レヴィ=ストロース鎮魂のため数学野郎にお願い(追記アリ


レヴィ=ストロースが亡くなりましたにゃー。生きたまま即身仏になったのではにゃーかと思っていたけど、やっぱりニンゲンだったかー。


さて、僕の脳内のレヴィ=ストロース鎮魂のために*1、数学野郎・プログラム野郎どもにお知恵を拝借したく思いますにゃー。
お題は


平面上にいくつかの点がある。点と点が線で結ばれている。1本任意の1点から出ている線の数はN。任意の2点を取り出すと、その2点は直接、あるいは、別の1点を経由してつながっている。このような状況が可能な点の個数の最大値は?


知り合いの数学野郎に聞いてみたのだけど、一筋縄でいかにゃー問題みたいですにゃ。
で、
なんでこれがレヴィ=ストロースに関係があるかについては以下で説明しますにゃー。

ダンバー数とは?

で紹介したシンポジウムが終わったときに、長谷川寿一教授をつかまえて、レヴィ=ストロースの「真正性の水準」について簡単に説明し、意見を求めたのですにゃ。すると長谷川教授は、「霊長類学・人類学において「ダンバー数」という似たような概念がある。」といっていましたにゃ。


このダンバー数とは何か?


Dunbar's number is a theoretical cognitive limit to the number of people with whom one can maintain stable social relationships. These are relationships in which an individual knows who each person is, and how each person relates to every other person. Proponents assert that numbers larger than this generally require more restricted rules, laws, and enforced norms to maintain a stable, cohesive group. No precise value has been proposed for Dunbar's number, but a commonly cited approximation is 150.
Dunbar's number - Wikipedia


拙訳
ダンバー数とは個々人が安定した社会的関係を維持できる、集団の個体数における理論上の認知的限界のこと。この関係においては、各人が誰であり、他の成員とどのような関係をもっているかが理解されている。これより大きな数が安定して団結した集団を維持するためには、概してより制限された規則、法、強制された規範が必要とされると、提唱者は断言している。ダンバー数に厳密な値は提出されていないが、よく引用されている近似値は150である。


ダンバー数の提唱者ロビン・ダンバーは、霊長類の脳サイズに対する新皮質の割合と群れの大きさに相関関係があるところからこの概念を導いたようですにゃ。詳しくは、http://www4.ocn.ne.jp/~murakou/socialbrain.htmをご確認くださいにゃー。これはヒッジョーにおもちろいよ。
いっておくと、ダンバーは信用のおける科学者ですにゃ。経歴がご立派というだけでなく、その著書を読んでの感想にゃんね。ダンバーの啓蒙書「科学がきらわれる理由」は、書評在庫一掃セール2009年10月版 神は細部に宿り給うでもオススメとなっていますにゃ。まあ、まともな科学者のまともな仮説でなければ、シロウトの質問に対して長谷川寿一教授が言及することもにゃーだろうけれど。

真正性の水準

このブログでもたびたび「真正性の水準」に言及していますにゃ。小田亮教授のブログからふたたび孫引き引用させていただきますにゃ。


町議会や村議会の運営と、国会の運営との間には、程度の差だけではなく質的な差があることは周知の事実です。前者の場合、特に或るイデオロギー的内容に基づいて決議がなされるというわけではなく、ピエールとかジャックとかいう個人の考え、とりわけその具体的な人柄を知ることも、考えを決する基となります。その場合、人々は全体的に、大づかみに、人の行動を把握することができます。思想もたしかに問題にはなりますが、しかしそれらの思想は小さな共同体の一人一人の成員の身の上話や家庭事情や職業的活動によって解釈されうるものです。こんなことはみな、或る人数以上の人口の社会では不可能になります。私がどこかで「真正性の水準」と呼んだのはこのことを指しているのです。


[シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』(みすず書房)55-56頁、訳語は一部(小田氏が、引用者注)変更した]


2009-03-26


この「真正性の水準」という概念を「人類学から社会科学へのもっとも重要な貢献」となりうるとストロースは述べているそうですにゃ。

ブログに突撃して聞いてみた

で、
ここでストロースが述べている内容とダンバー数の定義とは確かに重なる内容がありますにゃ。ひとことでいえば、小田教授のいう【〈顔〉のある関係】にゃんね。


というわけで、小田教授のブログのコメント欄に突撃してダンバー数について聞いてみたのですにゃ。すると答えは


それ(ダンバー数)と「真正な社会」と異なるところは、人類の真正な社会では、全員が他のすべての個体を認知する(会って「毛づくろい=コミュニケーション」する)必要はないという点です。実際に、真正な社会としての村や地域共同体(レヴィ=ストロースによれば 500人程度、まあせいぜい1000人くらいでしょう)には、互いに1度も会ったことのない成員がいます。顔も知らない成員がいても、自分と〈顔〉のある関係になっている者と〈顔〉のある関係になっているという信頼(ベネディクト・アンダーソンのいう「想像」)があれば、真正な社会は成立するというわけです。


150人という「ダンバー数」は、ビジネス界では一緒に仕事をする人数の安定した関係を維持する上限と捉えているようですが、真正な社会や共同体のすべての成員が継続的に一緒に仕事をするなんてことはありません。自分自身が他のすべての成員を個別的に認知していなくても、自分のよく知っている者がよく知っているというだけで十分だというわけです。


