「情報学ブログ」の読み方・楽しみ方(追記アリ

へ僕がブクマコメをしたことを皮切りに、ツィッター上で情報学ブログの人とやりとりをしていましたにゃ。
その経緯については、

をご参照の程を。


で、とりあえず僕は情報学ブログの人とのやりとりは無意味なのでやめましたにゃ。
その判断理由について、以下に述べますにゃー。

1)情報学ブログは自分の発言に責任を持っていない

「痛いのやだ」「飢えるのやだ」という基本的な欲求から定量化がはじまってんの。まあ、そもそも痛みや飢えも定量的な側面を持つしな。
地下猫
http://twitter.com/tikani_nemuru_M/status/22497892869

ちなみに、まさか痛みや飢えが定量化できるなんて考えないよな。痛みの原因や飢えの原因の定量化ね。痛みは「原因の定量化」も微妙だが、とりあえずいいや。RT 「痛いのやだ」「飢えるのやだ」という基本的な欲求から定量化がはじまってんの。
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22498518548

はい、またも「僕は馬鹿ですみんな聞いてね」発言。痛みも飢えも定量化できないわけないだろ。いくらでも定量化の方法は考えつくぞ。ほんとに頭わりいのな・・・さて、出かけよ。 RT @infobloga:ちなみに、まさか痛みや飢えが定量化できるなんて考えないよな。
地下猫
http://twitter.com/tikani_nemuru_M/status/22498866297

おお、すごいすごい。天才出現。話すの無駄じゃないかって気がしてきたぞ。RT 痛みも飢えも定量化できないわけないだろ。
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22499119512

痛みの定量化も飢餓の定量化も、ちょっとググるだけでいくらでもでてくる。世の中のアタリマエの知識レベルはチミにとって「天才」なんだね。チミは本当にどうしようもない馬鹿だな。
地下猫
http://twitter.com/tikani_nemuru_M/status/22508383027

痛みの定量化はあるよ。でも、特定の目的のために使う主観的データ。それが君の言う「事実」なら、ホメオパシーの「治った」も事実な。 たしかに、ホメオパシー信者の説得は大変だわ。RT 痛みの定量化も飢餓の定量化も、ちょっとググるだけでいくらでも
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22581726391


以上のやりとりは、科学以前に確実性や定量性という概念があったという僕の主張から派生したものですにゃ。
地下猫「痛みや飢えも定量的な側面を持つ」
情報学「まさか痛みや飢えが定量化できるなんて考えないよな」
地下猫「痛みも飢えも定量化できないわけないだろ」
情報学「おお、すごいすごい。天才出現。話すの無駄じゃないかって気がしてきたぞ」
というやりとりからは、情報学ブログの人は痛みや飢えの定量化は原理的に不可能であり、そんな荒唐無稽なことを主張する僕を「天才出現」と揶揄していることは明らかですにゃ。


飢餓の定量化については、もちろん医学的にいくつか指標がありますにゃ。そして、医学的な指標とは定量的なものであることはいうまでもにゃーですね。
痛みの定量化については、現段階で実用レベルにあるものはにゃーようだけれど、原理的に不可能なものではにゃーですね。神経生理学の発達を考えると、近未来に実用レベルに達してもおかしくはにゃーでしょう。


ツィッター上でもこのあたりについて横からツッコミが入りましたにゃ。
すると、「まさか痛みや飢えが定量化できるなんて考えないよな」「(定量化はできる、に対して)おお、すごいすごい。天才出現。話すの無駄じゃないかって気がしてきたぞ」と発言した本人が、何の前触れもなく
「痛みの定量化はあるよ。でも、特定の目的のために使う主観的データ。」
といいだしたわけですにゃ。


対論者を馬鹿にしておいて、謝罪も訂正も一切なしで、自分の発言をちゃぶ台返し
しかも、飢えの定量化を否定していたことはスルー。
小見出しの「情報学ブログの人は自分の発言に責任を持っていない」は最大限に好意的な解釈で、実際には「恥知らずのウソツキ」「ウソをつくことを何とも思わない」あたりが適切な評価ではにゃーのかな。


情報学ブログの不誠実さというのは、他にもいろいろ指摘できるんだけど、僕としてはこの件がとどめとなって話す気が完全に失せましたにゃ。
「(定量化はできる、に対して)おお、すごいすごい。天才出現。話すの無駄じゃないかって気がしてきたぞ」
に対するブーメランということ。

2)情報学ブログは、科学を論じる素養がない

自分の発言についての不誠実というのは論者として確かに致命的だけど、その分野についての素養がにゃーってのもやっぱり致命的ですよにゃ。
「まさか痛みや飢えが定量化できるなんて考えないよな」
ってのは自然科学の基本的な方法論を理解していればでてきようのにゃー台詞ですにゃ。知ってる・知らないという問題ではなく、自然科学の方法論をまるで理解できてにゃーということ。

