apjといっしょに楽しむ妄想の旅


さてさて、http://www.cml-office.org/archive/1236366816289.htmlのコメント欄において、前回エントリのリンクをはり、長くなったのでこちらに反論をあげた旨を書きましたにゃ。
そしたらどうなったと思う?
完全シカトされちゃったよー、ぶわっはっはっはっはー
しかも、完全シカトしておいて目茶苦茶な戯れ言をつぶやいておいでですにゃ。


それにしてもさー、ブクマコメにもコメ欄にも前回エントリにはツッコミがはいっており、少々粗いものであることは自分でも認めるところですにゃ。特に法的な議論については、専門家のツッコミ待ちにゃんね*1
なのに、apjは、(∩゚д゚)アーアーきこえなーい 状態に陥ってしまったようにゃんね。


では、前回エントリをリンクした僕のコメントのよりによって直後にあるapjのコメント全文を検討してみましょうにゃー。

議論の本筋を捏造

法匪さんの話で議論は尽きているんですよ。だから、(ぱ)さんのような個別の事例を出して、私の判断を問うことには、議論の本筋にとってはほとんど意味が無いんです。


さて、僕をシカトしての応答ですにゃ。
で、いきなり「議論の本筋」を捏造だにゃ。
議論のスジについては、前回エントリをご参照のこと。
高校生に卒業証書をわたさないという学校側の措置に対し、
「授業料を払ってない状態で、学校と生徒の関係が維持されていることが既におかしい」
「登学の停止あるいは除籍であるべきだった」
と高校生の教育を受ける権利を剥奪するべきだとapjが主張したことに対して僕が反論しているというのが議論のスジだにゃ。ここは重要だよ。

捏造された本筋とは何だったのか

 ちょっと調べてみたのですが、親権というのは相当に強いし、高校に行きたい子供に対して行かせないという判断を親がした場合、子供が法的にそれに逆らうのは現行法では無理なんですね。逆らおうとすると親権の停止を実現しないといけないのだけど、子供に対する仕打ちが刑事責任を問えるようなレベルに達しない限り親権の停止はできないんです。高校に行きたがる子供に行かせない、といった程度では、親権停止の理由にならない。

 そうすると、部分的に親権を制限する制度を作れるか、という話になってきます。
 このことについては、法匪さんのご指摘の通りです。「教育に関わる自由を、親からの子供の自由だと把握して、親から取り上げてでも子供に公教育を課すことを教育の自由の保障だと考える」という立場を日本ではとっていないし、仮ににこの立場を取ったら、今度は「(近代法というものの建前上一人前の主体ではありえない)子供自身に対して公教育内容の公権的決定などを通じて国家介入が行われるという事態」を容認しなければならなくなる。後の方を受け入れないなら前の方を受け入れることはできないんですが、日本では親権を制限しない方で合意しています。


ほほう、どうやら「高校に行きたい子供に対して行かせないという判断を親がした場合」をベースに親権停止を考察するのが「本筋」らしい。
もともと、高校に登校することに同意し、経済力があるのにもかかわらず、カネを払わにゃーDQN親の話だったことが見事にすり替えられていますにゃ。
しかも、 apjが参照している法匪のコメントには「なお本筋ではないが、親権の一部としての教育権の問題が甘く見られている気がする。」とあり、親権の話が本筋ではにゃーというのが前提のはずにゃんがねえ。


さらに
「ガキが進学を希望しており、親に経済力はあるのに高校入学を認めない」
というこのケースにゃんが、想定はできにゃーこともにゃーが、実際にどれくらいあるんだ? こういう状況にガキがおかれたとして、それを軽視するつもりはにゃーが、この想定には具体性がにゃーんだ。
本筋とやらを捏造、しかも捏造したのは具体性のにゃーものってのはあまりにダメダメ。

捏造をもとに藁人形論法を展開

>そういうエントリを書く法律知識もあるはずのapjさんが、なぜ「親のアホさに子を巻き込む」手段に賛同しているのか、私にはさっぱりわかりません。


 議論が錯綜したから論点が見えづらくなってるのですが、よくよく考えてみると、私が当初賛成した手段「卒業証書を渡さない」は、特に「親のアホさに子を巻き込む」手段にはなっていないというか、なりようがないんです。だから、「親のアホさに子を巻き込む」ことが起きると考えて私を批判している人達は、多分幻を批判しているんですよ。


いやだから、「卒業証書を渡さない」という対処を学校側はとるべきではなく
「授業料を払ってない状態で、学校と生徒の関係が維持されていることが既におかしい」
「登学の停止あるいは除籍であるべきだった」
という発言をapjがしたこと、つまり「親のアホさに子を巻き込め」と主張していたことを僕は批判していたんだけど・・・・
自分の発言をなかったことにして、批判が的外れだというってのは、なかなかすさまじくあっぱれな破廉恥ぶりにゃんねえ。

