市民宗教というタテマエ

で、今日のお話は、ちょちょんまげの問いに正面から答えるということでしたよにゃ。

ちゅうわけで、先日のエントリの続きでもあるし、アメリカ人的なるもの - 地下生活者の手遊びの続きですにゃ。

何度か引用しているオッカム氏のブログ「研究者生活の覚書」の中に、「市民宗教」を扱ったものがありますにゃ。政教分離原則の歴史 - 研究生活の覚書およびOwnership Societyと脱世俗化するアメリカ(2・完) - 研究生活の覚書を参照。
この記事はメリケンの文化なり、創造科学なりに関心のあるヒトには読んでほしい文章にゃんね。とりあえず「政教分離原則の歴史」から引用してみますにゃ。


「市民宗教」とは具体的・積極的宗教なのではなく、国民の宗教感情を、特定の宗派的主張を最小限に抑制しながら、政治的動員と安定に結びつける体系的方法論であるということである。つまり、アメリカ的な「政教分離」原則だと考えればすっきりするわけで、こうすれば合衆国大統領が就任式でバイブルに手を置いても問題はないわけである。ポイントは、心の中でジーザス・クライストへの誓いを抱いていてもかまわなくて、本人の信仰がキリスト教ならバイブルに手を置けばよろしいと。国民への献身を、自分の信じる神に誓えばよいと。ただし、公的な場で、「ジーザス・クライスト」の名を口にするのは、ルール違反だという点で、断じて政教分離なのである。だから、純粋に憲法学的にのみ考えれば、仏教徒が大統領に選出されれば、仏典に手を置いて、僧侶臨席のもとで、誓えばよいということになる。理論的にはそうなる。ただ、そういう日は来ないというだけのことである。


つまり、神の名を唱えることがメリケン流の「政教分離」原則だというにゃんとも逆説的なことらしい。


さて、ちょちょんまげが問いかけていたのは

  • もし猫さんが米国住まいで、お子さんが公立校で「the Pledge of Allegiance」(忠誠の誓い)を毎日言わされていたら、どう思われます?

ということでしたよにゃ。
「the Pledge of Allegiance」(忠誠の誓い)のセリフってのは、http://www.eigotown.com/eigocollege/marie_english/backnumber/marie_english06.shtmlによると


I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.


「私はアメリカ合衆国の国旗と、その国旗が象徴する共和国、神のもとに統一さ れ全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国に忠誠を誓います」


ここで言われている God って、市民宗教の文脈からすれば、目くじらをたてるようなものではにゃーと考えられますにゃ。
しかし
この「市民宗教」とキリスト教はもともと近いものですにゃ。たぶん、民衆レベルにおいては市民宗教とキリスト教の区別はなされていにゃーだろう。


僕がメリケンに住んでいて、僕のガキが毎朝「忠誠の誓い」を唱えさせられていたら、僕なら自分のガキに
「ここで言われている God は、キリスト教の神ではない。アメリカ建国の精神は特定の神をおしつけたりはしない」
と教えるのではにゃーかと思う。


ところで、さきほどリンクした「アメリカン・カルチャーを知る英語講座」によると


問題の「神のもとに」(under God)が付け足されたのは、冷戦の真っ最中の1954年、共和党上院議員ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)が煽動した赤狩りアメリカを席巻した直後のこと。


非常に保守的なカトリック教会の組織「コロンブス騎士会」が、「無神論共産主義国ソ連アメリカをしっかり区別するために」と働きかけて、「神のもとに」(under God)という一言が付加されることになったのです。


つまり、「忠誠の誓い」の歴史は、under Godなしのバージョンが62年、ありのバージョンは50年なので、なしのバージョンのほうが歴史的価値は高い、というわけなんです。


だから、「伝統」を重視するのであればベラミーが書いたオリジナルに近い、under Godなしのバージョンを採用すべきなんですよね。

ちゅうことで、赤狩りのときに under God が加わったみたいにゃんね(これも一種の歴史修正主義にゃんなあ)。この文脈からしても、God がキリスト教のそれなのか市民宗教のそれなのかは判然としにゃーけどな。
God が気にくわにゃーのであれば、
「俺は伝統主義者なので、オリジナルバージョンで行きたい。共産主義の脅威もすでにないから、 under God をぬいてくれ」
と頼むなんてのはどうだろにゃ? 受け入れてくれなさそうだけど。


ブッシュが言及する神は市民宗教の神ではなくキリスト教の神であって、ブッシュは市民宗教の破壊者であるとオッカム氏は指摘していますよにゃ。赤狩り時に under God が加えられたことといい、市民宗教というのはもともと危ういものなんだろうにゃ。
しかし、
もし僕がメリケンの市民なのであれば、あくまでメリケンの権力のタテマエを遵守するよう求めていく方法論をとるでしょうにゃ。僕は自由民主主義政体のタテマエを支持しているので、公権力は自らの存立基盤となるタテマエを遵守せよと迫るしかにゃーですね。

で、自分のガキに対しても、「俺はこういうスタンスだよ、無力だけどねえ」といっていくくらいしか思いつかにゃーです。
うにゃ、やはり情けにゃー結論だ。