放射線被曝よりもはるかに重大なこと
放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。そこで、有害さとひきかえに、有利さを得るバランスを考えて、【どこまで有害さをがまんするかの量】が、許容量というものである。
つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。
ICRP(国際放射線防護委員会)では、当初は放射線被曝と健康リスクについては、閾値があるという立場だったのだけど、次第に武谷をはじめとする日本の核物理学者の提唱した閾値なし仮説(LNT仮説)を採用するようになってまいりましたにゃ。
この閾値ありなしの仮説について知りたい向きは、2011-04-01をご確認くださいにゃー。
とりあえずここでは「放射線は微量であっても人体に悪い影響を与えうるが、それは利益とのバランスで考えられるべき」という前提で話をすすめますにゃー*2。
許容量(=規制値)とは社会的な概念
ここで重要なのは、放射線(に限らず、化学物質などへの暴露についてもいえるだろうが)の許容量とは社会的な概念であるということですにゃん*3。「許容量とは自然科学的な概念ではなく、社会的なものである」ということは、許容量のことを考えるにあたって、決してはずしてはならにゃーだろう。
許容量は社会的概念であるので、例えば原発で働く労働者や、病院のレントゲン技師などは許容量が一般人より大きめに設定されているわけですにゃ。放射線を取り扱う職業につくことで利益を得ているわけだから、がまんできる不利益の大きさもでかくなるということですにゃー。
というわけで
- 職業被曝規制値50mSv/年 公衆被曝規制値1mSv/年
という現行法の設定になっているわけですにゃ(現行法では公衆被曝の規制値はないとコメ欄にて指摘をうけました。6/1 15:45ごろ追記)。
職業という利益と引換に、公衆被曝のにゃんと50倍の被曝が認められているわけですにゃー。
しかし、いくら利益と引換だからといって、何の条件もなしに50倍もの被曝が認められているわけではにゃーのだ。
低線量被曝と労災
大量の放射線を被曝した場合ならともかく、低線量の被曝が健康に及ぼす影響については、それがあくまで確率的なものであることも重要なことですにゃー。
公式見解である閾値なし仮説においては、放射線被曝の量が増えるほどガンなどのリスクが確率的に増大するわけですにゃ。そして、いったんガンなどになっても、それが放射線被曝が原因であるかどうかはわからにゃーわけだ。この【確率的】ってえのがクセモノにゃんねえ。低線量被曝をしていても、それが原因でガンになったかどうかの因果関係がわかんにゃーのは困りモノ。
だから、例えば労災認定において、一定量の放射線被曝をしていたことが判明すれば、それが原因でガンなり白血病になったと【みなす】という判断をしておりますにゃ。
つまり、職業的な放射線被曝においては、被曝量が管理され数値化されている(ことになっている)上に、一定量の放射線被曝をした方がガンなどになった場合は職業的な被曝によるものと【みなされ】、労災と認定されて手厚く補償される(ことになっている)わけにゃんな。
さらに、放射線を扱う労働者については、法令*4で教育訓練や6ヶ月にいちどの健康診断が義務付けられていますにゃー。
また、そもそも放射線を扱う職業についたのは、あくまで本人の自由意志によるものだというところもヒッジョーに重要ですにゃ*5。
中間まとめ
というわけで、職業的な放射線被曝の許容量(=規制値)が、一般公衆の50倍にも設定されている理由は
許容量がもともと社会的な概念であることを考慮すると、労働法の考え方を適用することには妥当性があり、上記3点をクリアできれば公衆の放射線被曝許容量を引き上げることもありえるのではにゃーでしょうか。
さて、では今回のフクシマ原発事故にともない、妊婦や子供*6なども含めた放射線被曝の許容量(=規制値)引き上げが、この3点をクリアできるかどうかを以下に考えてみますにゃー。
1)フクシマ事故の避難民は自由意志で被曝したか?