妄想は続くーよー♪ どーこまーでーもー♪

 まず、親が、「高校なんか行かせない」あるいは「除籍になってもいい」という考えの持ち主であるために授業料を払っていない場合について。督促が嫌なら退学させるという手段を親はいつでも取れるわけです。これを止めさせることはできないんですね。少額訴訟をされたところで未払い分を払ってこれ以上の支払拒否=退学、で終わります。とことん払わず、登学停止になってもかまわないしそのうち行われるであろう除籍を待つ、という方針をとったとしても、結果は変わりません。道義的にはともかく、これを法的に止める手段はありません。「巻き込む」も何も、現行法では親にそうすることを許しているんです。


ここで、「除籍になってもいい」という考えの持ち主であるために授業料を払っていない親が登場しますにゃ。
いったん入学を認めておいて、つまり学費納付を受け入れておいて、ガキが除籍になってもよいから学費を納めないという、まったくわけのわからにゃー親が登場だっ! そりゃこんなわけのわかんにゃー行動はフツーは想定できにゃーし、止めようがにゃーですね。あいかわらず具体性がにゃーし。
というか、こういう事例を見聞したら、しかるべき機関に相談してこの親には専門家のカウンセリングを受けさせるべきではにゃーのかな。


だいたい、こんなヒデエ行為は「児童虐待の防止等に関する法律」の第2条「児童虐待の定義」 四項にある「児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応」「その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。」のど真ん中ストライクでにゃーのか?
実に念の入った香ばしい妄想を基にapjセンセイの議論は続きますにゃー。

それはサディズムでは?

 親が、隙あらばズルをしたいという考え、あるいは単なるずぼらで授業料を払っていないけど、卒業はさせたいと思っている場合について。この場合は、少額訴訟までいけば払うでしょう。「登学禁止」「除籍」を予告しての請求があったら払うかもしれません。「卒業証書を渡さないぞ」をくっつけた請求で現実には支払われました。元の新聞記事の件はこのカテゴリーに属するものであったと推察できます。
 すると、これらの督促手段をとった場合、「親のアホさに子を巻き込」んだ場合の子どもにとっての具体的な損害の内容とは、「プレッシャーをかけた請求が行われていることを子ども自身が知って、一時的に不安を感じたり嫌な思いをする」ということだけに止まりそうです。この程度なら「巻き込む」という理由で第三者が積極的に非難する程の問題ではないでしょう。


やっともともとの話にもどったか・・・長く辛い旅でしたにゃー
で、だ。
だからこの場合は別にガキに負担をかける必要性がにゃーんだよ。
前回エントリ末尾で述べたように、学校に徴収事務をさせることがおかしいのであって、徴収事務を自治体がやるようにすればいいだろ。
僕が調べた限りでも、ガキに直接カネの話はしにゃーという県もけっこうあったにゃ。それこそ教育的配慮というものだろ。教育的配慮をするために学校があるわけで、教師は役人の真似をするべきではにゃーんだ。
例えば、ガキに対して直接にガンガン督促をする学習塾があると聞いたら、僕はそんなところにガキを通わせたいとは思わにゃー。私塾であったとしても、教育的配慮のにゃーところに大事なガキを預けられっかよ。と、こういう想像力が持てにゃーってのがわからにゃーよ。
カネの苦労なんざ成人してからいくらでも味わえるわけで、ガキに思い知らせる必要なんざどこにもにゃーよな。ガキに苦労させたがるのはサディストだにゃ。


apjはガキに契約概念の大切さを教えるべきだとおっしゃっておいででしたにゃ。もちろんそこについては、ここに書いたとおり大賛成。できれば義務教育の間に、民法や労働法の基礎をやるべきだにゃ。
だがそれは授業でやるべきことだろ。
教育を持ち出してサディズムを正当化するってのは、児童虐待者の思考パターンにゃんぜ。

そしてまた旅立ち

 経済的に困難で払えない場合、というのは、既に指摘があったよううに、殆どが授業料免除の対象になっているようですので、ここでは除外します。


先日のエントリでリンクした資料にあるように、授業料免除措置が本当に必要に応じてされているかははなはだギモンにゃんが、まあここはいいとしておきましょうかにゃ。なんせ次がスゲエし。

 このように考えると、
「親のアホさに子を巻き込むことを後押しするな」
という、聞こえの良い批判が主張している真の内容は
 「子供が高校に通いたいと思っているのに親が難色を示している場合、授業料を払わなくても良いことにせよ」
ということにしかならないんです。
 これを認めてしまったら、授業料を一部負担にして運営するという現行の制度がそのもの崩壊します。


