個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害

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前回エントリのコメント欄がだいぶ深くなりましたし、id:nornsaffectio氏への返事が長くなったので、エントリとして独立させます。
今回応答するといっていたのに申し訳ない。コメント欄の継続だということでご理解ください>sk-44氏

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  • >>性犯罪の二次被害・三次被害は「他者危害」「人権侵害」といってよいレベルにあるとお考えにはなりませんか?
  • >人権侵害でないと言った覚えはありませんが。僕はたんに人権の制約根拠(!)としての「他者危害」に話を及ぼしても、ただ公権力を出動させるほどの危害harmではないと当局に突っぱねられて終わりだから、無意味だよと言っているわけです。


え?
人権侵害といえばよかったのですか? それならそれでいいのですが、人権侵害といういい方をしてだいぶ反発をうけていたので・・・
それと
当局に要請するつもりなどないので、「当局に突っぱねられて終わりだから、無意味だよ」といわれても、それこそ無意味なのですが・・・・


  • >公権力の出番をもたらさない程度の侵害であるならば、原則として自由な私人の自律の問題、つまり討議の局面になります


二次被害・三次被害は深刻ではないというのが前提になっていますね。
レイプと二次被害・三次被害は一種のヘイトクライムだというのが私の見解です。二次被害・三次被害というのは性差別の問題であり、大きくいえば差別問題をどう考えるかが私の問題意識です。私はヘイトスピーチ規制にははっきりと反対ですし、ヘイトクライムの重罰化も賛成できません。
ただ、差別は深刻な問題であるとは思います。私がヘイト云々の法規制に賛成しないのは、それが軽微な人権侵害だからではけっしてありません。


  • >討議では解決不能だし、公権力の出動も現状制度として存在していない、その間に洩れて被害を受ける性犯罪の二次被害・三次被害者がいる、ということであれば、公権力に介入を求めるべく立法を訴えなければならないでしょう。そして、そこまですることはないということで僕も地下猫さんも立場は共通している。(そうでないなら言ってください。)


そうではありません。
「そこまですることはない」のではなく、ひとつには公権力が無能だから。これは以前のエントリで書きました。公権力そのものが差別意識まみれであり、差別問題をどうこうする能力もなければ正当性もないと考えます。
そしてひとつには、公権力の介入を抑えたいから。
もうひとつは、法の下の平等を損なうからです。

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ホールは、ヘイト・クライムを単発の犯罪としてではなく、個別の犯罪が関連を持って継続する<過程>として理解しようとする。ヘイト・クライムを過程として理解すれば、動態的に分析し、過程におけるすべての行為者の社会的関係に着目することになる。身体的暴力、威嚇、脅迫の継続が特徴である。繰り返される被害、あるいは系統的な被害。しかも、被害は犯罪の実行によって始まったり終わったりするのではない。ヘイト・クライムの被害は一つの犯罪とだけではなく、多くの犯罪と結びつくからである。特定個人だけが被害を受けるのではなく、事件の発生による恐怖はその瞬間を越えて広がる。


 ホールは、ボウリングのニューハム調査を紹介している。一九八七年から八八年にかけてニューハムでは二つの通りに住む七つの家族に対して五三件の嫌がらせが発生した。言葉による嫌がらせ、卵を投げる、器物損壊、ドアをノックするなど。一つひとつは小さな事件であり、犯行者もそれぞれ個別に行なっている。しかし、これらが累積することで被害者にとっては重大な恐怖となる。ヘイト・クライムの被害は、単発事件によっては理解できないので、過去にさかのぼって累積的に調査する必要があるが、刑事司法や犯罪統計にはこの観点が欠けている。


 ホールによると、過程としてのヘイト・クライムの被害や影響は、単発事件の被害や影響とは異なる。ヘレク、コーガン、ギリスによる一九九七年のヘイト・クライム調査によると、被害者にはひじょうに長期にわたるPTSDが確認され、落胆、不安、怒りにとらわれがちである。通常犯罪なら二年程度の影響が、ヘイト・クライムでは五年以上継続する。ヘレク、コーガン、ギリスは二〇〇二年にも調査を行なった。それによるとカムアウトした同性愛者は、公共の場で見知らぬ男性によって被害を受けることが多い。通常犯罪とヘイト・クライムとで例えば暴行の程度が同じであっても、被害者が受ける心身のダメージは異なる。そして、被害者個人だけではなく、同性愛者のコミュニティ全体に対しても影響を与える。ヘイト・クライムは、コミュニティの他の構成員に対して<メッセージ>を送るのである。犯行者の犯罪動機が伝えられることによって、憎悪の対象とされた集団全体に恐怖を呼び覚ます。ボストンにおけるヘイト・クライムと通常犯罪に関するマクデビットらの研究によっても、被害者の心理には差異が確認される。ヘイト・クライムの方が後遺症が大きく、回復に時間を要する。将来の恐怖の大きさも、被害の繰り返しのためにずっと大きい。クレイグ-ヘンダーソンとスローンの研究によると、人種差別はその人種に属しているために標的とされるが、その人種であることは外見でわかるので、いつ誰が被害を受けるかわからないという性質を有する。人種差別は、その人種を極端に否定的にステレオタイオプ化し、烙印を押す。このことは犯行者の動機に明白に表れている。すべての被害者が否定的ステレオタイプを押しつけられる。


http://www.maeda-akira.net/texts/hate_crime/keiji_05.html


性犯罪とヘイトクライムには明らかに共通点があります。「単発の犯罪としてではなく、個別の犯罪が関連を持って継続する<過程>として理解」するのであれば、レイプから二次被害・三次被害にいたるまでを、「個別の犯罪が関連を持って継続する<過程>」であると理解もできましょう。

