リスク管理を考えれば原発には疑問


追記20時50分ごろ
ブクマコメなどで反論をいただいているようなので、ブクマコメ・コメントの増加が終わった頃に反論エントリをあげますにゃ。数日以内にはあげられるよう努力しますにゃー。現時点での反論を見るに、馬鹿の晒しあげになりそうにゃんが。
まともな反論を心待ちにしつつ。
追記ここまで


id:tikani_nemuru_M
食品にノーリスクを求めるのは馬鹿げているが、原発に絶対確実な安全性を求めるのは当然だぞ。スリーマイル島チェルノブイリもなかったことになってんの? 原発反対を無知に基づくものとみなすのは大問題だね。 2010/07/03


id:ktasaka 原子力
↓じゃああなたは同じ「0リスク」を「火力」「石炭」「水力」に対して言える?原発で起きてる警報の大半は前者と同じ事象なんだけれど、0リスクを求める人の大半は、なぜか前者には盲目無言なんだぜ。
上記ブクマへのスター id:contrapunct id:arvante id:repose id:amajam id:kalmalogy id:choroma id:contrapunct id:narwhal id:k-takahashi id:inumash id:e_p_i id:nekora


id:inumash 社会
現実に“絶対確実な安全性”なんて存在しないと思うけどなー。そんなものがあるのは人間の頭の中だけ。んでもって、人間が現実の事象に対して“絶対確実に安全”なんて考えてしまうこと自体がリスクだよね。
上記ブクマへのスター id:ryankigz


http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/32994


元エントリ(まとめよう、あつまろう - Togetter)では、海洋ウランの「総量」は廃棄する量より遥かに多いから核廃棄物を海に捨ててよいとかいうすさまじい発言があったりするにもかかわらず、「原発反対=感情的」という思い込みbotのごときカキコがブクマが散見されるので、おっかなくなって書いてみましたにゃ。
シロウトなので専門的な見地からの反論を心待ちにしておりますにゃー。


では本論。

この本はていねいなよい本でしたにゃ。環境問題は基本的にトレードオフ(=一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態)であり、ノーリスクなどということはありえにゃーことを豊富な事例で説得していますにゃ。例えば、遺伝子組み換え食品に対するわけのわかんにゃー恐怖感も、こうした言論活動で弱まっていけばいいと思いますにゃー。

これはこれでいいんだけど、食品と環境についてのこの論法を、よく考えもしにゃーで巨大技術、特に最悪の事態が起こったときのリスクがパねえ技術にそのまま適応されても困るのですにゃ。inumashクン風にいえば、そんなふうに考えてしうこと自体がリスクにゃんな。


「現実に“絶対確実な安全性”なんて存在しないと思うけどなー」
然り! そんなことは話の前提だにゃ。ドヤ顔でいうような話ではにゃー。
僕のいいたいことは、ブクマコメでも何人かすでに言及しているにゃ。


id:summer-forest
「火力」「石炭」「水力」と「原子力」で求められる安全さの度合いが違うのは、それぞれの「最悪の事態」を考えれば当然だと思うけどなぁ。/あと日本だと地震が起きるのも不安の種?


id:akkakka
弱い敵国がやけになって原発攻撃されたら周辺含め、日本の国土は一巻の終わり。原発の重大なデメリットだと思うが。


id:steel_eel
最悪の事態が−∞の値をとると感じられるので、それが発生する確率が微小でも関係なくヤバイと感じるのだよね。本質的なリスク計算が不可能な問題だと思われる


id:Mu_KuP
原発そのものの批判はしない。が、人間が未来永劫ノー事故で扱えるエネルギーではないと思う。/油田爆発、チェルノブイリ、バケツ臨界。リスク評価とコスト至上主義が、いつか原発システムを滅ぼす。


id:type-100
リスク管理の方法として、発生確率が極小でも被害が甚大ならやらないという方針は十分ありえる


僕たちの生活にエネルギーは必要不可欠だから、エネルギーを利用するためのリスクをとるということには何の異存もありはしにゃー。
一般論として、リスクを減らすためにはコストがかかりますにゃ。コストが高くなることを防ぐためには、リスク管理のできる施設で大量に処理をすればよいということになるのも一般論にゃんね。もちろん、大量処理する施設においては、リスクは極限まで低くなるように設計され運用されることになりますにゃ。


ここで、以下の2つの「トレードオフ」を考えてみましょうにゃー。

  • A→天災・人災などによる事故の発生確率。ゼロになることはない。
  • B→最悪の事故が起きた場合の被害の大きさ

リスクの大きさというのは、乱暴にいえばA×Bなんだよにゃ。
で、

  • 施設が大型化して集中管理する→Aは減少、Bは増大、A×Bも減少

ということになると一般的に考えられますにゃ。
これらの要因の他に、コストやリターンなどを考慮してある程度の均衡があれば、その技術と技術の規模は実用的であるといえるでしょうにゃ。個にゃん的には、たとえA×Bが減少したとしても、Bがでかすぎる技術には問題が大きいと考えますにゃ。リスクを分散することが最良のリスク管理だと考えますにゃ。


で、原発だにゃ。
現在の持ちえる技術を結集し、その運用も慎重を極めているということをとりあえず信用するとして、Aは極小に近いとしましょうにゃ。しかし、Aはゼロになることはにゃー。
しかし
問題はB、最悪の事故が起きた場合の被害の大きさなんだにゃ。最悪の事故が起こった場合、日本社会に破局が訪れるかもしれませんにゃ。Bに「∞(無限大)」を代入すると、A×B=∞ になっちまいますにゃー。
Bの見積もりによっては、A×Bの増大もありえるわけで、原発という技術には長期的に運用する妥当性がにゃーという結論も合理的なんでにゃーかな?


「じゃああなたは同じ「0リスク」を「火力」「石炭」「水力」に対して言える?」
と問われたら、「火力」「石炭」「水力」はBが限定的なのでゼロリスクを求める必要がにゃー、と答えますにゃ。原発に「0リスクを求める人の大半は」チミらよりもリスクについてちゃんと考えているんじゃにゃーのかな?>id:ktasakaと彼のブコメにスターをつけたお歴々。


廃棄物処理技術も現段階では確立してにゃーこと、原子力という幻想 - シートン俗物記にあるように将来性もにゃーこと、などなどを鑑みるに、原子力発電は、コスト・リスク・リターンの均衡から外れた技術ではにゃーかとシロウトながら判断していますにゃ。
つなぎの技術以上のものではにゃーでしょう。