デューイを読もう
ドーキンスの「神は妄想である」についてはまだまだ突っ込むネタはあるんだけど、にゃんかだんだん嫌になってきたので休止しますにゃ。ただ、ドーキンスの文化相対主義批判については、反・反相対主義の立ち位置を表明したものとしてちゃんと反論しておかなければならにゃーのだが、それもいろいろな都合上後回しにしますにゃ。必ずやるけどね。
とりあえずちょっとポジティブに行こう!
デューイの著書を読んだことはにゃーのだが、岩波文庫の「ダーウィニズム論集」の最終論文に「ダーウィニズムの哲学への影響」という論文があって、これはずいぶんと面白く読みましたにゃ。この最終論文のためだけにでも、一冊丸ごと買う価値アリ(他にもいろいろと興味深い論文があるけど)。ただし、絶版ですにゃ。岩波文庫はすぐに絶版になるので、ほしいと思ったときに買っておかにゃーと後悔すること多。まあ、中古はアマゾンにもまだあるみたいにゃんけど。
- 作者: 八杉龍一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/11/16
- メディア: 文庫
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さて、この論文の【訳者解題】から引用しますにゃ。
そもそもプラグマティズム哲学の成立が、ダーウィニズムを動機としている。プラグマティズムはイギリス経験論の系譜を受けつぐが、それにおいては経験が外界から刻印される受動的なものと考えられているのにたいし、プラグマティズムでは経験獲得の、そしてまたそれによる外界への適応の能動性が強調される。それこそダーウィンの進化学説から汲みとられた観念であり、同時にプラグマティズムは、ダーウィニズムを契機として起こった科学と宗教の対立をめぐる哲学的空論の排除を重要な意図としている。ダーウィンが知識の論理を変換させたというデューイの言葉は、まさにそのことを表現するものであろう。P322
自然界の真理にかんしもっぱら確定性と固定した法則とに探求の目を向けてきた科学において、ハイゼンベルグにはるか先立ってダーウィンが不確定性の原理を導入したことをデューイは明らかにしたという評価が、デューイ論においてなされている。P324
ということで、ダーウィニズム、ひいては科学と思想とのかかわりを考えるうえでは参照しなければならにゃー哲学者といえるでしょうにゃ。
個にゃん的にも、この論文でアリストテレスの形相(エイドス)が英語ではspeciesと訳されていることを知って、もうこれだけで何だかわかんなかったアリストテレス哲学について目からウロコがぼろぼろ落ちた覚えがありますにゃ。また、「形相=ダーウィン以前の種の概念みたいなもの」というイメージがあると、中世普遍論争についての入門書を読むにもだいぶ理解しやすかったにゃ。このあたりについては、ヒマーなときにまとめてみたいにゃー。
さて、ダーウィニズムと哲学との関連からデューイを論ずるのはいつかやるとして、これから参照するのは 歴史学研究会「近代」を人はどう考えてきたか (講座 世界史)に収録されている第五論文の「デューイ」ですにゃ。教育学者として名声高いデューイにゃんがwikipedia:ジョン・デューイ、哲学者としても再評価されているみたいにゃんな。そういえば、最近眺めている科学哲学者パトナムの著作でもデューイの名が肯定的にちょこちょこでてきてますにゃ。
この論文ほかから、デューイがどういう人物だったかを簡単にまとめてみると
- 専門分野外の社会問題に積極的に発言
- アナキストに対する米国の冤罪裁判として名高いwikipedia:サッコ・バンゼッティ事件において、有罪判決に積極的に抗議
- 1928年時点で、ソビエト連邦の正体を見抜いていた
- 本人の弁明の機会もなかったトロツキー裁判(wikipedia:トロツキーを参照)を審査する国際調査委員会の議長として、暗殺の危険をおかし、実に79歳のデューイが議長を務める(1937年)。感激したトロツキーはデューイにすべてぶちまけたという。
- 1938年、トロツキーとのやりとりをまとめた「無罪」という大著をあらわす。史上最も早いスターリン批判の書。
と、自らと政治信条が異なっていても、不当な扱いを受けた者を命をはって支援する知識人であり、またソ連、スターリンの正体をもっとも早く見抜いた炯眼の持ち主ということですにゃ。
このデューイが1919年(大正8年)に来日しておりますにゃ。東大で8回にわたり行った講義が「哲学の改造」(岩波文庫)という書籍になり、英訳もされておりますにゃ。
この炯眼にして有言実行の哲学者が当時の日本をどう見たか?
