虐待というくりかえしに

前回のエントリのコメント欄に、いくつかmojimoji宛のものがありますにゃ。なんせ、彼のブログのコメント欄がカキコ不能だし、非はてなユーザーはブクマコメも使えにゃーしで、僕のエントリのコメント欄を使うしかにゃーのだろう。
その中でも、次郎のコメントはmojimojiにもロムのみにゃさまにも是非読んで欲しいので、エントリとしてあげて「愚行権」と「他者危害原則」による啓蒙の暴力 - モジモジ君のブログ。みたいな。にトラバを送りますにゃ。


ではまず前回エントリのコメ欄より


次郎 2008/06/06 13:05 mojimoji氏へ

mojimoji氏がそうだというわけではないんですが(実際生育暦を丹念に聞かないとわかないんですが)成長した非虐待児童は自分が虐待されたことや、自分になされたのと同じような事を虐待と認識することを否認(認知不協和)するのが普通です。


否認しつつ子育てをすると、虐待の連鎖続く可能性があるわけです。なぜなら人は無意識的に自分がそうされた育て方を採用するからです。そうなると虐待の事象を本人が認識できなかったり、認識していても止められなかったりします。


そういったものを外部から「No」と言いやすくするために、外形だけで判断するのが大切なんだというのがお分かりいただけないのは悲しい限りです。


頼みますから、半可通な知識で児童虐待への介入を「認識の問題」などという、虐待を温存するような言動をする事をもう一度省みてください>mojimoji氏。
地下猫氏風に言うなら「馬鹿なのはわかったから、勉強しなおすか口を閉じてるんだにゃー」です。


これだけではちょっと芸がにゃーので、手持ちの本から引用もつけますにゃ。


培風館 心理臨床大事典 P1208〜 親子関係の病理 より適時引用


親が熱意と真心をもって、子どものためにと行う「しつけ」や教育においても、「弄び」や「虐待」が大きな影を落としている。なぜなら、そうした「しつけ」は必ずおとなのさまざまな無意識的な欲求と不安、恐怖からきているからである。
それらには
1)かつて自分が味わわされた屈辱を他人に味わわせてやりたいという無意識の欲求
2)表に出すことなく回避し、せめ止め続けてきた衝動のはけ口を見つけようとする欲求
3)自分の思うとおりになり、思うままに操ることのできる生きた対象を所有したいという欲求
4)自分自身の防御、すなわち自分自身の子ども時代と自分自身の両親の理想化を保持したいという欲求
5)自由に対する恐怖
6)かつて追い払ったものの帰還に対する恐怖(やっとの思いで抑圧に成功したものが、再び自分の子どもの内に登場するのが怖い)
7)自分がかつて受けた苦しみに対する復讐
がある。

こうして問題は、性的外傷をはるかに超えて広範囲で、しかも根深いものになる。1個の人間として尊重されなかったり、子どもらしい自由な感情表現を、寛大に受け取ってもらえずに育ったおとなは、親になると皆、知らないうちに自分が受けたと同じ扱いや、同じ傷を我が子に与えつづけてしまうのである。そして突出して社会問題化した児童虐待の背後の闇の中で、知られざる無数の大小の傷が子どもの心に重ねられていく。


非常にやっかいなことに、突出した事例でさえ、当事者は、親も子どももそれを語らないし、さらにまわりも児童虐待の事実に近づきたくないのである。


虐待について「悪意がある」などと何も知らない者は考えがちなのはわかりますにゃ。しかし、指摘されても聞く耳を持たにゃーのは、それこそ悪意を感じるにゃ。
また
虐待の問題にド素人が「認識をぶつけ合う」なんてのが何の意味もにゃーどころか状況を悪化させるだけだってこともわかるはずだにゃ。mojimojiには何の期待もしてにゃーけど、ロムがわかってくれればいい。


さて、それでは最後に、以前にも引用した谷川俊太郎の詩で〆ますかにゃ。今日は引用ばっかりにゃんな。
児童虐待を考えるとき、僕はいつもこの詩を思い出してしまうのですにゃ。


くりかえす 谷川俊太郎


くりかえしてこんなにもくりかえしくりかえして
こんなにこんなにくりかえしくりかえしくりかえしくりかえして
くりかえしくりかえしつづけてこんなにもくりかえしてくりかえし
いくたびくりかえせばいいのかくりかえす言葉は死んでくりかえすものだけがくりかえし残るくりかえし


そのくりかえしのくりかえしをくりかえすたび


陽はのぼり陽は沈みそのくりかえしにくりかえす日々
くりかえし米を煮てくりかえしむかえるその朝のくりかえしにいつか夜のくることのくりかえしよ


云うな云うなさよならとは
別れの幸せは誰のものでもない


私たちはくりかえす他はないくりかえしくりかえし夢みあいくりかえし抱きあつてくりかえしくるよだれよ
もう会えないことをくりかえし
いつでも会うくりかえし会わないくりかえしの樹々に
風は吹き


今日くりかえす私たちの絶えない咳と鍋に水を汲む音
おお明日よ明日よ


何とおまえは遠いのだ