ほんと分かってないな。科学はそんな風に数値化できる現象だけを扱っているわけじゃない。今、問題になっているのはそういう話。RT 違わねえよ。基本的な確率の概念は科学以前にあり…
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22494010255

という馬鹿発言も彼にはあり*1、そもそも科学と定量化の関係がわかってないのではないかとまで推測されますにゃ。

で、定量化できるもの(あるいは他の基準を満たすもの)だけを真実とするべきというのは、どこから導かれるの?
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22498431530

という馬鹿発言もありましたにゃ。もちろん、僕がこんな馬鹿なことをいうはずもなく、軽くいなしてつっこまなかったのだけれど、これは馬鹿丸出しですよにゃ。
後で確認するけれど、彼にとって定量化とは科学の枠内の話らしく、これはつまり

  • 「科学だけを真実とするべきというのは、どこから導かれるの?」

という問いに等しいのだにゃ。
そう、あれですよ、「科学だけが真実か?」という石をなげればあたるくらいゴロゴロしている通俗的な反科学馬鹿のタワゴトなんだよにゃ。


情報学ブログの人ってのは、単にウソツキであるだけでなく、論のレベルがこの程度なんですにゃ。

3)情報学ブログは、強い相対主義の立場にあり、しかもそれを隠蔽している

ちなみに、本文で言う「相対的」って、事実が相対的だってこと。だから、最初から最後まで全部「事実」のあり方の話。一般的な話なのに加え、知らなくても文脈で分かると思ったけど…。
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22373080227

相対主義にはいろいろあるけど、「事実が相対的」ってのはすさまじいにゃ。


相対主義にもいろいろあって、文化相対主義や価値相対主義ってのは穏当なる相対主義にゃんね。僕もこれらは原則的に支持してますにゃ。
科学哲学において問題となるのはいわゆる「認識論的相対主義」であって、「原子とか素粒子とか、ホントにあるの? そういう科学的な認識って相対的なものなんじゃないの?」とかいっちゃう立場ですにゃ。相対主義のなかでも極めて強い主張といえますにゃ。
認識論的相対主義そのものの是非はここではおいておくとして、情報学ブログの「事実が相対的」ってのは、もともと強い主張である認識論的相対主義のなかでも最右翼といっていいんでにゃーかな。


「事実が相対的」なわけだから、情報学ブログの人は、標準医療のほうがホメオパシーや呪術医療よりも効果が高いという、この議論において多くの人が共有している前提を共有してにゃーんです。僕とのやり取りを見ればわかるけど、彼は一貫して標準医療のほうが実効性が高いということを肯定していにゃー。
彼がブログ他でいっているのは「科学の説明能力の高さ」であって、科学の実証性や実効性ではにゃーのですね。

繰り返しになるが、科学的に見れば、科学に基づいたものの見方の方が確実性が高いだろ。科学的に見なければ、そんなの分からん。トートロジー
情報学ブログ
http://twitter.com/infobloga/status/22428310381

情報学ブログに言わせると、確実性とか見込みとかいう判断はそもそも科学にコミットしてるんだと。
標準医療を含む科学の実証性・実効性というのは、科学の枠内で判断しているにすぎにゃーんだそうだ。
「なにそれ?」
って感じにゃんね。


で、呪術などの他の体系と比して科学に実効性が明らかに高いという一般的な認識を否定している記述は、彼のブログ記事にははっきりとにゃーようだ。ま、僕も彼のブログをずっと読んでいるわけでもにゃーから確信はにゃーのだが。
少なくとも僕は、科学の実効性の高さを情報学ブログが否定しているということを、彼のブログ記事からは読み取れなかったにゃ。直接やりとりしてはじめてわかってびっくりしてるんだにゃ。
こういう極端な相対主義を採用しているんだったら、ちゃんといっておいてくれにゃーと読むだけ無駄だし読んでもいらっとするだけだにゃ。

4)その他いろいろ

他にも馬鹿発言はいろいろあるけど、とりあえず主なところを箇条書きで

  • 「数値化できる現象だけ取り上げたら、その時点で科学だろ」

だそうで、「俺にはずっと彼女がひとりもいない」、は科学だそうです。
とにかく定量化とか数値化まわりのことがまったくわかってにゃーようだ。
定量化とか確実性という概念、見込みにもとづく行動というのは、日常生活においても行われているし、ストロースのいう「野生の思考」においても当然のことながらあるわけだにゃ。というか、定量的な見込みにもとづく行動をしなかったら、淘汰されて生き残ってにゃーだろな。
見込みにもとづく行動が科学の枠内にあるらしいので、これはつまり、極端な構築主義という立場にたっているようですにゃ。

  • 説明能力と実効性を切り離せると思っているらしい

科学の説明を僕たちが納得しているのは、その実効性が高いからだにゃ。仮に実効性を問題にしなければ、すべてを同一原理で説明しきる呪術や宗教のほうが説明能力が圧倒的に高いということが理解できにゃーようだ。

  • 「科学理論は近似に過ぎず事実そのものにはたどりつけない」という考えはプラトニズム

これは少しでも哲学をかじった人にはオオウケだろうにゃー・・・

  • 情報学ブログのほうが旗色が良い、あるいは僕が逃げにかかっている、と本気で思っているらしい

読者諸賢に判断を委ねますけどにゃ。

5)情報学ブログの謎

ここまで極端な相対主義、極端な構築主義にたっているにもかかわらず


○具体的にホメオパシーをどう説得すれば良い?