- 軍国主義ドイツを支持する一部官僚・退役軍人・評論家がいることに気づいて衝撃を受けた
- 日露戦争までは自衛戦争という弁明は通じるが、それ以降は機会均等に名を借りて中国を併呑するつもりだと見抜く
- 原敬内閣をまったくの無策と切って捨てる
- 小学校教師が、生徒には忠君愛国を教え、学校外では組合活動をすることの教育的な悪影響の懸念を表明
- 日本がヴェルサイユ条約で主張した人種差別の撤廃(日本からの米国移民が政策として差別されたことへの日本からの抗議)が却下されたことを批判し、米国のこの人種差別政策が日本人をして軍部に頼らせ、結果として「太平洋で必ず大爆発を起こす」と予言をしている
- 日本に軍国主義の妙味を教え、戦争が金儲けになると教えたのは欧米ではないかと反省している
などなど、一次大戦直後の米国人としては、驚異的に正確で公平なものの見方をしているにゃんなあ。
デューイによる日本のマスコミ評には笑い泣きにゃんね。
新聞の大胆不敵といってもよいような無責任ぶりは世界に例をみない。
ぶわっはっはっはっはっはー、泣けるにゃー orz
日本の軍国主義について在京の中国人に絶えず謝っている日本人については「本物のリベラル」と称揚しているにゃ。
うんうん、軍国主義でヒデエことしたら謝るのが誉められるべき行為だよにゃ。アタリマエのことなんだけど、こういう人がきちんとそういってくれていると、ちょっとほっとするにゃんなあ。
プラグマティズムについては、非寛容な疑似宗教セクト、その名は理性至上主義 - 地下生活者の手遊びで、protein_crystal_boyがくれたコメントにある「可謬主義」にも関連するにゃんね。
プラグマティズムより引用
プラグマティズムが基礎とするのは、科学に携わるものすべてが共通とする仮説「実在仮説」である。現実の問題を解決するために繰り返し「探求」を重ねるとき、究極において、実在と言う「外部の力によってひとつの同じ結論に導かれる」という信念がそれである。一方でこうした仮説は探求の前提であるがゆえに、探求それ自体によって証明することはできない。「実在仮説」はいわば超越的存在に対する信仰ともいうべきものである。
このことを背景とした、もう1つのプラグマティズムの基礎にあるのが「可謬主義」である。プラグマティズムの基礎を確立したパース(C.S.Peirce 1839-1914)は「自分を正しいと思いこむ病気ほど、確実にその人の知的成長を止めてしまうものはない。」とその著作の中で述べている。我々は何にせよ直感的に物事の真実を見極める能力を持ち合わせてはいない。ゆえにどのような探求においても、その入り口において誤った前提を設定してしまう危険が常に存在する。こうした自分の考えが誤りをおかす可能性があることを自覚することが「可謬主義」である。
そして最後にこの「可謬主義」からは当然のごとくに、常に自分と異なる思想的立場を認めるという「多元主義」がうまれる。これは「たとえどのような観念でも、それを信じることがある種の人々に宗教的な慰めを与えるならば、−その限りにおいて−という限定つきではあるが、これを真理として認めなければならない。」というジェイムズ(W.James 1842-1910)の著述にも明確に表されている。プラグマティズムはこれら「実在仮説」・「可謬主義」・「多元主義」を根底に、人間の「考える」根拠を明確にするために発展してきたといえる。
ちゅうわけで、プラグマティズムは僕にとっては感覚的にしっくりくるにゃ。
なぜか今まで手を付けてなかったんだけど、これから読んでみようかにゃー? パースもなんかヘンで面白そうだしにゃー。まあ、今は読みたい本が山積み状態にゃんが、デューイやパースを読んだらブログでも取り上げたいと思いますにゃ。
神話学とか人類学の知見って、科学主義的な発想をいとも簡単に相対化できるんだけど、そういうロジックって科学大好きクンに「届かない」んだよにゃ。近接戦闘の武器は罵倒修辞学だけってのも、ブログではちょいとやりにくいしにゃ。