魔法の真の力

昨日および一昨日のエントリの続き
サイエンスライター森山和道氏が、各分野での科学者にインタビューをするという内容のNetScience Interview Mailというメルマガがありましたにゃ。この内容が公開されているのがNetScience Interview Mail Home。けっこうオモチロイ。
この中に昆虫の脳の研究者、神崎亮平氏へのインタビューがありますにゃ。この最終部分から引用。


[20: 昆虫の戦略 〜環境との相互作用による問題解決]


■昆虫の行動は一見なぜ複雑に見えるかと言うとね、やっぱり周りの環境を無視して考えているからだと思うんです。実は比較的シンプルな行動パターンなんだけど、それが周囲の環境の影響によって、複雑に見えているんだと思います。
カイコの行動だって、ごく当たり前の状態で見ていると、ジグザグやリセットのパ ターンなんか見えないよ、はっきり言って。


○実験室のように極端に単純化した環境にすると、初めて隠されていたパターンが浮き上がって見えてくると。


■そうです。そういうものだと思います。もともとは結構シンプルな仕組みがあるというのが僕の印象です。環境と切り離して behaviorを見ることは絶対にできない。カイコガの行動を思い出しても、少し匂いの頻度を変えるだけでその行動パターンは全く変わってしまう。でも、基本形がある。


○しかし、どうしてそういうものが進化でできあがってくるんでしょうね?


■これは、ぜひ昆虫学者に僕も聞いてみたいと思ってるんです。以前、ある昆虫学者に聞いたことがあるんですが、さあどうしてでしょうね、と軽くかわされました。もう一度ぜひ聞いてみたいことです。僕が思うのは、環境との相互作用、これがキーですよね。逆に人間みたいにメモリーベースで行動すると環境なんかどうでも良くなって、独立独歩でやっちゃえという形になっちゃうんじゃないかな。その点、昆虫というのはメモリーというのは限られた神経細胞数のせいで得意じゃない。だから、外部記憶装置として環境をつかっているというのはどうですか?


○うーん。


■だから人間のように記憶をつかって行動を変容しなくても、たとえ内部は固定化されていても、外部記憶装置によって変容が可能となる。環境と一体化している。


中略


■これを逆に言うと、今後、地球の環境が変動したときにも生き延びる確率の高い生物のひとつが昆虫と考えられる。だから彼らのこういう仕組みっていうのは知りたいなと。われわれ人間のように環境から離れて、むしろ環境にダメージを与えるような方向で行くのか、それとも環境と一体化して、森の人になって生きていくのとどっちが良いのかな、と考えてしまうんですよ(笑)。


○(笑)。


■ただ人間の場合は、行動を変容するためのメモリーが強烈にあるが故にね、なかなかそうとばかりは言えないけども。昆虫はそれをあまり持つことができなかったということは、他の解決手法を取る必要が当然あったわけで、それは僕に言わせれば、やっぱり外部記憶装置としての環境との相互作用−−お互い反発するんじゃなくて、一緒にやっていくような仕組みが何らかの形でできてきて、それがターンの角速度とか一つとっても、ちょうどいいところ、最適値におちついたのかもしれないけどね(笑)。


一般に演算装置というのはメモリー搭載量が大きいほど高性能となりますにゃ。むかーしパソコンを触っていた友人が、「おい、こいつは最新型のすげえマシンだぜ。メモリーはなんと640kも積んでるんだああ」とか言っていたのを何故か僕はよく覚えていますにゃ。
生物の適応戦略として、脳という演算装置を高性能化していくという方向性は有効なんだけれど、脳という器官をでかくして維持するというのは非常にコストがかかるわけですにゃ。生物の世界においては、ベネフィットとコストを秤にかけつつ、いろいろな戦略が試されていくことになりますにゃ。


