アクタイオンの亡霊たち


試論として

誘惑されて破滅するアクタイオン

ギリシア神話におけるアルテミスは、地母神にして処女神、森の女神にして熊の化身・鹿の化身ですにゃ。アルテミス絡みで、以下のような有名なお話がありますにゃー。wikipedia:アクタイオーンより引用。


アクタイオーン (Aktaion、希: Ἀκταίων、英: Actaeon) は、ギリシア神話の中の登場人物の一人。長母音を省略してアクタイオンとも表記される。父は太陽神アポローンの子アリスタイオス、母はテーバイの王カドモスの子アウトノエーとされている。


ケンタウロスケイローンに育てられて狩猟の術を授けられた。一説には狩猟を教わったのは実父からであったともいう。


50頭の猟犬を連れてキタイローン山にて狩猟中、女神アルテミスの入浴中の裸体を誤って目撃してしまったために、報いとしてかの女神によって鹿へと姿を変えられ、連れてきていた自分の猟犬に食い殺された。一説にはわざと鹿皮をアクタイオーンに被せて猟犬に襲わせたともいう。


なかなかにエロい絵ですてきなので、この逸話を描いたクラナッハの絵もおいておきますにゃ。


この神話はいろいろと解釈の余地のある神話ですにゃ。例えば、ここでのアクタイオンは女神に捧げられた供物としての「偽の王」by フレーザーかもしれず、アクタイオンが本来ならばアルテミスの化身たる鹿の姿にさせられたのはそれを裏付けるかもしれにゃー。
また、
ケレーニイ「ギリシアの神話」によれば、クレタ島の人シプロイテスがアルテミスの水浴に出くわしてしまったときは女に変えられていることから、アクタイオンを犬がかみ殺したというのは性的な隠喩かもしれにゃー。あるいはアクタイオンは自らの獣性により滅びたということなのかもしれにゃー。


いろいろと考えるのもタノシイ神話なのだけれど、ここでは

  • 誘惑者としての♀、♀に誘惑されて滅びる♂

という、実に広く見られる視点で考えてみますにゃ。旧約聖書における「誘惑者エヴァ」も、この類型であるといえ、世界中に見られる話であるといえますにゃ。


アクタイオンは運の悪い可哀想な狩人ですにゃ。別に覗こうとして女神の水浴を見たわけでもにゃーのに、別に何もわるいことをしているわけでもにゃーのに、いわば性的な挑発をされ、挑発者である処女神の一方的な怒りによって、その身を滅ぼしてしまいますにゃ。
狩るモノが狩られるモノと変えられ、自らの引き連れてきた犬に引き裂かれるという最後、獣として獣にずたずたにされる残酷な最後をとげますにゃ。

性を支配するのは♀

このアクタイオンの話は、♂の原初的な恐怖(去勢恐怖の一種といえるかも)をよくあらわしている話ではにゃーかと思われますにゃ。
性欲というのはなかなかコントロールのできるシロモノではにゃーのだが、特に♂というものは、自分の性欲が♀に操られているのではにゃーかという感覚を持っていますにゃ。♀には♀の事情があって、♂との距離をいろいろと測りかねているのだろうけれど、♂にとってはまるで自分の性欲が♀によってコントロールされているような感じになるものですにゃ。己の欲望を支配する呪力を♀が備えているかのごとき感覚を♂は持つのですにゃ。
で、
特にその呪力が強いのが処女にゃんね。「初夜権」というのは、♂を思いのままあやつりしばしば破壊的な力を持つ処女の呪力を、領主などの持つ宗教的呪力で制御しようという試みでしたにゃ。中世キリスト教世界だけでなく、けっこう世界のあちこちで見られることのようにゃんね。


性における主導権は♀が握っている、と♂は感じていますにゃ。♀という生き物は、地図も読めないくせに、したたかでずるくて♂の下半身を支配する呪術というか、性魔術というか、そういうものを行使する存在なのですにゃ、♂にとってはね。


そして、近代以前の西欧をはじめとして、性的にアクティブなのは♂ではなく♀のほうだともされていましたにゃ。まあ今でも馬鹿エロマンガとか馬鹿アダルトビデオなんかで、「清純そうだと思ってた娘が超淫乱で♂は絞り尽くされちゃってもうたいへーん」「生意気な♀をレイプしたら感じやがって、そのあとおねだりされちゃったよーん」みたいな馬鹿ネタはあとをたたにゃーし、♂の消費するエロおいては「♀はいかに底なしに淫乱な生き物か」ということ、つまりは「セックスの本当の主体は♀であること」に繰り返し焦点があてられるわけにゃんね。
誘惑し挑発し、♂を絞りつくすのは♀のほうであり、♂は♀の性的な呪力のまえに翻弄されっぱなしなのですにゃ。