ポイントは2つ。
500人(からせいぜい1000人)という個体数と、「自分のよく知っている者がよく知っているという」関係ですにゃ。

150と500

さてさて、

  • ダンバーによれば、安定した関係を築くことのできる【直接の】認知的限界は100〜230で、その平均は150
  • ストロースによれば、真正な社会のためには【知り合いの知り合い】までがその範囲で、500(〜1000)程度の成員数


両者は矛盾にゃーのでは?
というわけで、冒頭の数学の問題になるわけですにゃ。直接に「よく知る」ことのできる認知的限界がN人として、集団内のすべての成員が【知り合いの知り合い】に含まれるためには、その集団の成員数はいくつが上限となるか?
あるいはNを100〜230、平均150とすると、集団の成員数は500あたりになるのではないか?
引用したダンバーの論文にも、「様々な人間の集団サイズは(5, 12, 35, 150, 500, 2000)というクラスタに収斂するという知見も存在する」とありますにゃ。そこで「150」と「500」の橋渡しが【知り合いの知り合い】【ベネディクト・アンダーソンのいう「想像」】という人文的な知見を基盤にして数学的な処理でできたら面白いのではにゃーかと考え、数学的に考え始めたのだけれど・・・・・


ムズカヂイぃぃぃぃぃぃ
僕にはミッション・インポテンツだぁぁぁぁぁ

よろしく哀愁

というわけで、各個人を「点」、認知的上限の数を「点からでる線」として一般化したのが冒頭の問題ですにゃー。キモは任意のどの2点をとっても、「知り合い(直接結ばれてる)」か、「知り合いの知り合い(点を1つだけ介在させて結ばれている)」の関係になっていなければならにゃーところ。
どういう数式を使うのか見当もつかにゃーです。N=3のとき、上限は「8」だというのは樹形図かいてわかりましたにゃ*2。でも、Nが4以上になるともうわからんちん。Nが100〜230で平均150なんてのはどうすればいいかまったくわかんにゃー。


で、知り合いの数学野郎にこの問題を聞いたところ、けっこう苦しんでいるようですにゃ。数学野郎の集うmixiの某コミュでもなかなかすっきりとはいかにゃーようだ。
誰か、この問題を数学的に解析あるいはプログラムで解答をえてコメなりトラバください。
御願い奉ります。良解答には、はてなポイント差し上げます。


ついでにいうと、
直接の知り合い→M=1
知り合いの知り合い→M=2
知り合いの知り合いの知り合い→M=3 ・・・・・
というふうに、認知的条件Nと経路Mの一般理論ができたらすごいと思いますにゃ。
今回はN=100〜230(平均150)、M=2
ですにゃ。これが500あたりになったらオモチロイな、と。*3

蛇足

引用したダンバーの論文は、いわゆるマキャベリ的知能仮説(社会脳仮説)と関連していますにゃ。フリーライダー検知(裏切り者検知・裏切り者探索)とかいういわゆる「ヒトの認知モジュール」に関連したお話にゃんね。ダンバー数というのは、ヒトの認知モジュールが十全に機能する限界の成員数とみてよいのではにゃーだろうか?


言語コミュニケーションによって抽象的な内容を相互伝達できるヒト集団にとっては、「裏切り者検知・裏切り者探索モジュール」や「社会的交換モジュール」が十全に機能するためにはすべての成員が【直接に】知り合いである必要はにゃーかも。


Aという人物を自分ではよく知らにゃーとする。しかし、自分が直接によく知らなくても、自分がよく知る誰かを経由すれば必ずAに関する確度の高い情報が得られるのであれば*4、そこそこ効率よく「ヒトの認知モジュール」が作動するのではにゃーだろうか?
つまり
【知り合いの知り合い】の範囲内では、ヒトの認知モジュールという資源をつかって、低コストで「そこそこの正義と安定」を実現できるのではにゃーだろうか?


しかし
集団の規模がでかくなると、ヒトの認知モジュールという進化の過程で実装された資源を使えなくなっていくわけだにゃ。そこで法だの規範だのが要求されるんだにゃ。それどころか、大きな集団ではヒトの認知モジュールは暴走していくのではにゃーだろうか?
例えば母子家庭の生活保護をたたいている連中って、母子家庭でガキを何人もかかえた母親が、20数万で生活していくのがどういうことか、現実的にわかっているやつはほとんどいなさそうだし。マスコミを経由したことによるフリーライダー検知モジュールの暴走にゃんな。
あるいはテレビによく映るだけの能無しタレントを、「社会的交換モジュール」を誤作動させて国会議員にしちゃうとか。

追記 5日15:00ごろ

えーっと
N=150で、求める値は軽く5000を越える模様ですにゃ。
僕はアサハカ君でしたにゃー。
あと
N=3 で10となる美しい作図法がありましたにゃ。びくーりだ。


説明などは数日中に新しいエントリで。

*1:このじいちゃんは祟りそうにはないけれど

*2:白状すると、最初は6が限界だと思ってたんだぜ

*3:さらにN=100〜230(平均150)、M=3で2000になったらすげえな、と。ダンバーによると「様々な人間の集団サイズは(5, 12, 35, 150, 500, 2000)というクラスタに収斂するという知見も存在する」そうなので。

*4:「なるほどこの鷹揚な人までAをこう評価するのか」「この人がAをほめているけど、あてにならねえよなあ」とか