズNanking atrocitiesとよぶ。日本でも1970年ごろから南京大残虐事件、南京大虐殺とよばれるようになった。

  • 「大虐殺」の実態

 占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩(そうとう)戦では、戦意を失った多数の中国兵を掃射によって虐殺し、また以後1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に身を潜めていて狩り出された敗残兵(便衣(べんい)兵)の大部分が集団虐殺された。戦死者を含めて中国軍の犠牲者は10万を下らなかったと推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も、少ない数ではなかった。中国軍将兵に対する集団虐殺は明らかに軍命令によるものであった。
 日本軍は21日まではほぼ全軍が城内に駐留し、その後は南京警備軍として1個師団だけとどまったが、軍隊教育で中国人蔑視(べっし)観を植え付けられていたこと、過酷な急進撃を強いられたこと、集団虐殺の大惨劇を見せつけられたことなどによって、一部の日本軍将兵は凶猛化し、一般市民に対して虐殺・強姦(ごうかん)・略奪・放火と蛮行の限りを尽くし、勝利祭の饗宴(きょうえん)ともいうべきこの蛮行は数週間にわたって繰り広げられた。城内家屋の被害は、軍事行動によるもの1.8%、放火13%(主要実業街は平均32.6%)、略奪 63%に及び、中国人は南京に処女1人もなしと称したという。日本軍は遺棄死体8万4000と発表したが、現地の慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数はあわせて15万5337体に上り、揚子江(ようすこう)岸で集団虐殺されて同江に投棄されたものその他を加えれば、中国軍民の犠牲者は20万を下らなかったものと推測される。
 なお、極東国際軍事裁判東京裁判)でも取り上げられず未確認事項であるが、行政区としての南京市に属する揚子江下流各地でも大虐殺が行われたといわれる。上海派遣軍参謀長勇(ちょういさむ)中佐は南京の埠頭(ふとう)地区下関(シャーカン)付近で市民を主とする中国人の大虐殺を命じ、その結果と思われる数万を下らない虐殺死体を実見したという、松井石根大将副官の証言もある。
 この事件の責を負い、極東国際軍事裁判で中支那方面軍司令官松井石根大将が、南京の国防部審判戦犯軍事法廷で第六師団長谷寿夫(ひさお)中将が、それぞれ死刑を宣告、処刑された。なお南京では、南京攻略戦に従軍した将校で三百人斬(ぎ)りを誇称した大尉、百人斬り競争の少尉2人が南京事件関係者として処刑された。
[洞 富雄]

  • 「大虐殺」をめぐる論争

 日本人の多くが、南京大虐殺のことを知るようになったのは、第二次世界大戦後の東京裁判と並んで、朝日新聞記者・本多勝一(かついち)(1932― )の『中国の旅』(1972)に負うところが大きい。しかし、このベストセラーに対して、鈴木明(1929―2003)『「南京大虐殺」のまぼろし』(1973)が反論を加えたが、鈴木の主張は、事件の存在そのものを否定するものではなく、事件が誇大に伝えられていることを強調するものであった。
 その後、田中正明(1911―2006)『“南京虐殺”の虚構』(1984)が発表されると、その内容が事件の存在そのものを否定するものであったため、日本の歴史家だけでなく中国をも巻き込む国際的論争に発展した。こうしたなかで、旧陸軍の正規将校の団体である偕行(かいこう)社が、『南京戦史』(非売品、1989)を公刊して、少なくとも約1万6000名に上る捕虜などの殺害があったことを認めたため、論争は一段落した。
 ところが、1990年(平成2)のなかば以降、中国の対日批判などに対する反発もあって、虐殺否定論がふたたび台頭する。その代表的存在が、東中野修道(おさみち)(1947― )『「南京虐殺」の徹底検証』(1998)だが、同書の特徴は、捕虜や投降兵などの殺害が行われたことはいちおう認めたうえで、その違法性を否定するところにある。
 被虐殺者の数については、中国政府が約30万説をとっているが、日本の国内では、10数万から20万前後とする説、4〜5万とする説、1万前後とする説、事件そのものの虚構説などの諸説が存在する。数の面でこれだけの違いが出る一つの理由は、虐殺の定義と範囲が論者によって異なるからである。なお、日本政府自身は、南京で不法行為が行われたことを認めており、文部省(現文部科学省)の検定を通過した、中学校や高校用の教科書でも、南京大虐殺事件についての言及がある。
[吉田 裕]


