一期の堺ここなりと、生涯にかけて@風姿花伝

昨日のエントリの続き
「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」という風姿花伝における奥義が何を意味しているのかというと、芸道の獲得目標たる「花」とは、観客にとって見て「面白き」ことであり、それはつまり「珍しき」こと、つまり希少性、さらに言えば「個性」を指していることなのではにゃーだろうか。
それでは「時分の花」が失われ、そしてもう一度「時分の花」が得られるまでを追ってみますにゃ。

十七、八


十七、八より(抜粋)
このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ、声変わりぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎしころの声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変わりぬれば、気を失ふ。結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。このころの稽古には、ただ指をさして人に笑わるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届かんずる調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。


拙訳
この(十七、八歳の)ころは、また、非常に難しい時期なので、稽古(の量は)は多くはしない。まず、声変わりしてしまうから、第一の花(若い魅力)は消えうせている。体も腰高になるから、姿格好(から感じられる)美しさはなくなって、これまでの声も盛りで(姿も)花やかに(何をやっても)容易に(やれた少年の)時分とはすっかり変わってしまうことにより、演じ方も急に変わってしまうので、(稽古を)やる気をなくしてしまう。とどのつまり、観客たちも滑稽に思っているらしい様子が見えるので、きまりわるさはもとより、そのために、ここのところでへこたれてしまうのだ。
このころの稽古は、たとえ指をさされて人に笑われても、それを気にすることなく、自分の家での稽古では声の届く範囲の高さで、朝に夕に、それぞれのときにふさわしい発声の練習をし、心の中では神や仏に祈願をかけて、(その加護によって)力を奮い起こして、ここが一生に浮沈の分かれ目だと覚悟して、命をかけても能を捨てない(覚悟)以外には、稽古の仕方はあるはずはないのだ。ここで捨ててしまえば、そのまま能の道は終わってしまうであろう。


いったん得た「花」も失われ、ここでは深刻な危機が訪れているにゃー。
エリクソンのライフサイクル説に従えば


やりたいこと、そのすべてをやることは出来ない、という全能感の否定も起こる。ここで獲得したアイデンティティはその後も随時修正されるため、自我同一性の獲得、そしてその維持は、生涯の課題である。なお、この時期は社会的なさまざまな義務からまだ逃れることができる時期のため、猶予期間(モラトリアム)とも呼ばれる。これに失敗すると、将来に関する展望が開けない等、自我同一性の拡散が起き、問題となる。


巷の「個性賛美」には決定的に欠けている視点が、いったん得られた(得られるべき)全能感が失われて危機が訪れることを見据える視点だと思いますにゃ。世阿弥も「このころはまた、あまりの大事にて」とその危機を大きさを強調していますにゃ。
個にゃん的にいっても、ハイティーンのこの時期って、なんか何をやっても自分が無様でうまくいかにゃーような気がしていましたにゃ。僕だけではにゃーと思いますにゃ。ハイティーンの♂ってひがみっぽいよにゃ。
そして、この危機の時期においてこそアイデンティティが獲得されるわけですにゃ。その方法とはただひとつ、自己を投企するほかはにゃーのだ。「心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。」
エリクソンによると、この時期に獲得するべきものは「忠誠心」ですにゃ。


この「忠誠心」を封建的な君主への忠誠心とか国家への忠誠心といったものといっしょにしてはならにゃーだろう。ここでは「芸の道」、一般的には「自分は何をして生きていくのか」についての忠誠心がこの時期に得られるべきであり、ここで危機を克服し自らの進む道への忠誠心を獲得した者にアイデンティティ(私は何ものであるかについての揺るぎない感覚)が得られるのですにゃ。
個性賛美には忠誠という徳の重要性が出てこにゃーんだ。自らの進む道に忠誠を誓わにゃーものは、他人の餌にしかなれにゃーぜ。

二十四、五


二十四、五
このころ、一期の芸能の定まる初めなり。さるほどに稽古の境なり。声もすでに直り、体も定まる時分なり(中略)よそ目にも、「すは。上手いできたり。」とて、人も目に立つるなり。もと名人などなれども、当座の花に珍しくして、立ち合い勝負にも、一旦勝つ時は、人も思い上げ、主も上手と思ひ染むるなり。これ、かへすがへす、主のため仇なり。これも、まことの花にはあらず。年の盛りと、見る人の一旦の心の珍しき花なり。まことの目利きは見分くべし
(中略)。
されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころなり。


拙訳
このころが一生の芸能のきまる初期である。だからこそ、稽古においても要所中の要所となる。(中略)他人の目から見ても「これは巧みな者がでてきたものだ」と注目されるようになる。昔名人だったものとの競演でも、いったんは勝ってしまうと人気もでて、本人も自分が上手くなったと思いこむのである。これは、何度でも言うけれども本人のためにならない。これもまことの花ではない。年齢(による肉体的な)盛りであるのと、観客はものめずらしく感じることで花に思われるのである。本当の目利きであれば見分けられるだろう。
(中略)
だから、一時の花をまことの花だと思いこんでしまう心根が、まことの花から遠ざかってしまう心根なのである。しかし、人によっては、この一時の花に惑わされて、すぐに花が消えてしまうことがわからないのである。初心にかえれと言うのはこの時期のことをいうのである。


自らの進む道に忠誠を誓ったものに、もう一度「時分の花」が訪れますにゃ。肉体の完成する時期に訪れる「花」といっていいでしょうにゃ。もと名人だったものと勝負して勝つことができるほどの「花」ですら時分の花にすぎにゃーとは。


ここで、世阿弥のいう「時分の花」とはどういうものであるかをまとめてみますにゃ。
十二、三のころというのは、第二次性徴に向けて「子どもとして」いったん完成する時期であり、その時期に「時分の花」を得ることができますにゃ。二十四、五のころというのは大人として「肉体が」完成する時期であり、この時期にも「時分の花」を得ることがかないますにゃ。
世阿弥のいう「時分の花」とは、一時のもの、失われてしまうものといえますにゃ。ならば「まことの花」とは失われることのない花ということになりますにゃー。
言い替えると
向こうからやってくる花は必然的に去っていく花であり、それに対して自らの手で獲得した花は失われることがない、ということなのではにゃーでしょうか。


さて、風姿花伝にかこつけて言いたいことはだいたい言ったけれど、もののついでに風姿花伝の冒頭部「年来稽古条々」を最後までまとめてみますにゃ。あと一回で終わるだろ。