はあ?
「親のアホさに子を巻き込むことを後押しするな」

「子供が高校に通いたいと思っているのに親が難色を示している場合」
が直接つながっちゃってるんですけどー。


「子供が高校に通いたいと思っているのに親が難色を示している場合」
って、これ具体性ゼロの妄想でしたよにゃ。この妄想親って、経済力はあるけど学費を払うのが嫌という理由だけで高校就学に難色をしめすっていうリアリティ・ゼロの虐待該当親だったよにゃ。こんなケースが実際にあったとしたら、日常生活においても虐待が疑われるので、マジに関係機関に相談する必要があると思いますにゃ。


というわけで、またも妄想ベースの議論に舞い戻ってしまいましたああああ
ああ! 長く辛い旅から帰ってきたら、すぐにまた旅にでなければならにゃーのか! 絶望した! 漂泊の日々にゃんねえ。
児童虐待にまんま該当しそうな妄想世界の親を持ち出してきて「〜ということにしかならないんです」とおっしゃられましてもにゃー・・・・


しかもさ、カネを出したくにゃーだけのDQN親だとした場合、本人に無利子長期の奨学金貸与とかいう方法だってあるわけで(僕はこの方法に賛成できにゃーけど)、「〜ということにしかならないんです」とすらならにゃーわけよ。
自分に都合のよい妄想をベースにしているにもかかわらず、その妄想世界すら貫徹できにゃーっていうのは、妄想さんとしても低レベルにゃんなあ。

旅人かへらず

 「親のアホさに子を巻き込む」といった、聞こえだけはいい抽象的な主張がなされると感情的な議論でそちらに引っ張られがちですが、その主張を認めた場合、具体的に何を実現することになるのかまで考えないと、メタな議論で終わるだけではないかと思いました。
at 2009/03/10 11:21:43


さっきは触れなかったけど、「 「親のアホさに子を巻き込む」といった、聞こえだけはいい抽象的な主張」ってのも心臓にワイヤーが生えた言い草にゃんなあ。
反論できにゃー主張に対し「聞こえだけはいい抽象的な主張」だってよー。
こんな低レベルのレッテル貼りをしておいて、自分はレッテル貼りされることを極端に嫌うって何なんだろ?


すり替えや妄想で誤魔化そうとしてきたけれど、apjの主張は一貫して「親の因果を子に報わせろ」だにゃ。国籍法改正のときからずっとそう。


そして、妄想をベースにトンデモ100万光年の旅をしていたその同じ口で「メタな議論で終わるだけではないかと思いました」と〆るその素晴らしきご見識。
これって、もはや「専門外だから」といえるようなものではにゃー。

最後に

さて、なるべく楽しんでいただけるようにapjのコメントをひとつ取り上げてみましたにゃ。もっと詳細に突っ込むこともできるけど、きりがにゃーですね。
今気づいたのだけど、http://www.cml-office.org/archive/1236688313298.htmlという新しいエントリも立てられているようですけど、基本線は僕がとりあげたコメと同じようですにゃ。これもミンチにできる。「教育の強制に対する国家権力の介入を認めるか」などという的外れなタワゴトもおいしいし*2。まあ、今日はもう面倒だからやらにゃーけどにゃ。


前回、国籍法改正さわぎの際にapjが醜態をさらし、僕も突っ込みをいれたエントリをあげたけど、実はあのときのapjの議論を丁寧におっていたわけではにゃー。apjに対して向けられた批判も丁寧におっていたわけではにゃー。だから、批判に対してapjがどんな対応をしたのかも、詳しくはわからにゃー。
ただ
僕の巡回先ブログに liber studiorum という福岡伸一や茂木ケンを適切にとりあげているところがあり、そこで国籍法改正に関するapjの議論を丁寧にかつ誠意ある批判をしていましたにゃ。
http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/apj1-1-a3b8.htmlからしばらくつづくエントリにゃんね。もちろん、これもapjにシカトされていますにゃ。都合のわるい言説はシカト、というのがapjの基本仕様なんでしょうかにゃ。


このエントリについても、リンクしたapjのブログのコメ欄2箇所にリンクし、以下のような文言を付けるつもりだけど、果たしてどうなるか?

先日もエントリをリンクして反論したのですが、お返事をいただけませんでしたにゃ。
今回、apjのコメントのひとつを検討し、その欺瞞性と非論理を徹底的に明らかにし、その論点をほぼすべてすりつぶしたと自負するエントリをあげましたのでリンクしておきますにゃー。
こちらからの反論が必要になったら、原則としてエントリをあげてそちらに周知するつもり

*1:公立高校と生徒の間に民法機械的に適用するってのはありえにゃーと思うし、apjの解釈よりマシだという確信もありますにゃ

*2:このあたりの話題については、卒業式シーズンにとりあげるつもりだった