ゴルギアスの「真っ当な幻惑」


追記して改題しました


白水社 文庫クセジュの「ソフィスト列伝」を楽しく読んでいるんだけど、ごくごく個にゃん的に驚愕した記述があったんでメモ代わりに。

ソフィスト列伝 (文庫クセジュ)

ソフィスト列伝 (文庫クセジュ)


ドクサ〔臆見〕とは、相対立する二者によって引き裂かれた精神の状態である。これに対して、知とは、実在のうち、言説が正当であると承認した側面に引き留められた精神の状態である。実際、言説は現れの主人であり、そして、言説こそは、実在の表面化すべき面を選び出すことで、人間にとっての実在性をなす現れを創造するのである。言葉のこの創造力を語る際のゴルギアスの口調は、この上なく称賛に満ちている。


言語は偉大な専制君主であり、目に見えぬほど微小な物体により、この上なく神的な仕事を成し遂げる。というのも、言語は恐怖を鎮め、悲しみを取り除く力を持ち、喜びを生み、哀れみを増す力を持っているからである。
ヘレネ称賛」

P51


このゴルギアスの言葉って、前半はラッセルの論理的原子論の哲学っぽくにゃーか?

論理的原子論の哲学 (ちくま学芸文庫)

論理的原子論の哲学 (ちくま学芸文庫)


で、後半は紀貫之古今集仮名序だにゃ


力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり


分析哲学と呪術的言語観って、もしかしたら同居できるのかも。

追記

この辺もスゲエ


われわれが生きられた悲劇に耐えること、すなわち、この悲劇を正当化し、かつ理解することがわれわれにできるのは、この幻惑もしくは詩化としての悲劇のおかげなのである。実際、悲劇が創造する「幻惑」とは次のようなものである。


一方で、幻惑を生み出す者は幻惑を生み出さぬ者よりも正しく、他方で、幻惑に魅せられる者のほうが幻惑に欺かれぬ者よりも知恵があるのである。というのも、幻惑を生み出す者は約束したことを果たしたから正しいのであり、幻惑の魅力に屈する者のほうが知恵があるのは、言葉の快さに捕らえられるのは、感覚を欠いていない者だからである。


したがって、ゴルギアスにとってのソフィストの技術、すなわち知恵ある人間の技術とは、アイスキュロスの悲劇と同じであり、それは、「真っ当な幻惑apate dikaia」ということに尽きる。


P53


右派にも左派にも利用可能で、右派にも左派にも突っ込まれそうなロジックにゃんなあ。
個にゃん的には「真っ当な幻惑」ってすっごく好き。