歴史的事実として虐殺があったことが確定していることが前提となった記述ですにゃ。
数字などについては、ちゃんと根拠をあげたうえで「〜と推測される」と確定を避けた記述がなされていることも確認しておくこと。また、話者に依存した記述でにゃーことも確認しておくこと。
さて
「この日本大百科の記述が歴史的事実そのものか?」と問われたら、僕も「否」といいますにゃ。科学仮説が真理そのものではにゃーということと、同じ意味合いにおいて「否」という。また、南京大虐殺という事象があったということについては、専門家集団の合意として絶対にひっくりかえることはにゃーほど堅い学説であることも僕は理解しているにゃ。
つまり、一般に流布する言説として、「南京虐殺があったことは歴史学で証明されている」と言うことはかまわにゃーだろうということだにゃ。


専門家集団への信頼

進化論について僕は基本的なところは理解しているつもりですにゃ。しかしもちろんシロウトの域を一歩もでるものではなく、その全貌を把握しているわけでも細部に詳しいわけでもにゃー。それでも専門家集団を信頼するのは、その信頼が合理的だからですにゃ。以前にも言ったように、専門家集団内で激しい競争が行なわれており、その議論は開かれたものなのだから、その合意された学説を信頼するのは合理的なことでしょうにゃー。
一方、
南京大虐殺については、進化論ほど時間をかけて書籍などを読んだわけでもにゃーのだが、自分で書籍を読んだ限りでは南京大虐殺があったことはガチだと考えており、また、自然科学の専門家集団を信頼するのと同様な理由で、歴史学の専門家集団も信頼しているともいえますにゃ。

あぶりだされたのは何か?

僕の言っているのは、きわめて穏当なことにゃんぜ。

  • ニンゲンは事実そのもの、あるいは真理には到達できない

しかし

  • 対象にする事象によっては、ほとんど確定的だといいえるところまで近づける
  • 事実に近づく体系的な方法論をもった専門家集団を基本的に信頼する

そして

  • これらについては、文系も理系もない*2


ねえねえ、進化が事実だと思っているそこのチミ。チミは何で進化が事実だと思っているの? 進化学の領域すべてをチミは知っているの? そんなヒトは世界に何人もいにゃーだろけどね。
え? 進化論は学会でちゃんと認められてるって?
でも、進化論に文句をつけるヒトタチは後をたたにゃーですよ。宗教さんだけでなく、養老センセイなんかも進化論を疑問視してるよ。養老センセイは東大の教授で医学畑のセンセイだよね
ほうほう、それでも進化論は正しいって? 養老なんてノイズにすぎにゃーって? 世界中の大多数の専門の学者が進化の事実に同意してるって?
スバラチイ。僕もそう思うにゃ。
で、
なんでチミはその同じ態度を歴史学に対して持つことができにゃーの?


[南京大虐殺論争:wikipedia]より引用


虐殺否定説・まぼろし
一般的に否定派、まぼろし派、虐殺なかった派などと呼ばれる。ここでは否定説に統一する。主な研究者は鈴木明(雑誌記者)、田中正明 (元拓殖大学講師)、東中野修道亜細亜大学教授)、冨澤繁信(日本「南京」学会理事)、阿羅健一(近現代史研究家)、勝岡寛次明星大学戦後教育史研究センター)、渡部昇一上智大学名誉教授)などが挙げられる。

このメンツにまともな学者がいるの? こんなの養老と同じノイズじゃん。名の売れたヒトが1人でも反対すればダメというのなら、養老が反対する進化論ももちろんダメだよにゃ。
ここにあげたメンツ以外は、あったことを前提に規模などで論争しているんだろ? 規模の問題にクチバシを突っ込む意志も能力も僕にはにゃーけどな。

