健康とは社会的なものでもあります、菊池センセイ


承前


WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。


Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.


健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)


http://www.japan-who.or.jp/commodity/kenko.html


このように定義されている「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」というのは、本来ならばわざわざ言うまでもなく【価値】の領域にあるものだといえますにゃー。
これで【よい】、こうである【べき】と【感じられ】ることが健康ということであり、ここで定義されている【健康】という概念は、【幸福】や【福祉】といった概念と類似のものであるといえるでしょうにゃ。少なくとも、【健康】という概念は素粒子チャバネゴキブリの生態なんかよりは、【幸福】によほど近いカテゴリにあるんだにゃー。
というあたりを前提とした上で、冒頭にリンクしたtogetterで総叩きにあっている雑誌「科学」の公式ツィートを読んでみましょうかにゃ。



「専門家」が私たちの「健康」を定義するのでしょうか? 専門家による判断ではなく、社会的合意による判断の領域があること。科学の領域と社会的判断の領域の区別を意識すること。3.11後の『科学』論文選『科学者に委ねてはいけないこと』の底流にある問題意識です。


https://twitter.com/IwanamiKagaku/status/545935734251606016


このツィートのポイントは、まず「専門家による判断ではなく、社会的合意による判断の領域がある」の部分ですにゃ。この言明はけっして専門家集団の知見を否定したり排除したりしたものではにゃーですね。「〜の領域がある」という言明は、他の領域の存在を否定しているものではにゃーよな。
続いて「科学の領域と社会的判断の領域の区別を意識する」とあり、科学の領域を否定したり排除したりするものではにゃーということは明白となりますにゃん。
togetterコメント欄やブクマコメを見る限り、ここのところをちゃんと読めてにゃーお歴々が大量にいらっしゃりやがりますにゃー。こまったもんだ。


そもそも「社会的に満たされた状態」が健康の定義にはいってるんだから、そこに「社会的な合意による判断の領域」があるってのはアタリマエ。ニンゲンの幸福や福祉に近い概念である【健康】に、ニンゲンが意味を与え価値を認める状態である【健康】に、「社会的合意による判断の領域がある」ことのいったいどこがどうおかしいの?(呆気
冒頭リンク先で岩波「科学」公式ツィートを嘲笑している連中は、まるで駄目、0点、顔洗って出直して来い、のレベル。彼らが完全に間違っているのは明らかで規定事実なんだけど、それを彼らが理解できるかどうかは何ともいえにゃーなw
字が読めればここまでで十分なはずだけど、補足的な説明を試みてはみますにゃ。


ほそく1

三年以上前、放射線被曝の【許容量】について、武谷三男の引用からはじめたブログ記事を書きましたにゃ*1武谷三男はこういっていますにゃ。

許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。


この記事、いわゆるニセ科学批判クラスタの皆様に否定的には見られなかった記事ですにゃー(むしろ、一部の脱原発の人たちにものすごく嫌われたw)。放射線の被曝量と健康被害の関係についての事実は、そりゃ確かに専門家が検証するべきことがらにゃんな。しかし、その数値をもとにして許容量を決めるのはまさに「社会的合意による判断の領域」ですにゃー。
放射線被曝の許容量という、一見すると【健康】よりもはるかに自然科学の対象っぽい量的概念すら、社会的な合意なしに成立しにゃーのね。

ほそく2

【医療化 Medicalization】というコトバがありますにゃ。
詳しくは、以下のリンク先を参照


リンク先ではボケなんかが医療化の例として紹介されてますにゃ。最近ではメタボリック症候群あたりも医療化の例かにゃー? 以前はただのデブだったのが、最近では治療対象にゃんからなw あるいはニコチン中毒なんかも最近は治療対象にゃんなあ。

社会的な合意と医療化(脱医療化)が密接な関係をもつというのは、これもリンク先に紹介されている「同性愛的性向や男性間における肛門性交」なんかが典型例。同性愛は以前には唾棄すべきものとされ、医学的な治療対象であったけど、現在のいわゆる先進国ではそうでもにゃーでしょ?(ひどい例外は多々あるけどな)。


こうした、社会的な合意と医学的治療の対象になるかどうかの関連なんて、もういっくらでもあるんだにゃ。精神医学とか性医学なんかではもうてんこ盛りw

ほそく3

先ほどの論点の展開となりますにゃ。
国民健康保険などの公的な【健康保険】ってあるだろ? いうまでもなく、僕たちを健康にするための保険制度ですよにゃ。健康保険証を持っていれば、病気になったときに医療費の7割を支給されて大ラッキーにゃんね。
さてこの健康保険、美容整形に使うことはできにゃーですね、アタリマエ。美容整形というのは、医療というよりは医療技術を使ったサービスであって医療ではにゃーと思う。


しかし
ある種の病気などの原因で容姿に重大な問題が生じたときはどうでしょうかにゃ? あるいは先天的に極端な醜貌であったとしたら? 美容的な措置を医療と認めるべき状況というのはありえるように思われますにゃ。性同一障害もこのあたりの問題圏にゃんな。
極端な醜貌が心身の健康に関係ない、っていうお方は少数だろうし公的保険適用をよしとする方もいるでしょうにゃ。かといって、ちょっと鼻の形が気に入らにゃーからって健康保険で美容整形もありえにゃーよな。どういう状況において美容的な措置を健康保険でまかなうか、なんてのは「社会的合意による判断の領域」なんですにゃ。
つまり
おなじような美容的な措置であっても、それを医療とみなすのか医療ではないサービスとみなすのか、は社会的合意が必須なんですにゃー。


まとめと動機とおねがい

はい、というわけで
まず、健康とは価値判断を抜きには語れないので、価値判断は自然科学の領域外であること。「科学」公式ツィートでは専門家の知見を否定しているわけではないこと。補足説明においては、一見すると自然科学の対象っぽい許容量概念も社会的合意なしになりたたないこと、医療化の例により現実に社会的な合意により医療の対象(つまり健康概念)が変化していること、さらに健康や医療というものは社会的な合意なしに対象範囲を設定できないことをごくごく乱暴に述べましたにゃー。


以上
「「専門家」が私たちの「健康」を定義するのでしょうか? 専門家による判断ではなく、社会的合意による判断の領域があること。科学の領域と社会的判断の領域の区別を意識すること。」
という問題意識は至極まっとうなものであるといえますにゃ。医療や健康について考えるのであれば、当然におさえておかなければならにゃー論点にゃんな。ちょっと考えればわからなきゃならにゃーともいえる。


冒頭リンクで、「科学」公式ツィートを嘲笑している連中は、医療とか健康とかについてごく基本的なことを知らず、そして医療や健康について考えたこともなく、ただひたすら己のバカさを晒していることは明らかだと思われますにゃ。

togetter読みながら、ああいつものように馬鹿が並んで自らの馬鹿を世界に宣伝しているなあ、と思ってたわけだにゃ。でもまあ、見識のあるニセ科学批判の人は、こんな馬鹿に同調なんてしないよね、と思って読んでたらさー

岩波「科学」はどこまでおかしくなっていくのかな。ツイートもめちゃくちゃだね。あ、「科学」にも「いちから聞きたい放射線のほんとう」送ったけど、読んでくれてないだろうな


菊池誠 @kikumaco
https://twitter.com/kikumaco/status/546268728833216513


orz



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