もちろん、これらの♀についての考えは、♂が自分の欲望を勝手に♀に投影した結果、つまりは鏡にすぎにゃーのだが。

♂に要求される「性の卓越性」

♂が属しているのは、♂同士のホモソーシャルな社会ですにゃ。♀の行使する性魔術の力を♂たちは十分に知っているので、♂同士の中で尊敬をかちうるのは「♀の支配に屈しないこと」「♀を屈服させること」になるわけにゃんな。
♂の共同体の中で♂に認められるためには、なんとしてでも♀を屈服させなければならにゃーわけだ。
さて、
ではどんな手段で♀を屈服させるのか?
基本的には【絶倫精力】と【権力】でしょうにゃー。
カネも社会的権力だし、「仕事ができる」も社会的地位ですにゃ。コミュニケーション能力なんかは、将来の社会的地位といえますかにゃ。そして、容姿などの性的な魅力を加えてもいいでしょうにゃ。これらをまとめて「性の卓越性」とでも呼びましょうかにゃ。
♀の底なしの欲望に対して性の卓越性をしめし、逆に♀を屈服させることが【男】として周りの【男】に認められるために必要なのですにゃ。英雄色を好む。あるいは加藤鷹

挑発される主体、挑発する自然

また、伝統的なジェンダー二分法として、【♂=理性=秩序】と【♀=自然=渾沌】というのもありますにゃー。理性によって征服されるべき自然、というところにゃんね。


♂は性の卓越性を示す理性的な主体となり、自然=♀を征服して秩序をうちたてることが必要になってくるわけにゃんね。
しかし
♂の性はしたたかで欲の深い自然=♀の挑発によってもともと支配されているわけだにゃ。


♀に対して性の卓越性を示す主体のはずが、その性は♀の支配下にある。
ここで

  • ♂は征服者として主体でありながら挑発されているので責任はない

そして一方

  • ♀は征服されるべき自然でありながら挑発者としての責任が帰せられる


この恐るべきご都合主義!

「男は獣」とは何だったのか?

「男は獣」「男のなかに獣がいる」などといいますにゃ。このいい方は、「男というものは自分の中に自分で責任をとれない衝動を持っている」くらいの意味で流通しているけれど、もちろんこれはもう十分に無責任でヒデエのだけれど、じつはもっとご都合主義な話なのですにゃ。「男は獣」「男の中に獣がいる」と言った場合、実はその「獣」を支配しているのは♀だということなのですにゃ。♀の自業自得なの。

  • ♂が性的主体として何を行おうが免責され、♀がすべての責を負う。なぜなら「獣」の支配者は♀だから。

これが、「男は獣」という言明の意味するところなのですにゃ。


id:Francesco3が断固として拒絶したのは、このような言明であり、このような言明が流通する社会ですにゃ。
だから「獣は檻に入れよ」と言わなくてはならなかったのだにゃ。
「獣は檻に入れよ」とは、♀が「獣」の管理責任を問われることへの拒絶だ。


アクタイオンの亡霊たち

レイプというのは♀が♂を挑発した結果おきたこと【でなければならない】。
夜道を♀ひとりで歩くことなどは挑発であって、♀が挑発したのだからレイプしてよい。獣のしたことの責任は♀にある。
現代によみがえったアクタイオンの亡霊たちはそう主張しますにゃ。


♀の支配に屈し、狩る側にいたのに狩られる側となって引き裂かれたアクタイオンの無念と恐怖を、よみがえったアクタイオンの亡霊たちは片時も忘れることはにゃー。

  • アクタイオンの亡霊たちは、いつでも狩る側にいなければならない
  • アクタイオンの亡霊たちは、常に性の卓越性を示さなければならない
  • アクタイオンの亡霊たちは、「獣」を放し飼いにし、かつその管理責任を♀に押しつけなければならない

つまり

  • アクタイオンの亡霊たちは、陵辱する権利とその正当性をいっさい手放してはならない


だから、
アクタイオンの亡霊たちは、フランチェス子のような「挑発する♀」を言説でレイプしなくてはならにゃー。「檻にいれろ」などと自分たちを狩られる側にしかねないいっさいの言説をけっして許すわけにはいかにゃーのだ。


だけど
アクタイオンがもし狩人でなかったのなら、犬を連れていなければ、処女神の水浴にでくわしても、その命を失うこともなかったのだろうに。
「男が獣ならば檻にいれておけ」
が狩ることも狩られることも拒絶していることが、アクタイオンの亡霊たちには届かにゃーのだ。