ダブスタあるいは歴史の強姦魔

自然科学は事実に迫ることができるけれど、歴史学は事実に迫ることができない、と考えるのは、ごくごく単純に、科学至上主義、あるいは科学教だにゃ。
自然科学の専門家集団を信頼して進化はあったと考えるけど、歴史学の専門家集団は信頼できないというのは、やはり科学至上主義・科学教に基づいたダブスタなんでにゃーのかな?
あるいは、
自然は好き勝手にできにゃーけど、歴史は好き勝手にできるという、いわば歴史の強姦魔の発想にゃんね。
自然も歴史も好き勝手にはできにゃーんだよ。
この、歴史は好き勝手にできない、ということを論じたのは、歴史における狭量な実証主義を批判した小林秀雄でしたにゃ。このネタはまたゆっくり書く。

イースト氏の言説がもたらすもの

イースト氏の言説においては、南京大虐殺という事実の有無について、証拠などはいっさい勘案されてにゃーよね。


さらに言うならば、インターネットの時代において、「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を駆逐することがそもそも可能なのか、また、彼らが公共圏の議論に参加可能なレベルの「知の技法」を身につけることが可能なのか?という問いもあるでしょう。そして、東はその可能性に完全に絶望しています。ゆえに、

(同、p.189)
公民的な自覚をもたない人をどれだけ抱えられるか、そちらから社会設計を考えるしかない。これがぼくの前提です。


(同、p.231)
市民であり公民であることが正しい人間であり、それを育てていくことでしか社会は変えられないという理念に対して、ぼくは違和感がある。ぼくの関心は、むしろ、全員を市民や公民に育てあげることなど不可能だという諦めのうえで、でもそれでもいい社会をつくるにはどうするか、というところにある。

と語ります。

つまるところ、東が歴史修正主義を「容認」するとすればその限りにおいてであって、歴史修正主義者がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、それよりない、と言っているように私は読みます。その結果として歴史修正主義を容認したように見えたとしても、それはそうした態度の反射的効果にすぎない、とは言いうるかもしれない。


http://anond.hatelabo.jp/20081201233221


先に引用した日本大百科の記述と、wikipedia:南京大虐殺の記述と比較してみろ。ウィキペディアのほうは「〜したとされる」「〜といわれている」ばっかりだ(うんざり。
歴史修正主義者がネットで暴れ回った結果がこれだにゃ。
イースト氏は証拠・根拠を検討することを一切放棄しているわけだから、進化論や相対性理論*3についてのウィキペディアの記述も、目茶苦茶な難癖を併記した上で、「〜といわれている」ばかりになることも容認しなければならにゃーぜ。
ただでさえいろいろ問題のあるウィキペディアが、糞の役にもたたなくなるわけにゃんな。というか、ネットそのものが肥だめであることを容認することになるにゃ。これは「集合知」の否定だろ。
まあ、現時点でもほとんど肥だめだけどさ、クズは90%*4に抑えておきたいものですにゃ。

最後に

イースト氏の言説に対し、進化論を持ち出したのは、単なる反・反科学の立場からではなく、科学至上主義・科学教のあぶりだしの意図もありましたにゃ。
そして、歴史修正主義が比喩的な意味ではなく疑似科学であることも示したかったのですにゃー*5。これは、id:Apemanあたりもまえまえから言っていることだけどにゃ。
ここ数日で書いたことは、まともな疑似科学批判者であれば、少なくとも真っ向から否定することはにゃーと断言できますにゃ。なぜなら、まともな疑似科学批判者は、自然科学を特権化することはにゃーからだ。だから、歴史学が事実に迫れないなどというはずもにゃー。
また、普段は意識されてにゃー自然科学の特権化が、歴史学などにおける認識論的相対主義の温床となり、南京虐殺の否定*6のような歴史修正主義を蔓延させる風潮を後押ししているかもしれにゃーということも、今回のやりとりで見えてきたことでもありますにゃ。

*1:このどうしようもにゃーブクマコメに、現時点で9つの星がついているにゃ。つけたのは、id:suekichi-sunid:CrowClawid:magician-of-posthuman×3、id:Lhankor_Mhy×3、id:adoratio

*2:ガクモンそのものの権威性・権力性についても文系も理系もにゃーけどな。まあ、この話題はおいとこう

*3:相対性理論もアレなヒトタチの巣窟になっている

*4:すべてのものの90%は屑である、という絶対真理 - 地下生活者の手遊び

*5:成功しているかどうかはなんともいえにゃーが、まあある種のあぶり出しまではできたかな、と

*6:「の否定」の部分は追記