排泄時の表情における進化論的考察

またも小ネタ。このまま小ネタブログになりそうにゃんな。


うちの3歳児がトイレで用を足すことが最近やっと定着しましたにゃ。なぜかウンコをトイレですることを嫌がっていたんだけど、なだめすかしてトイレでウンコをさせて大仰に誉めまくるということを何度かしたら、トイレでのウンコが愉しくなってきたらしい。ウンコしたくなると「ウンコするからいっしょにきてー」とおっしゃるのだにゃ。トイレでウンコする雄姿を見せたいのですにゃ。
考えてみれば、他人がウンコするところを見る機会というのはなかなかにゃーものだ。まあ、そういう趣味のヒトタチ向けのそういうビデオはあるらしいけど、ちょっと僕とは趣味が違うし、あまり他人のウンコする姿を見たいとは思わにゃーしね。
それはともかく、トイレは洋便器なので、ウンコそのものとか尻が見えるわけではなく、見えるのは顔、表情ですにゃ。他人がウンコする表情というのは、なかなか見られるものではにゃー。考えてみれば、自分がウンコするときの顔を鏡で見たことのあるヒトもあまりいるとは思えにゃーので(僕は今度やってみよう)、

  • ニンゲンがウンコしている表情をじっくりと観察する機会はあまりない

ということは言えるのではにゃーだろうか?


それでですにゃ、ウンコをしている3歳児の表情というのが実にイイのですにゃ。
悲哀があり、苦しみがあり、幽かな性的快感も見て取れるし、もっとも無防備であるがゆえの警戒感もありそうな、そしてせっぱ詰まったものに突き動かされてなすすべのない実存的不安というか、いろいろなものがないまぜになった表情。そして、ことが終わったときの解放感。実に「よいお顔」といってよいでしょうにゃ。
この「よいお顔」は、犬がウンコをしている顔に通じるんだよにゃ。犬もウンコをするときに、じつによい顔をしますにゃ。生きとし生けるものの悲哀、ちゅうかね、生まれてごめんなさい、ちゅうかね、目覚めるとグレゴール・ザムザは一匹の巨大な虫になっていた、ちゅうかね。


考えてみると、ガキがウンコをしながら「よいお顔」をするようになったのは最近のことで、オムツでウンコをしていたころの表情は味わいが浅かったように思えますにゃ。まるで、猫がウンコをしているときのような、ある種無責任な顔でしたにゃ。
さらに、ガキが歩けなかったころなどは、ウンコをする際の表情というのはさらに他人事ちゅうか、まるで鳥類がウンコをするときのごとく、何の味もにゃーのっぺりとした表情だったと記憶しておりますにゃ。


ある種の精神性というものは、ウンコをする時の表情に表れるものではにゃーのだろうか? 犬という生き物は、ウンコをするときの表情に味があるがゆえに「わかりあえる」という気がするのですにゃ。で、無表情にウンコする鳥類はやはり異質な気がするのだにゃ、さすが恐竜の直系の子孫だにゃ。猫はその中間、それがやつらのスタンスだよにゃ。
ニンゲンのガキも、爬虫類とか鳥類なみにわけのわかんにゃー存在から、だんだんとニンゲンとわかりあえる存在になってくるのだと思いますにゃ。4歳に近くなると、犬の段階に達しつつあるのではにゃーだろうか?


霊長類、ことに類人猿はどういう顔でウンコしとるんだろう?
見てみたい。