孔子伝・書評(1

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

静タン(白川静)の孔子伝をたいへん面白く読みましたにゃ。
特に、第二章 儒の源流 と 第四章 儒教の批判者 が興味深かったにゃ。
静タンは学生運動の中心地である立命館大学で教鞭をとっていましたにゃ。本書の単行本刊行は1972年であり、執筆はそれ以前であることを考えると、70年安保がこの書物に大きな影響を与えていたことでしょうにゃ。また、当時の中国では文化大革命の最中であり、孔子は排撃されていた時期ですにゃ。そのあたりの背景を考え合わせると、静タンがこの本でいいたかったこともいろいろと見えてくるかもしれにゃーですね。
碩学の手になる書籍を読む喜びは、もちろん知らなかった知識を得られることにもあるけれども、その見識に触れる愉しみというものもあるわけですにゃ。当時の政治的状況に対して、碩学がどのように考えていたか、その見識がこの書籍のはしばしにうかがえるところも見どころだと思われますにゃ。
また、その文体もすばらしいものでしたにゃ。古典に親しんだ者の文体の美しさというだけでなく、非常に明晰でロジックのしっかりした文体でしたにゃ。ほれぼれ。


940円で新品が手に入る本でもあるし、書評というよりは僕が個にゃん的に「カコイイ! 静タン(ハアハア)」と感じたところをだらだらと引用したり、無責任に妄想したりしたことを適当に書かせていただきますにゃ。


第二章 儒の源流
孔子は巫祝(ふしゅく)の子であり、巫祝社会に生長した人であろうこと。本来は巫史(みこ)の学であるがゆえに、孔子の教学の根本は実践にあること。
このあたりの認識から、以下のような記述が出てくる。


孔子はみずからの学を「述べて作らず」といったが、孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかもしれない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。たとえば伝統が、形式としてあたえられるとき、それはすでに伝統でないのと同様である。伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてこれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、「述べ」られる。述べられたものはすでに創造なのである。P70


伝統においては、完成された個性はすでに個性ではなく、その人格の全体が伝統の場となる。述べるものはすでにその個性ではなく、伝統の場としての没主体の主体であるといえよう。P71


ここには創造の逆説とともに、個を軽んじることによって伝統というものが成立することなどありえにゃーという認識を示しておりますにゃ。個人と社会、とか、公と私、とか、伝統と革新、とかいった単純な二項対立にはうんざりにゃんよ。
また、ここで言われている「述べるものはすでにその個性ではなく、伝統の場としての没主体の主体である」というのは、まともな右翼(=神秘主義復古主義者、僕はこの立場はまともだと思ってるんで)のいう「社稷」の思想なのではにゃーかと思いますにゃ。そしてそれは、歴史の改ざんを結局は避けえにゃーものなのではにゃーだろうか? この歴史の改ざんについては、すでに恣意的なる始源 - 地下生活者の手遊びで触れていますにゃ。




むかし、天と地は一つであり、神と人とは同じ世界に住んだ。それで、心の精爽なものは、自由に神と交通することができた。神の声を聞きうるものは、生者であった。P91

と始まるセクションでは、殷王朝においては、すべての主宰者は帝であったこと。かれらは帝を至上神とする神話の体系をもち、その祭祀権の上に王権が成立していたこと。殷にかわった周には、殷王朝のような神話の体系がなく、また神話継承の条件もなかった。人格神としての帝の観念はすてられて、非人格的な、いわば理性的な天の観念がこれに代わったということ。中国における合理主義的な精神の萌芽は、この天の観念に発していることが述べられますにゃ。
そして、非人格的な天もまた意志をもち、天の意志の媒介者として人民が意識されるという事態が生じてくるにゃんね。これが孟子の民本思想の根拠となる。


ここで面白いと思った箇所を引用


天の思想は、古代的な宗教と政治を切りはなした。そしてそこに合理的な精神を導入したが、天意が民意を媒介として表現されるのは、人間の存在の根拠が、その徳性のうちにあるとする自覚にもとづいている。「民の彝(つね)を秉(と)る。このよき徳を好む」というように、徳性は本来すべての人に内在するものである。さらにいえば、それはすべてのものの根源にあって、普遍であり、しかも知覚を超えたものである。「上天のことは、臭もなく聲もなし」と歌われているように、それは形而上的な実在である。P93 変換できない漢字は平仮名にしています。


ここで言及されている天の思想が、西欧思想史における理性と似たようなものであることが非常に面白いにゃ。古代中国において、市民革命の理論における形而上的な基盤がすでにあったということにゃんな。
また、天の思想というのは、理念としてはメリケンの市民宗教と似たものを感じますにゃ。


「仁というのは、孔子が発明したものらしい」というくだりにはちょいビックリしましたにゃ。論語においても仁を論じた章は、約四百章のうち五十八章に及んでいるけれど、仁を定義したものはにゃーそうだ。


「仁遠からんや。われ仁を欲せば、すなわち仁至らん」というのは、その容易さをいうのではなく、まず仁を欲するという、その意志が先決であるとするのである。P114


仁とは孔子をもってしても規定することがあたわず、志向性のうちにあるものだとしかいえにゃーようだ。そして、そのような志向性において何が起こるか。


そこでは、すべての行為や存在は、みな仁の媒介者であるに過ぎない。その媒介者の場としてあるもの、それが孔子のいう仁であったのではないかと思う。P114


もし伝統と価値との同時的な統一、すべてのものがここにおいてあるという場としてのそれが仁であるとすれば、それはまことにみごとな伝統の樹立のしかたであったといえよう。儒教はここに成立する。儒教孔子の仁において成立するとされるのは、この意味に外ならない。P115


第二章の結論部に近いところで以上のことが述べられていますにゃ。これは、第二章冒頭で述べられている、場の思想とでもいうべきものにゃんね。

  • 個人の内部という場において、伝統は追体験されて始源と現在がひとつとなり、すべての行為や存在という多なるものが仁という一なるものに媒介されるのが孔子の教学である。

といえるのではにゃーだろうか。
(この項つづく)