わが人に与ふる哀歌


さて、前回のエントリのコメ欄で、「わが人に与ふる哀歌」とかいう馬鹿がおどっていましたにゃ。
こちらからの質問にどうしても答えようとしにゃーので、質問をカウントしていったのだけれど、逃げ回って答えようとしにゃー。とうとう同じ質問を10回も数えたけれど、答えられませんでしたにゃ。
さらに
主張を黙ってすり替え、それを指摘されても無視。


そのうえ、こちらからの質問には逃げるくせに、自分の無知と無理解をさらけ出した質問を重ねてくるので、こちらからの質問に答えると約束しない限りは放置すると言い渡したわけですにゃ。
それでも質問に答えるという約束をしにゃーので、放置するとロムに宣言しましたにゃ。
以上は単純に事実ね。


無論、質問から逃げないという約束すらできにゃー馬鹿を相手にする必要なんてにゃーわけです。


しかし、ああしかし、この馬鹿が自信たっぷりにしてきた質問がオイシイのよ。
あまりにオイシイので、調理させていただきますにゃ。


わが人に与ふる哀歌 2008/12/30 21:21

逃がしはしないよ(笑)。きっちりと追い込まさせていただく。

>12+21=33である ━━━ 真理・普遍・絶対・無謬・科学・コンスタティブ
>殺人は悪である ━━━ 常識・一般・相対・有謬・政治・パフォーマティブ

に問題はない。数学は狭義の科学(=自然科学)であり得る、
つまり自然科学は(君と俺がその意味を同じように了解したところの)「真理」を含み得るから。
君が愛し、その権威に服するところの「日本大百科全書」においても、
また俺としてはこちらをより推したいのだが、NDCにおいても数学は自然科学としてカテゴライズされている(しかも4類自然科学の筆頭)。
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/sogoto/docu/NDC.pdf
12+21=33であることを真理と認めた君が自然科学はすべて仮説であり真理ではないとすることの矛盾を指弾せざるを得ない。
質問から逃げる君は、「フツー」に考えて敗けている。無様な敗走だよ(笑)。


・自然科学仮説は真理などではないということはわかったかにゃ? 
この質問を10回
・真理というコトバが価値を意味することはわかったかにゃ? 
この質問を4回
・質問から逃げるというのは、フツーは敗けだということはわかるね? 
この質問を4回
以上の回数質問から逃げ回っておいて「逃がしはしないよ(笑)。きっちりと追い込まさせていただく。」といってしまえる大物ぶりにまず乾杯。


さて、ではその内容につっこもう

数学は自然科学か

負け犬クンによれば、「日本大百科全書」と日本十進分類法を根拠にして数学は自然科学だといっていますにゃ。しかし、日本大百科全書を見る限りでは、数学は自然科学だとかいう記述は見あたらにゃーですね。で、図書館での便宜的な分類を根拠にされても困るんだけどにゃー・・・・
このあたりについてはWikipedia:自然科学の項でも取り上げられていて


社会的には数学は自然科学に比べれば狭い分野であり、自然科学に含めないとすれば他に含めるところもないため、妥協して便宜上自然科学に入れることが多い。例えば多くの大学では数学科は理学部の一部であり、図書の分類法である日本十進分類法では数学は自然科学の下位項目である。ただし、現在の研究者に対しても過去の偉大な学者に対しても(物理学者や生物学者を自然科学者と呼ぶことはあっても)数学者を自然科学者と呼ぶことはまずない。

とあり、その後に、数学を自然科学と見なす論拠、見なさない論拠があげられていますにゃ。そもそも数学は【経験科学】とはいえにゃーのだから、僕としては、数学を自然科学とは見なさないほうがはるかに説得力があると考えますにゃ。まあ、数学を自然科学とみなすヒトもいる、ってのはわかるけれど、それを押しつけられてもね。

数学が自然科学だとしても

まあ、負け犬クンは頭が悪すぎるから、この際、「数学は自然科学」という仮定でも僕はかまわにゃー。馬鹿にハンデをあげるやさしい僕。

12+21=33であることを真理と認めた君が自然科学はすべて仮説であり真理ではないとすることの矛盾を指弾せざるを得ない。


しかし、本当にアタマのワリイ奴にゃんなあ(呆気
確かに僕は、12+21=33 は、数の定義にかかわるので、それは真理だと申しましたにゃ。この「数の定義にかかわるので」の部分が重要ですにゃ。


そして
「自然科学はすべて仮説であり真理ではない」
ってナニこれ? 「自然科学はすべて仮説」ってどこの星のコトバだろ?
検索をかけたけど、http://d.hatena.ne.jp/toremoko/20081219/1229682735#c でも、前回エントリのコメ欄でも僕はそんなわけのわかんにゃーことは言ってにゃー。
僕は、【自然科学仮説】というコトバはつかっているにゃ。自然科学の理論はすべて仮説だとも言っていますにゃ。「自然科学はすべて仮説」なんて言うわけにゃー。
だってさ、自然科学における一連の研究プロセスが「すべて仮説」のはずもにゃーもんな。いや、しかし、「自然科学はすべて仮説」なんてアタマのワリイ文は僕にはとても書けにゃーな。
あらためて言っておく

