政策セットを強いられるのはごめんだ


http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090701/p1
チミにとって都合のわるいところを見事にスルーしているようで、本当にわかりやすくてありがたいことだにゃ。


前回エントリを読んでもらえばわかるはずだけど、サザエさんに家父長制的なものが見られるであろうこと自体はまったく否定していにゃー。


で、サザエさんが家父長的で差別的で影響があるとして、僕が問題にしている「ある種のポルノ」は妊娠・中絶まで含んだ性暴力だ。

サザエさん」の家父長制礼賛が構造的な人権侵害への加担になるって話をしてるんだよ。

なるかもしれんね。で、僕がなぜそれをやらなければならにゃーのかね? サザエさんは意図的に避けてきたからほとんど見てにゃーのだが。
Aを主張するのなら、Bも主張しなければならない、などと政策セットを強いられているとしか思えにゃーのだが。

そういうところに構造的な差別性を見出す読み方自体は批評としてはありふれたものなの。法規制や政治的排除の道具として持ち出すのが筋悪なだけで。

誰にいっているの? 法規制も政治的排除も主張していにゃーが。

表象にはあくまで表象や批評で対抗すべきだ。

「すべてのポルノは差別的」は批評としてダメダメにゃんね。それどころか反批評。悪質なものもそうでにゃーものも、差別性を脱構築しようとしているものも、すべて差別的としてしまう政治的なシロモノだにゃ。
もちろん、フェミが政治的な主張をするのはかまわにゃーのだけれど。
ここはチミが反論せずにスルーしたところにゃんね。

貴方の陵辱エロゲ批判も同様の理路に乗ってるわけですが。

はあ? やっぱり政策セットの強制?
僕がゲームの性暴力をとりあげて、サザエさんの家父長制をとりあげてにゃーからダメなの?
いっとくけど、家父長制そのものは僕は何度も取り上げているにゃ。
代表的なところで
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090121/1232507083
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090122/1232592946
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080930/1222707961
構造的な問題は頭にあるけど、そうした差別構造が明らかな危害としてあらわれたときに僕は問題視してとりあげるというスタンスでだいたい一貫しているつもりだけど、どっかおかしい?
批評は批評でどんどんやってくれればいいさ。でも、なんで僕がその文脈でやらなきゃならにゃーんだ?

おお? セカンドレイプを問題にすることは重要だけど、家父長制による女性差別を問題にすることは馬鹿なのか?

還元主義を馬鹿といった。

本屋に行ってそれっぽい映画批評やらアニメ批評やらの本を何冊か読んでみるといいよ。こういう議論は一杯されてるから。
中略
俺は詳しくないんだけど、例えばイギリスの家庭小説の伝統なんかを論じるときにはそういう話にもなるんじゃないの?

その辺があることは知っているけど、斎藤美奈子などの一部の論者を除いては面白くなかったにゃ。否定もしにゃーけどな。

サザエさんも寅さんも、陵辱エロゲとは比べ物にならないほど長寿で国民的人気を得ている作品なんだよ。これらの作品に社会的政治的影響力を見いださないで、たかが数万本しか売れない陵辱エロゲに見いだそうとするのは、バランス感覚が相当壊れてるぞ。

繰り返すけど、僕は一貫して他者危害を問題にしているのだにゃ。自由主義なんでね。
あえてつけくわえると、サザエさんは「世間様」の象徴として、ごくごく個にゃん的には敵視しているにゃ。エロゲを敵だと思ったことはにゃーけどな。

>もちろん、サザエさんが家父長制の体現だというのなら、ほとんどのフィクションは家父長制の体現ということになりそう


もちろんそんなわけはない。家父長制にどのくらい加担してるかは作品によって違う。そして、時代的限界や大衆の期待に応えたという側面はあれ、サザエさんは特に強く家父長制的な作品だとは言えるだろう。全部十把一絡げに、表象に見られる家父長制の批判自体を「スジ悪」で封じ込めてしまうのは、無茶苦茶だ。つーかどんだけアンチフェミニストなんだよ。

チミの理屈だと「ほとんどのフィクションは家父長制の体現ということになりそう」といったのがわかんにゃーのかね?
「すべてのポルノは差別的」と同じ理屈で、「すべてのフィクションは家父長制に加担」がいえるだろ? まあ、ぼくは「ほとんどの」といっているけどにゃ。
そして
「もちろんそんなわけはない。家父長制にどのくらい加担してるかは作品によって違う。」
ならば、
「すべてのポルノが差別的であるなんて、もちろんそんなわけはない。性差別にどのくらい加担してるかは作品によって違う。」
とそのままいえるだろが。
さらに
「時代的限界や大衆の期待に応えたという側面はあれ、レイプレイは特に強く性差別的な作品だとは言えるだろう。」
も、チミの理屈からそのまま導出できるよにゃ。
それと
表象に見られる家父長制の批判自体は僕にとってスジ悪のことがおおい、僕にとって面白いものがあまりにゃーというだけのことで、やりたいヒトはどんどんやればいいにゃ、何度もいうけど。


まとめると

  • 政策セットを強いるのはやめてくれ。こちらの基準とその時の興味で動いている。
  • すべての○○は×× というのは批評ではなく政治だ
  • 使い古された言い方だが、あまりにもブーメランになっている


最後にもういっかいいっておこう。
「すべてのポルノが差別的」という政治のほうが制作側にとってはかえって楽だよにゃ。それはそれでわかる。