「戦後日本の殺人の動向」サマリー

岩波書店の雑誌「科学」2000年7月号に、長谷川寿一長谷川眞理子*1の「戦後日本の殺人の動向」という論文が掲載されていますにゃ。wikipedia:進化心理学の立場から、殺人という犯罪を論じているものにゃんね。
なかなか手に入りにくくもなっているので、この論文を簡単にご紹介。以下に「適応」という言葉がでてきたら、それは進化生物学的な意味であることをご留意くださいにゃ。また、論文のサマリーなので猫かぶり文体は封印*2


まず、殺人それ自体は適応的な行動ではないという立場がとられている。しかし、殺人をひきおこす対立感情や攻撃性は、自己主張や固執という適応的な行動から生ずるものであるとしている。
また、分析のもととなる資料は、警察の犯罪統計に加えて、殺人事件の判決文をランダムに参照して1件1件の判決ごとにデータベースを作成したものを用いている。


  • 図1 日本の殺人率の時代変化

グラフは刑事犯罪としての殺人のみのとりあげたものであり、死刑や戦争殺人はふくまれていない。よって大戦中に殺人率が低いのは当然である。戦後の殺人率のピークは1950年代前半で、これは戦前の水準にほぼ等しい。これが一貫して下がりつづけ、90年代の殺人率はピークの四分の一になっている。この殺人率は、世界最低レベルであり、フランスの半分、オーストラリア・カナダの4分の1、アメリカ合衆国の16分の1である。
諸外国の殺人率の推移をみると、数十年にわたって単調減少が見られる国は例がない。(現代日本は、こと殺人に関する限り、多分人類史的にみてももっとも安全な社会のひとつであると思いますにゃ。平成19年(2007)の殺人発生数は戦後最低 : 少年犯罪データベースドアという話もあるしにゃ)国家の経済的繁栄が殺人率を下げるという仮説については、特にアメリカ合衆国の異常な高さを見ればすぐに却下される。ここで、日本の殺人率の低下が何によってもたらされたのか、というのは重要な問いとなる。


  • 図4 戦後日本における年齢別の男性による殺人率の変遷

1955年、60年には20代前半に鋭いピークが見られる。この20代前半の殺人率ピークはどの文化にも共通して見られるパターン(ユニバーサルなカーブ)として知られている。20代前半男性の殺人率が高いのは、男性が繁殖活動に入る時期と一致することから進化心理学により予想されることである。繁殖開始期の男性は他のどの性・年齢グループよりも強い競争性・自己顕示欲をもっており、メンツや評判にこだわり、リスキーな行為に走る。男性がこの時期にこうした心理特性を持つことは、その後の人生における男性間の競争や女性からの配偶者選択において有利に働いてきたと考えられる。
ところがこの人類普遍のピークが低下していき、日本においてはより年長世代の男性にピークが移る。50年代に比べて90年代では、40代50代男性の殺人率はほぼ半減にとどまり、20代前半男性の殺人率は13分の1まで下がっている。10代後半の殺人率も、ピーク時の10分の1。1990年代には40代50代男性の殺人率が20代よりも高くなっている。このような国は例を見ない。


  • 図6 年齢別最終学歴の比率

ではなぜ日本でユニバーサルなパターンがくずれたのか?
ユニバーサルパターンが残る60年代においては、どの年齢層においても義務教育止まりの男性がほとんどをしめている。しかしこの後、特に若い世代の高学歴化がすすむ。
わが国の経済構造では、高学歴ほど先の生活が保障される。先の生活が保障されているほど、将来を見通す期待予期の予測レンジが長いほど、現在のリスクを冒すことに慎重になるという傾向がある。逆に、将来にわたっての見込みが低ければ、リスクを負うことに対して失うものは少なく見積もられる。するとリスクを冒しやすくなる。
このことの傍証として、図7を参照のこと。殺人率は生きる見込みの小さな社会ほど高くなっている。


1990年代を特徴づける中高年殺人の加害者の学歴をみると、低学歴者が目につく。90年代の判決文の中で、40歳以上の殺害者で学歴が示されている98例中、無就学者と小学校卒12名。中卒と尋常小学校卒46名と6割を占める。個別の事例を見ると、つまらないケンカや口論、金銭トラブルや痴話げんかのもつれなど、他の社会では若者がからむようなものであった。また、中高年の犯罪についてのマスコミの扱いが小さいことも、いっそう中高年のかかえる問題を見えにくくしている。
戦後の経済成長の恩恵を平等に受けることのなかった世代集団があり、それが現代において比較的高年齢の男性の殺人率をあげる要因の少なくとも1つにはなっているようだ。厚労省の患者統計からみても、この世代の男性はその前後の世代集団と比較して心の病を多くかかえている。


まとめると
生活のさまざまな条件が世代間で比較的同じであれば、20代前半男性がもっともリスク行動にはしるのが、人間一般の特徴といえる。しかし、戦後日本の急激な社会変化がユニバーサルパターンをくずしたと考えられる。世代の効果が消滅する数十年後には、ふたたび若者にピークがあるユニバーサルな殺人曲線にもどると予想される。


最後に
生物学的アプローチは決定論的であるという批判を受けることがしばしばあるが、それが的外れであることはこの研究事例からも明らかである。若い男性は、生物学の予想通り、世界のどこでも殺人をおこしやすいが、その殺人率は社会要因でいくらでも変動する。一般理論としての進化生物学と個々の社会現象を説明する社会科学が手をとりあうことによって、なぜ人が犯罪に走るのかを統合的に議論すべきであり、総合科学としての犯罪学を立ち上げるべきである。
進化生物学は、殺人だけではなく、いじめ、児童虐待、ストーカー、ドメスティック・バイオレンス、10代の衝動犯罪など、今日社会問題となっているほとんどの問題に対して理論的貢献が可能である。


と、サマリーここまで。
「経済成長の恩恵を平等に受けることのなかった世代集団があり、それが現代において比較的高年齢の男性の殺人率をあげる要因の少なくとも1つ」というあたりは、これからの日本社会を考えるうえで示唆的ですにゃ。ロスジェネ世代の殺人などの犯罪率は、今はどうでこれからどうなるんだろ?
犯罪というのはまさに個人と社会の境界でおこることですにゃ。どんな犯罪についても、社会がなにがしかの役割を果たしていることは否定しがたい。少なくとも、長期的な希望がもてる者は、そうそう人を殺すようなリスクを冒さにゃーことはこの研究からも明らかだよにゃ。
うーん、秋葉無差別殺傷事件のことを語っているつもりはにゃーのだが、どうもそれっぽくなっちまいますにゃー。


あと、進化心理学厚生経済学と相性がやはりバッチリだと改めて思いましたにゃ。

*1:この夫妻をジュー&マリー、と僕は呼んでいますにゃ。うむ、マジにどうでもいいことだ

*2:ぶわっはっはっはー。読みにくいって言われたことを気にしてやんのー>僕