  • 自然科学における理論は、すべて仮説である

つまり、理論部分以外を仮説だなんて言ってにゃーわけだ。そんなこと言うわけにゃーもん。
で、これもアタリマエのことなんだけど

  • 定義とは真である

例えば、物理学でいう「質点」とはこれこれこういうものである、と定義されたらもちろんそれが仮説であるはずはにゃーよな。定義が仮説のはずもにゃー。あらゆる学において定義は必要であるし、もちろん定義は仮説ではにゃーわけだ。


そして、演算というのは定義から(公理から、といったほうがいいのかにゃ?)直接に導くことができるものなんだにゃ。
つまり
数学を自然科学とみなしたとしても、12+21=33 を仮説ということはまるで無理。ミッション・インポテンツ。
よって、僕の発言に矛盾はにゃーんだね。


負け犬クンは、研究のプロセスというものをまったく理解しておらず、だから仮説と定義の区別すらついていにゃーわけだ。まあ、前回エントリのコメ欄で、真理と真偽の区別もついてにゃーくらいの無知無恥ぷりんちゃんだったしにゃー。何もわかってなければ「自然科学はすべて仮説」なんてうすら馬鹿発言はできにゃーよ。
こちらからの質問からは逃げ回っておいて、「自然科学はすべて仮説」なんてうすら馬鹿発言で勝ち誇るんだから、あまりに哀れで涙とゲロが込み上げてきますにゃ。

解釈ゲーム

もうひとつ、自分は質問から逃げ回る卑劣な馬鹿の質問があったにゃ。


わがひとに与ふる哀歌 2008/12/29 15:20
あと、主敵であるのではないかと思われる(違うか?)藤岡信勝が正論2007年5月号でこう言ってるとのこと。


>かつてに比べると、中国は柔軟になった、という人もいよう。 しかし、これは大きな罠であると考えなければならない。
>今年10本近くつくられる「南京」映画では虐殺が30万人である必要はない。 仮に数万の虐殺を前提にしたとしても、
>映像化には少しの支障もないからである。 中国は日中歴史共同研究の場で、
>日本側に規模を縮小しつつも虐殺があったことを確定させたいのである。 この点で注意すべきことは、
>「大虐殺派」、「中虐殺派」、「まぼろし派」の三分類を未だに反復することは意味がないということである。
> もともと、この分類は、「いくら何でも30万は多すぎる、かといって全くゼロというのは極論だ」という形で、
>中虐殺派の説(1万〜4万程度)に人々を誘導するようにつくられた図式なのである。
>しかし、本家の中国までが「大虐殺」説を維持できないと見て放棄するようになっている。
>今提起されるべき争点は、使い古しの三分法ではなく、虐殺があったか無かったかの二分法である。


>第二に、やはり「虐殺」の定義を問題にせざるを得ない。 その場合、重要なポイントを述べよう。
>例えば、戦争で多くの人が死ぬ。 その殺し方が残虐なものが残虐だという定義をする人がいる。
>何が残虐かは個々人の主観に依存する。
>これでは、議論は決め手のない泥沼に入るだけだ。 一人でも虐殺があれば虐殺だという人もいる。
>こういう基準を第二次世界大戦の全戦線に公平にあてがってみるとよい。
>ほとんど無意味な議論になることがわかるだろう。


解釈ゲームを認めたら、これってまさに「正論」そのものじゃないかな。


歴史認識において「解釈ゲーム」の要素があることを確かに僕は認めたけれど、政治的解釈ゲームを認めたつもりはカケラもにゃーのだが。藤岡のいっているのはとびきりアタマのワリイ政治解釈ゲームであって、こんなもんのどこが正論なんだ?
歴史学の専門家集団において、学問的手続にのっとった「解釈ゲーム」は当然ながら認めるけどにゃ。でな、学問的手続にのっとった「解釈ゲーム」において、南京事件はなかった、なんて解釈は不可能なんだにゃ。

最後に

さ、チミがこちらの質問から10回も逃げ、主張をこっそりすり替え、都合の悪い指摘に一切答えられなかったという事実が一方にあり
それでもチミの質問に答えてあげた僕がいる、という事実があるわけだにゃ。
親切にしてあげるのはここまでだ。
以降は、こちらの質問から絶対に逃げない、とチミが確約しない限りは相手をしにゃーぞ。コメ欄で最初に、「質問から絶対に逃げません」と約束しろ。
それができずにきゃんきゃん鳴きたければ勝手に鳴いてろ。


さて、予言しておく。
わがひとに与ふる哀歌 が「質問から逃げない」と約束し、それを実行することはない。多分、約束することはできない。もし、約束してもそれを破る。