こりゃ無理だろ。むりむりウンコ。
まず誘致に関与してにゃー周辺自治体の住民には意志を示す機会すらなかったにゃ。
次に、原発を誘致した自治体においても反対した住民もいたわけで、連帯責任を言い出したらそれは自由意志ではにゃー。
もちろん、ガキどもにとっては意志を示しようがにゃーし、だいたい1970年代に誘致したヒトタチはもう年寄り世代。
そもそも、積極的に誘致した当時のヒトタチだって、「低線量だけど被曝してもらいます」と言われていたら誘致しているってことはにゃーだろう。
フクシマ住民の責任を問う論調を一部に見るけど、ちょっちスジが悪すぎるにゃー。
2)フクシマ事故の避難民は利益をえていたか?
誘致自治体だけでなく、福島県にもそれ相応のカネが落ちていたことは事実にゃんね。
しかし
それを言い始めると、潤沢な電力供給で利益を本当に得ていたのは誰か? という話にもなってくるんだよにゃー。福島県民が利益を得ていたにせよ、利益を得ていたのは彼らだけではにゃーし、リスク負担が実に偏ったシロモノになっていたのは否定のしようもにゃーだろう。
3)フクシマ避難民への補償は十分か?
これについては、これからの政府、東電、あるいは司法の判断なんかを見なければなんともいえにゃーですね。
まあ、十数万人の生活を破壊して、どれだけ補償ができるかってこと自体が問題にゃんが。
では、フクシマでの規制値引上げはダメなのね?
1)自由意志で被曝、はウンコが漏れるくらい無理筋もいいところだし、2)引換に利益ってのも公平性に問題オオアリだし、3)補償の確立ってのも疑問、と考えると、フクシマでの規制値20mSv/年ってのは無理に思えますにゃ・・・・
・・・・とはならにゃーんだ。
実は、ここまでの考察ではすっぽりと抜け落ちた材料がありましてにゃー。
規制値引上げを撤回したらどうなる?
例えば学校校庭での20mSv/年という規制値引上げを撤回して、公衆被曝規制値の1mSv/年にもどしたとしましょうにゃ。
そしたらもう、その学校のグラウンドは使えにゃーよね。土をひっくり返したりいろいろやれば、それなりに放射線量を低くできるかもしれにゃーが、1mSv/年にもどすことはここ数十年は無理なんでにゃーかな。
それどころか
そもそもフクシマの多くの地域(それどころか福島県近隣の多くの地域も)は居住区域として認められなくなるってことになりますにゃー。
これは何を意味するか?
移住にゃんね。
「そのとおり。移住すればよい。行政なり東電が移住の費用などをしっかり補償すればよいのだ」
という声も聞こえてきそうですにゃー。
しかし、それでいいのか?
健康を損なう大きな要因は何か
まあ、つべこべ言わずに以下にリンクした文書を読んでもらおうかにゃ。健康というものに興味がある向きには、つまりこの駄文をわざわざ読んでいるヒトタチ全てにとって必読と断言しますにゃ。
- 健康の社会的決定要因:確かな事実の探求 日本語訳 第二版 ※ PDF書類注意
僕はドシロウトであるがゆえ、個々の研究を評価する力量がにゃーので、世界保健機構が編纂し、「この冊子が元とする根拠は何千という膨大な量の調査報告書から来ている。中には前向き調査で、何十年も何万という多くの人々を、それも生まれたときから追跡したものもある。また横断的調査法を用い、個々の人、地域、国内外のデータを研究したものもある」「各分野の定評ある多くの専門家の貢献によってこの冊子発行が可能になった」とうたい、原題で「solid facts」とまで言い切ったこの総花的な小冊子を論拠にさせていただきますにゃー。
とにかく読め。
フクシマの避難民が強制移住させられた場合に特に関連すると思われる健康改善についての提言を、この冊子から拾って引用してみましょうかにゃ。
・学校、職場、その他の社会組織などにおける社会環境・安全対策は、物理的環境対策と同じくらい重要である。人々がそれぞれの組織の一員であるとの自覚を持ち、自らの存在価値を感じることができる社会は、人々が疎外され、無視され、使われていると感じる社会よりも健康水準が高い。(P13)