1. まず、あなたたちには、あなたたちの世界観があるんですねと認める。
2. その上で、ホメオパシーが、科学とどう矛盾するのか(科学的に見たら、いかにおかしいか)ということを説明する。
3. 科学の方法論の方が優れている理由を説明する。特にホメオパシーのように「正しい」かもしれない仮説は無数にあり、それにとらわれない方が良いことを説明する。


http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ecd7.html


とか言いだすというのが逆にわからにゃー。
ホメオパシーや呪術に比して標準医療(科学)の実効性が高いということを認めないのに、どこに「科学の方法論の方が優れている理由」が存在するというのでしょうかにゃ?


情報学ブログに、科学の実効性の高さを認めないのに、なぜ君は科学を受容するのか、と尋ねたら

自分が科学を受容しているのは、そういう社会に投げ込まれているから
http://twitter.com/infobloga/status/22490761117

という答えが返ってきて唖然としたのだけれど、「自分が科学を受容しているのは、そういう社会に投げ込まれているから」とうそぶく人物が、いったいどうやって「科学の方法論の方が優れている理由」を説明できるというのか? 僕には見当もつかにゃーです。


で、あまりにも謎なのでツィッターで何度も尋ねたわけですにゃ。
そしたら、
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ecd7.html
でいったことに情報学ブログ的にはなっているらしいんだにゃ。はああ?
僕が尋ねたのは、科学は実効性が高いことを肯定しないうえに「自分が科学を受容しているのは、そういう社会に投げ込まれているから」という立場で「科学の方法論の方が優れている理由」を説明することなんだけど、そんなことは当該記事のどこにも書いてにゃー。
アタリマエだよにゃ。当該記事を読んで疑問に思ったことを突っ込んだら、情報学ブログが科学の実効性を肯定していないことも「自分が科学を受容しているのは、そういう社会に投げ込まれているから」ということもでてきたんだから。


・・・ところがどうやら、情報学ブログは本当に説明済みだと思っているようなんだにゃ。逆ギレして僕を罵倒までしてる・・・・ひいいいいい、馬鹿がここまでくるとこわいよー(泣


結局のところ情報学ブログの前提は、事実は相対的であり、治療実績などは科学の枠内での話であり、科学の受容はそういう社会に投げ込まれているからであり、すべては根拠のにゃー話ということだにゃ。
情報学ブログ最大の謎は、そういう立場なのに「科学の方法論の方が優れている理由」だとか「「相対主義を乗り越える」ことはまさにブログのテーマ*2」だとかいってしまうことにゃんね。
情報学ブログの立場からは、ホメオパシーを擁護することが必然的な帰結だと思うのですけどにゃー。

結論

  • 情報学ブログは極めて強い相対主義構築主義に立ちます。早川センセイへの擁護などでもそれがわかりますが、普段はそれを表に出さないようにしています。隠れた主張を読み取ろうとすると少し面白いかもしれません。
  • 情報学ブログではまるで実効性のない提案をします。これはもともと実効性というものを相対化しちゃっている芯の通った態度であるといえます。実効性のなさを楽しみましょう。
  • 情報学ブログのテーマは「相対主義を乗り越える」そうですが、そのテーマがどこにあるのか探す徒労感もたまらない楽しみです。僕には相対主義に溺死しているようにしか見えませんでした。
  • 情報学ブログに明らかな間違いを指摘しても認めることは稀です。間違いを指摘して反応を楽しみましょう。
  • 情報学ブログに間違いを指摘する際、彼がドヤ顔で専門用語をまちがった使い方をするのは楽しめます。僕は「オッカムの剃刀」「プラトニズム」などの彼の用法でさわやかなひとときを味わいました。

追記 2日18:30ごろ

情報学ブログよりブクマコメいただきましたにゃー

id:infobloga
地下猫が返答に窮して爆発 http://d.hatena.ne.jp/infobloga/20100902/1283414715

ということで、トラバもいただき、リンク先を見に行ったけど、やっぱり時間と手間の無駄でしたあああああああ。


この記事と情報学ブログのいくつかの記事を読んだうえで、僕が逃げてるとかいう判断をするお人に何をいわれてもぜんぜん構いませんにゃー。
あと
情報学ブログの人をみていると、自己欺瞞というのも才能ではにゃーかと思えますにゃ。
ま、
なんにしても情報学ブログとやりとりする必要はいっさいにゃーことが確認できたということにゃんね。

*1:この馬鹿発言は後で訂正はされている。意味不明の訂正だったけど

*2:http://twitter.com/infobloga/status/22418111752