モリーがたっぷり積まれた高性能の演算装置を使えば、経験を蓄積することにより自然環境という現実をシミュレートして行動を変容し、よりよく現実に適応することが可能になるはずだにゃ。そして、シミュレーションというものは、ひとつの世界の構築を意味するのではにゃーだろうか? 外界をシミュレートすることができるということは、いわば「内界の発明」がなされたということではにゃーだろうか? 多分、脳が発明されたときに「内界」が生まれたのではにゃーかと僕は思う。
そして、メモリー容量が増大し演算性能があがってシミュレーションの精度があがるほどに、「内界」の自律性が増大していくにゃ。犬や猫を飼ったことのあるニンゲンなら、奴等に個性があるということは自明だと思いますにゃ。個性があるというのは、内的な自律性が相当に高くなっていることを意味していますにゃー。
そして、ヒトの場合、コストをかけてでも演算装置を高性能化し、メモリーもたっぷり積んだわけにゃんね。「環境なんかどうでも良くなって、独立独歩でやっちゃえ」といえるほどのメモリー容量を実装するに至り、「内界」の自律性は相当に高まっていますにゃ。高度なシミュレーション能力を持てば、外界に働き掛けて、意図的に外界を操作することも可能になるしにゃ。


そして、とんでもにゃーことがおこる。相当程度に自律性が高まった「内界」を共有することのできる魔法を手に入れてしまうのですにゃ。この魔法のことを「言語」というにゃんね。
この「内界の共有」というのは本当にとんでもにゃー魔法ですにゃ。というのも、言葉によって共有された「内界」は、それが共有された集団内では実体を持ったものとしてふるまうことができる。つまり、「内界」が外の世界に引っ張り出されてしまうということになるんですにゃ。共有された「内界」は、協業により外部に実体化されるのですにゃ、規範として、認識として、世界観として、つまりは制度あるいは文化として。

  • 「内界」を共有して文化あるいは制度として実体化することによって、ニンゲンは成功してきた

ニンゲンは、考えを共有して仲間をつくるのが大好きな生き物なんですにゃ。そうやって成功してきたのだしにゃ。
そして、実体化されたものは、僕たちにとってバーチャルな(つまり、仮想的でありかつ実質的な)環境であり現実となるのですにゃ。


インターネットの普及によって、妄想が共有され強化されるということがおこっているとよく言われますにゃ。だから疑似科学スピリチュアリズムもちっとも廃れにゃーのだと。僕もそういう側面はあると思いますにゃ。現実と対応関係のにゃー妄想が、共有されることによって強化され実体化されるわけにゃんね。
しかし、妄想の共有から実体化というプロセスはネットによって始まったわけではなく、ニンゲンが言語を手に入れたときに始まっていたことなのですにゃー。ネット上では効率的に妄想の共有が可能だけどにゃ。


妄想というのは、いわば失敗したシミュレーションなんだけれども、ニンゲンの「内界」は自律性が強いので、外部との対応関係がなくとも存続することが可能ですにゃ。そして、共有されることによって強化されるし、僕たちは考えを共有することが大好きだにゃ。しかし、共有された考えが妄想でにゃーという保証はにゃーよね。
妄想が大規模に共有された例は、魔女狩りを典型として史実にいくらでもみることができるにゃ。自然科学においても、フロギストン、エーテル、人種などと、結局は妄想であった概念はたくさんありますにゃ。
今の僕たちにとってリアリティのあるものも、実は妄想なのかもしれにゃー。神は妄想かもしれにゃーし、貨幣は妄想かもしれにゃー。国家も愛も家族も超ひも理論も妄想なのかもしれにゃー。
しかし
これはポジティブに考えるべきことなんだにゃ。
僕たちは妄想すら共有して実体化するという魔法が使える生き物なんだと頭を切り替えたい。
妄想でいいじゃん。妄想で何がワリイ。文化ってもともとそういうもんだろが。


というわけで、4月24日と28日・29日でやってきたお話をまとめてみますにゃ。

  • ニンゲンは言葉という呪文を用いて魔法が使える
  • この魔法の真の力は、妄想すら共有して文化あるいは制度として実体化できるところにある
  • ニンゲン各人の心の底に、魔法の成功体験が刻みつけられている
  • この魔法の体系のなかでは、言葉を媒介に万物は照応する(よって、この魔法は対象を選ばない)
  • 文化とは仮想的かつ現実的、つまりバーチャルなものである
  • 文化は自然環境に適応しなければならないという意味では、妄想だけでは成り立ちえない(つまり文化それ自体が、妄想的な面と現実的な面をもつ)
  • ヒト個体は直接には自然環境に適応せず、文化を通して適応する