・行政は、福祉事業において、心配と不安定の原因になっている心理社会的ニーズと物質的ニーズの両方を満たす必要があることを認識すべきである。特に乳幼児を抱えた家庭へのサポート、地域活動の奨励、社会的孤立の解消、物質的・経済的な不安定の軽減、教育による健康への意識の改善、さまざまな社会復帰などの施策を推進していく必要がある。(P13)
・社会的・経済的な格差を縮小し社会的排除を減らすことで、社会的なきずなを深め、健康の水準を高める。(P23)
・学校、職場、より広範囲の地域社会における社会環境を改善することは、人々が日常生活のより多くの場面で自らの価値を認識し、自分が大切にされていることを感じるきっかけとなるでろう。こうしたことは、さらに人々の健康状態を良い方向へと向かわせ、特に精神面での健全化に大きく貢献するであろう。(P23)
・地域社会で会合や社会的な活動をもてる場を設けるようにすることで、精神面での健全化が図られるだろう(P23)
社会的な活動や地域社会が、いかに健康と密接に関連しているかはこの記述だけでもわかるし、PDF冊子を見ればこれらが死亡率や病気への罹患率、寿命にまで影響をあたえるほど健康へ大きな関与があることがわかるはずですにゃ。
強制移住は、これら健康の基板基盤となるものをいったんご破算にしてしまうのだにゃ。移住者には健康への顕著な悪影響がでて、おそらく寿命にまで影響が及ぶのではにゃーだろうか。
低線量放射線被曝の健康への影響は?
ところが、低線量(50〜100mSv/年以下)の放射線被曝が健康にあたえる影響ってのは確定してにゃーんだな。 少なくとも統計的にはっきりと検出できるレベルでの悪影響ってのはわかんにゃーようだ。
チェルノブイリ事故についても、
・小児の甲状腺癌を除いて事故後に癌の罹患率が上昇したことを示す強力なエビデンスはない
・チェルノブイリの事故の健康への影響については一致した見解は得られていない。UNSCEARは08年に、小児の甲状腺癌の6000例超はチェルノブイリ の事故に関連付けられると結論したが、他の癌については事故との関連を示す明確なエビデンスはないと報告している。一方、民間団体のグリーンピースは、事 故に起因する過剰な癌罹患者は9万3000例を超えるだろうとの予想を示している。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/lancet/201105/519693.html
との見解がランセット誌という世界で最も信用できる医学論文誌のひとつに載っているようですにゃ。つまり、低線量被曝が健康にどれくらい悪影響を与えているのかはわかんにゃーほど微妙だと。
社会的心理的なストレスなどが健康に影響をおよぼすことが明白になっていることとは対照的にゃんね。
さらに
・原子力事故の心理的負荷は見逃されがちだが、実は国際原子力機関(IAEA)は91年に、チェルノブイリ事故の精神面への影響は生物学的なリスクに比べ非 常に大きかったとの結論を公表している。国連のチェルノブイリフォーラムも、事故の最大の影響は住民の精神的健康面に認められ、放射性物質曝露が健康にも たらすリスクに関する情報が適切に提供されなかったことによって被害はさらに深刻になったと述べている。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/lancet/201105/519693.html
と、チェルノブイリ事故においても放射線被曝より精神面での影響、先程のWHO冊子でいえば社会的な影響で健康リスクが大きくなったことが指摘されていますにゃー。
つまりだ、
ある程度の放射線線量の地域、ぶっちゃけいま騒がれている20mSv/年の地域を基準にすると、移住のほうがかえって健康リスクが高い、それもケタ違いに高いということになるんじゃにゃーの?
