被曝労働とリスク分配に関する覚え書き


メモのつもりだったがあげておく。
断絶と欺瞞 - kom’s logでのコメント欄における応答も兼ねて。


承前


1)原発は根本的に中央集権的・独占的・軍事的・差別的な技術で、ひとくちに言えばファッショ的な技術。
こーゆーファッショ的な技術があぼーんしてしまった場合のオトシマエをどうつけるかという問題。


2)基本的に、市民の被曝は「都市-地方」問題だし、労働者の被曝は階級の問題。
こーゆー問題を自由経済だの市場原理だのでなんとかしようとしても、階級的矛盾をこじらせるばかり。
なんつーか、オールドサヨク階級闘争史観がそのままあてはまっちゃうんじゃねえかぐらいの事態。


3)市場っつーのはよくできた装置で、資源化できるもの、使えるものはガンガン調達してきちゃうわけだ。ニンゲン存在というのも例外でなく資源として調達してしまう。
で、ニンゲンが手段化されてしまうのは止める必要がある。これを肯定しちゃうと、例えば貧困国の貧困な人たちから先進国の金持ち様が臓器を買ったり、奴隷を買ったりすることも肯定することになっちゃう。
被曝労働には本質的にそうした性格がある

つーわけで、原発推進にしろ廃炉にするにしろ、被曝労働を労働市場に全面的に委ねるのにはのれないなあ、と。


4)市場がうまく機能しない、あるいは機能しちゃ困る場合には公権力の出番となる。ここでid:D_Amonは国家の全面的介入を筋論として主張しているわけだ。


5)労働徴用のごとき全面的介入はどうよ? という批判は当然にありえる。現在もやっている被曝労働者の健康管理をもっと徹底することや、報酬の圧倒的増大(もちろん、中間搾取者にわたらないような方法であることは前提)という介入だっていいんじゃね? と。
なぜこれじゃ駄目なのか?

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6)仮にこのまま原発を推進していくとする。すると、このままずっと被曝労働者と原発立地へのリスクの押し付けは続く。推進側の責任者は自分が被曝するリスクなんて基本的には負っていない。現場、立地、労働者、そして未来にリスクを丸投げ。二次大戦時の軍部と同じですな。

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7)仮に全面的に廃炉にするとして、この場合でも廃炉解体で一時的にすさまじく多くの被曝労働者を必要とすることになる。で、廃炉を主張しているヒトタチは自分が被曝労働をするリスクを負ってるのかというと、リアルに議論した限りではどうもそうじゃないらしい。
「東電や政府の責任だ。なぜ我々が被曝労働をしなきゃならん?」


8)はいはい、仮に東電など電力会社の社員に被曝労働をさせるとしますね。でも、日本中の原発廃炉解体にはどうみても数十年単位でかかります。今の電力会社の社員に被曝労働をする責任があると一万歩くらい譲って認めたとして、未来の電力会社の社員にもその責任があるんですかね?
役人にやらせるにしても、同じ事ですよ。


9)だいたい、原発の電気を享受してきた現在に生きる僕や貴方に責任がなくて、電力会社の社員であるというだけで未来の人に責任があるんですか?
未来の人って、つまり僕らの「子供」ですよ。「子供を守る」んじゃなかったの?


10)とゆーわけで、「被曝労働については東電・政府がなんとかしろ」はまるで欺瞞的で話にならんのですね。原発推進側が無責任で差別的であることは自明なんだけど、こと被曝労働について考えれば、原発反対側も推進側を鏡で映したかのように無責任で差別的なんじゃないの?
「東電や政府の作ったリスクなんて知らん」
とか言いながら、実際には貧乏人や貧乏人の子供・孫に小銭ほうって被曝労働させるなんて、身の毛もよだつほど破廉恥だよな。
どのクチで「子供を守れ」といってるんだ? という話。

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11)原発に反対するということは、いままでの権力によるリスク管理・リスク分配のあり方に反対することだと僕は思う。
原発が嫌いなヒトって、独占資本だとか現代物質文明とかも嫌いなヒトが多いでしょ?
自分たちの世代のツケを後世に回しちゃいかんと思うでしょ?
なら、リスク管理とリスク分配のあり方についても変革しなきゃいかんですよ。


12)リスク管理やリスク分配なんてものは、本来的には為政者の発想なんですね。疫学とか統計なんかもそうです。でも、リスク分配のあり方を変えたければ、まずは現在はどのようなリスクがどう分配されているか確認しなければ話にならない。でもリスクの定量的評価って厄介なんだよねー。


13)ならば「リスクを強制的にかつ平等に分配してやれ」というのがid:D_Amonのいってることなわけです。
強制労働とか労働徴用とか見ちゃうとげーっとなるかもしれんけど、これはあくまで共同体によるリスク分配なんじゃないのかなあ。


14)「財産を平等に分配する」、と、「リスクを平等に分配する」はぜんぜんちがうよ。


15)また、リスクの分配によって、僕たち各個人に「当事者性」ってものが出てくるんではないかと思われ。例えば、いまげんざい、低線量被曝について適切な知識を県別で競ったら福島県の方がダントツでトップなんじゃなかろうかと思われます。当事者性という共通基盤を持つしか、同じテーブルにつく方法がないんじゃなかろうか。

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そんなこんなで、僕はD_Amonのいっていることに大枠として賛成、と言いたいところなんだけれども・・・・
被曝のリスクをあまりにも特別視しすぎてないかな?
もちろん、市民の被曝、そして被曝労働は典型であり象徴であるとも思うのだけれど。


例えば、節電にしてもリスクの不公平な分配を導き得る。
「電気足りないと人が死ぬ、は人質論法だ」
とかいう声も聞くけどさ、今年に実際に可能な「人が死なない節電法」というのを考える責任を政府や電力会社に全面的に押し付けてるのだとしたら、えらく無責任なんじゃない?


なににしろ、原発に反対するのなら、リスク分配については本気で考えるべきだし、D_Amonはそこに突っ込んでいるのは確か。
原発に反対なら、あれはネタや皮肉ではすまないと思うねえ。