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さて、ここで例えば、呼び鈴をおして逃げ出す「ピンポンダッシュ」という悪ガキのたわいもない悪戯を考えてみましょう。私が日に数度の「ピンポンダッシュ」攻撃を受けたからといって、別になんでもありません。しかし、性犯罪被害者、ヘイトクライム被害者、大々的に報道された犯罪者の家族などにとって、日に数度の「ピンポンダッシュ」攻撃は非常に厳しいでしょうね。被害者にとってはまさに「関連を持って継続する過程」であり、非常に深刻な加害となりえます。


差別がからむとピンポンダッシュも深刻な加害になってしまうとはいえ、しかし、やっていることはピンポンダッシュにすぎないのです。
それが深刻な加害になりえるからといって、ピンポンダッシュを法で罰するというのはどうなんでしょうか? 相手がたまたまある状況にいるという理由で、たわいもない悪戯が法で罰せられたり、あるいは罪が重くなってしまうというのはどうにもよろしくないのではないか? 尊属殺人規定は違憲になりました。悪戯の対象がどういう状況にあるかというのはそもそもわからないので、尊属殺人規定よりも予見性がないという点では始末にわるいのではないか?


差別問題においては、「異なった扱い」が要求されます。啓蒙や資源の再配分で「異なった扱い」をする分にはあまり問題がないでしょうけれど、法の名で罰するときにおいて「異なった扱い」が求められるというのはどうなんでしょうか?
法においては形式における平等が重要なのではないかと思うのですけれど。


  • >あくまで解決は故あって自律性を十分発揮できない当事者をサポートし不利にならないようにする方向で解決を模索すべきでしょう。


つまり、「故あって自律性を十分発揮できない」どころか、故あってなんでもないことでも加害になってしまう過敏性が問題となっているということなのです。


  • >三次被害に関しては、そもそも一次、二次の段階でその先に進まないようにすることが前提なのですが、どうしてもそこをかいくぐって三次被害にいってしまう可能性は残ってしまう。しかし、三次の段階まで来ると裁判所が当事者から外れてくるので、司法に訴えて事を解決する方法がいろいろ出てきます。勿論、そういう負担を被害者にさせることそれ自体が被害というのがありますから、そこでも公定代理人制度とか、ワンクッション置くことで弱った当事者の自律性をサポートする方向で解決を模索すべきでしょう。まずはアクセス段階での当たりを和らげ、そのうえで司法権力を使って被害状況にストップを掛けると。


ピンポンダッシュや無言電話、あるいは指を差すことをそれぞれ別の人がするのを、いちいち裁判所が禁じて警察がしょっぴくのですか? かえって被害があったことを宣伝しているようなものですね。


性犯罪やヘイトクライムのような、「個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害」は、深刻であり、かつ、法規制が弊害をもたらすものだと考えます。

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  • >拡張的他者危害の観念をどうこうすることであくまで独自の解決をするんだ、と言いたいのかもしれない。しかし、そうなのであれば僕の書き込みにいちいち目くじらを立てる必要はないんですがねえ。他者危害概念を拡張的に使いすぎと言ってるだけなのだから、そういうことなら「わざと拡張しようとしてるんだ、放っといてくれ」と言うだけでよい。勿論、世の法律家や法哲学者はそういう珍奇な用法には基礎概念の無理解のレッテルを貼っておしまいでしょうけれども、それはしょうがない。現に一般的用法を外れているのだし、その自覚もないのだから。


まず、私は他者危害の概念を拡張などしていません。公権力の介入を否定しているのだから、拡張しているとはいえないのです。むしろ、公権力の介入を縮減しているのです。

一般的用法も何も、私はそこに深刻な危害があると指摘しているだけなのです。
そこに深刻な危害があるのに、それを人権侵害と呼ぶのはおかしいとか、それを他者危害と呼ぶのは間違っているとか、ずっといわれています。
ならば教えていただきたい。
「個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害」「故あって被害者が過敏になっていて、特別の取り扱いを要する」ような深刻な被害、しかも社会意識が大きな役割をはたす被害を法学においてどのように位置づけて、どう名づけているのですか? 私がこれを何と呼べば法学的にご満足なのでしょうか?
また、ヘイトスピーチ規制・ヘイトクライム規制以外に、こうした被害に対するどのような規制の理論と技術を法学は持っているのですか?


上記の問いへの説得的なお答えがありましたら、もちろん「人権侵害」も「他者危害」もすぐにひっこめて勉強し、法学の枠組みを検討させてもらいます。