自然科学はバーチャルだ

本日のエントリのタイトル「自然科学はバーチャルだ」はまことに挑発的だけど、この相対主義的な言明がおかしなものではにゃーことを論証したいと思いますにゃ。


バーチャルvirtualという言葉の使われ方は大変にオモチロイ。ランダムハウス英和大辞典を引いてみましょうにゃ。


vir・tu・al


1 (限定的) (名目上または表面上ではなく,力・効果・効力の点で)実質上の,事実上の,実際(上)の


2 (限定的) 〔光学〕
(1)虚像の(⇔real)
(2)虚像の焦点の


3 (限定的)(古)(本来備わった力のため)効力[実効]のある,効果的な.


4 *1 仮想記憶(virtual storage)の[を用いる].
(2)バーチャルな;仮想の:ネットワーク上の;インターネット上の.


[1398.中期英語<中世ラテン語 virtu1lis(ラテン語 virtus VIRTUE より)]

にゃんと、「実質上、事実上」という意味と、その反対である「虚像の・仮想の」という意味が同居し、さらに「ネットワーク上の」という意味がそれぞれ限定的に使われているわけですにゃ。どういうことだろう? ここはいっぱつ、英英辞典を引いてみるべきにゃんね。
ちゅうわけで、COBUILD英英辞典を参照してみますにゃ。


vir|tual


1 You can use virtual to indicate that something is so nearly true that for most purposes it can be regarded as true.


2 Virtual objects and activities are generated by a computer to simulate real objects and activities. [COMPUTING]

にゃるほど、仮想とかいう意味は英英辞典にはにゃーようだ。カギはsimulateにありそうにゃんな。
「現実そのもの」と「現実と見なせるほど現実的なシミュレーション」の両者は近しいものですにゃ。シミュレーションの精度が上がれば、区別する必要すらにゃーのかもしれにゃー。にゃるほど、これで「実質上、事実上」という意味と、その反対に見える「虚像の・仮想の」という意味がバーチャルという言葉に同居する理由がわかりましたにゃ。


バーチャルという言葉の示しているのは

  • 現実そのものではないが、現実的なもの・現実とみなしてよいもの

となりそうですにゃ。「現実そのものではない」というところに力点が置かれると「仮想」となり、そこから「虚構・架空」さらには「妄想」という意味合いまで付加されてしまい、「現実的なもの」という側面を重視すると「実質上、事実上」という意味になるわけだにゃ。
仮想と実質という、一見対立する概念を矛盾なく包含するのが、このバーチャルという言葉の面白さのようですにゃ。英語圏でvirtualという言葉がどういうふうに使われているかは知らにゃーのだが(知っている人、教えてください(ぺこり))、今の日本でのバーチャルの語感とか用法というのは、僕たちニンゲンは現実そのものにアクセスすることはできにゃーのだということを先鋭的な形で示しているのだと思いますにゃ。ま、今の日本でのバーチャルという言葉の語感は「仮想」から「妄想」のほうへ寄りすぎているかもしれませんけどにゃ(だから挑発的なタイトルとして成立するんだけど)。


よって、「自然科学はバーチャルだ」という相対主義的な言明が真っ当なものであることがわかるでしょうにゃ。自然科学の理論はすべて仮説であり、つまりは現実そのものではにゃー。しかし、現実とみなすことができるわけですからにゃ。
ほぼ現実と見なして良い、という地点から仮想性を経て妄想の世界へ地続きとなっているところも、バーチャルと呼ぶにふさわしい。科学と疑似科学に明確な一線はひけにゃーもんな。


定説となった科学理論を「事実上の」と見なすことは正当であると思いますにゃ。
同時に
「仮想性」に重点をおいて自然科学を論じる相対主義的な論じ方も極めて真っ当であると僕は思う。
でも
根拠のない妄想と捉えるのはさすがにマジイよにゃ。シミュレーションの精度というものを念頭においておかにゃーとな。

*1:限定的) 〔物理〕 〈粒子などが〉仮の,仮想の 5 〔コンピュータ〕 (1)(限定的