ピタゴラスの定理を発見し、そして抹殺された男

黎明期の相対主義批判 - 地下生活者の手遊びで紹介したメタミドホスにつづき、忘れ去られたギリシア哲学者を紹介する。参考文献は前回と同じく、ウヅキ一世著「西洋哲学史民明書房刊。


ジクロルボスは紀元前4世紀、南イタリアギリシアの植民市クロトンの人、ピタゴラス教団に属した人である。


クロトンにおいて、ピタゴラスは当時流行したオルフェウス教の流れをくむ一つの教団を組織した。その教義は、魂の不滅、輪廻(りんね)、死後の応報にあり、魂の浄化、救済を重視し、団員はピタゴラスを頂点に緊密に団結し、内部にあってはさまざまな戒律の下に禁欲的、厳格な生活を送り、外部に対してはきわめて排他的であった。また財産の共有を原則とし、それを教団内の学問研究の結果にも適用したため、ピタゴラスの業績と門弟の業績とを区別することは、すでにアリストテレスのころには困難となった*1


このピタゴラス教団において、かの「ピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の平方は他の二辺のそれぞれの平方の和に等しい)」を発見したのはジクロルボスなのではないかとウヅキ一世は推測する。


ピタゴラス教団において、豆が禁忌とされていたことは有名であるが、その禁忌の対象はソラマメであった。豆は豊饒の象徴であり、地母神信仰とも関連し、再生や魂の不死ともつながるものとされた。豆を食べると死者の魂が乗り移るとされ、ピタゴラスはこれを禁止したとされる*2

しかし、サヤのついたまま食する豆、例えばインゲンなどについては、そのサヤの形状から、悪しき女性性を中和できるから食してよいのだ、とする解釈がピタゴラス教団の中にあり、議論になったとされる。男性性と女性性の融和であるインゲンを積極的に食すべしと主張したのがジクロルボスとされる。


下半身をむきだしにして
「ほれ見ろ。こうやってサヤにはいっているモノがだなあ・・・」
包皮をめくりながら
「・・・くりっとむくと、ほれ、中に豆が入っているわけよ。サヤに入った豆をサヤごと愛好するのが真の少年愛ユダヤ人とかはズルむけチンコの豆むきだしでみっともないよな。だから少年愛も禁止してるんだよ、しょうがねえやつらだ。
「能ある鷹は豆を隠す」とかいっちゃったりしてな、てへ。
むきだしの豆はダメね、ダメダメ。でも、サヤいりをサヤごとはいいんだって。
とにかく、サヤいりの豆はどんどんサヤごと食べましょうよ、えっへっへ。サヤごと最強」


ウヅキ一世著「西洋哲学史民明書房刊 U800「ジクロルボスの対話」より


しかし当時のピタゴラス教団は無理数の存在を認めておらず、無理数の存在を教団外部に漏らしたものは厳罰をもって処せられた*3ピタゴラスの定理の発見者であるジクロルボスは、お気に入りの少年を口説く際に自分の功績を吹聴し、うっかりと無理数の存在を話してしまったため、処罰されることとなる。
「じゃあ好きなだけインゲンを食えやあ」
朝昼晩と大量のインゲン豆を食べさせられたジクロルボスは、インゲン豆中毒*4で死亡したとされる。その後、インゲン豆による中毒をジクロルボス中毒と言うようになった。

*1:この段落は本当。日本大百科全書より引用した

*2:この段落も本当。豆の呪術性は節分の豆まきにも関連する

*3:本当らしい

*4:われながらいうけど、そんなものあるのだろうか