責任をどうとらせるか
話を最初の方にもどしますにゃー。
現実には移住かそこに住み続けるかの2択ですにゃ。規制値引上げをいっさい認めにゃーのなら移住しかにゃーし、暫定的に規制値引上げを認めるにしても、それはしばらく続くことになりますにゃ。そして、移住も居住も両方ともにリスクに晒されるけれど、極端に線量の多い地域以外なら、移住のリスクのほうが統計的には高くなると思われますにゃ。
だから
- 居住を続けることは、移住に伴うリスクをなくす、という利益を得られる
ということになるんですにゃー。マイナスの回避は相対的には利益なのだにゃ。
もちろんこれは、労働者が自由意志において、しかも利益(プラスを得る)ために放射線被曝というマイナスを我慢したこととはだいぶ違いますにゃ。自由意志もクソもなく、利益といってもマイナス回避で放射線被曝をよぎなくされるのですからにゃ。
だからこそ、事後的な補償を徹底して行う必要があるといえるでしょうにゃー。
具体的には
- 世界最高レベルの放射線被曝の研究、治療施設をフクシマにつくる
- 地元住民はすべて数十年は無料で、その施設で検査・治療を受けることができる
- 社会的影響のもとで起こると考えられる疾病なども無料で治療を受けられる
- 放射線や社会的影響が健康に及ぼす影響について、徹底して教育する
原則的にもともと暮らしていた町に居住しつつ、以上のような施策を行うことが、多分もっとも健康被害を少なく抑えることができるのではにゃーだろうか? 長期間の低線量被曝が健康に及ぼす影響は、事後的・確率的にしかわかんにゃーので、とにかく補償するしかにゃーんだよな。また、ストレスなどからくる疾患なども原発のリスクと考えるべきだしにゃー。
もちろん、この費用は行政なり東電なりに全額負担していただくにゃ。
放射線量を低減していく責任も、もちろん行政や東電にありますにゃ。
費用の負担者を明確にすることによって、放射線量をどれくらい減らすためにどれくらいのコストをかけ、それがどれくらい住民の健康に影響するか、をシビアに考えていただくことになりますにゃー。
まとめ
最初に【許容量(=規制値)とは社会的概念である】と引用しましたにゃ。規制値が社会的な概念であり、そして人間の具体的な生活や健康をもっとも重視するのであれば、原則として居住を続けながら徹底して補償するのがもっとも被害を抑える方法であろうと思われますにゃ。
そしてまた、これがもっともしっかりと行政や東電に責任を取らせるやり方なのではにゃーかと思う次第。移住ということになれば、逆に行政や東電の責任がウヤムヤになるのではにゃーだろうか?
さらにいえば、今後は原発依存の地域経済からの脱却も図っていかなければならにゃーでしょうね。
おまけ1
原発擁護のお話にならにゃー世迷言も聞こえてくるけど、特に放射線被曝関連でどうしようもにゃーデマが【反原発】のヒトから発信されてるのも残念ながら事実にゃんね。
で
そういう反原発派に対して【子供を守れという思考停止】という言い方がされているのが僕には気になっていましてにゃ。大人がガキを守るのはアタリマエなので、子供を守れ、が思考停止になるわけにゃーだろ。
こう言ってやれよ。
- デマにまどわされて子供を守れるのか?
おまけ2
WHO冊子のような考え方をする学問を【社会疫学】といいますにゃ。冊子を読んで興味を持った向きは、以下の書籍がオススメ。オモチロイよ。
- 作者: イチローカワチ,ブルース・P.ケネディ,Ichiro Kawachi,Bruce P. Kennedy,西信雄,高尾総司,中山健夫,社会疫学研究会
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2004/10/01
- メディア: 単行本
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多分、21世紀以降の先進国において、最大の健康リスクは社会格差に関連したものになっていくのではにゃーだろうか。その証拠はちゃくちゃくと積み立てられ、そうそう後退していくこともにゃーと確信する。
経済学とも連動して、実効的な社会保障政策の基盤ともなっていくでしょうにゃ。
というか、そういう方向に持っていかなければならにゃーんだけどな。
*1:1967年刊ですでに絶版
*2:低線量放射線被曝の健康リスクに仮に閾値があるとしても、閾値まで被曝すること自体にメリットはにゃーわけで、武谷のいう「許容量とは利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念」という認識の妥当性にについてはゆらぐものではにゃーけれどね。あと、放射線ホルミシス効果(=少しの放射線は健康にいいよ仮説)はここでは却下ということで
*3:同書の結論部にも許容量は「社会科学的概念」との記述もある P220
*5:女は風俗、男は原発: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) のような現実もあるので、この「自由意志」というのには忸怩とするところもあるんだけど、まあそのあたりはとりあえずはおいとく
*6:妊婦については、職業被曝であっても10mSv/年が規制値。ICRP勧告(1990)では2mSv/妊娠期間、となる。無論だが子供には職業被曝ということ自体がありえない