呪術教団化するホメオパシー


反社会カルトとしてのホメオパシー - 地下生活者の手遊びの直接のつづき。

特定病因論

特定病因論というコトバがありますにゃ。このコトバを説明している論文*1から引用いたしますにゃ。


医療思想史的にみれば、特定病因論はここ1世紀あまり前に支配的となった考え方で、19世紀末の細菌学の確立された後、近代医学が科学的装いを増していくために採用した病気原因の説明モデルである。それはどの病気にもその根本原因があるとし、疾患と病因とを一元的な因果関係で結び付けて解釈するものだ。この一元論的病因論を特定病因論(specific etiology;特異的病因説)という。


中略


特定病因論という、患者の一人一人を個性的総合的に見ずにその病気の共通部分だけに着目する分析科学的な方法を採用することで、近代医学は、病因の一元的な説明ができるようになり、この病因の説明モデルに合致した伝染病・感染症やビタミン欠乏症など多くの病気に有効な治療法を編み出してきた。


加藤和人研究室 大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学 – Biomedical Ethics and Public Policy, Graduate School of Medicine, Osaka University 大阪大学大学院医学系研究科発行 雑誌『医療・生命と倫理・社会』オンライン版 Vol.1 No.2


近代医学の夜明けを、19世紀末のコッホやパスツールによる病原菌発見にもとめるのはそうそう乱暴な見方でもにゃーでしょう*2。それまでは、伝染病の正体は謎であり、有効な対策をとることはできなかったわけですにゃ。例えば日本ではそれは「鬼」のしわざとされ、祈祷などの呪術で対抗していたわけですにゃ。このあたりのことは世界中でたいしてかわりがなかったでしょうにゃ。
病原菌の発見と、その対抗策である抗生物質、公衆衛生の考え方が人類の福音となりえたわけにゃんね。

近代以前の医学

では、近代以前の医学はどのような考え方をしていたのか?
先ほどの論文から引用しますにゃ。


19世紀末の細菌学説という一元的病因論の登場までは、こうした病原体に相当する接触性病原因子だけを追及するやり方ではなく、むしろ、公衆衛生学で重視するような患者の個体因子、環境因子ならびに接触性病原因子などの諸条件が複合的に作用しあった総合結果によるとみなす多元的病因論が中心だった。当時、ドイツの衛生学教授であったペッテンコーフェルは、後者の立場からコッホの細菌学説に反論するために純粋培養のコンマ菌[コレラ菌]の服用実験し、細菌だけでは「コレラ」は発病しないことをパフォーマンスしてみせた。


「患者の個体因子、環境因子ならびに接触性病原因子などの諸条件が複合的に作用しあった総合結果によるとみなす多元的病因論」というのは、基本的にはヒポクラテスの医学なんだよにゃ。漢方の理論もそうだし、現在でいう「ホリスティック医学」とか、世界中で見られる種々の民間療法、あるいはホメオパシーにも通じる病気への考え方であると思われますにゃ。
この特定病因論という考え方を人類がとりいれてから、まだたったの100年ちょっとしか経ってにゃーんだね。人類はその歴史のほとんどを、多元的病因論という病気に対する考え方をもってきたわけですにゃ*3


さて、ではこのような多元的病因論にもとづいて、西欧ではどのような医療が実際に行われていたのか?
瀉血だ、瀉血コーヒーブレイクの記述なんかもご参考にしてくださいにゃ。ヒポクラテス以来の伝統ある医療であり、古代メソポタミアや日本でも行われていたようにゃんね。1799年に死んだメリケン合衆国初代大統領ワシントンの死因も瀉血によるものだともいわれておりますにゃ。
リンク先によれば
「フランスの名医で聴診器の発明者であるラエンネック(1781〜1826)。
 オランダの名医で「オランダのヒポクラテス」と称されるブルッセ(1772〜1836)。」
瀉血療法をしていたということにゃんね。
つまり、19世紀初頭まで瀉血療法がなされていたということだにゃ。
しかも
消毒の観念がはっきりしていにゃーのに、バンバン切って血を出していたわけで、失血によるショック、栄養不良、傷口からの感染などを考慮すると、やらにゃーほうがはるかにマシな療法だったといえるのではにゃーだろうか?*4

ホメオパシーが生まれた時代

ホメオパシー創始者、サミュエル・ハーネマンが生まれたのが1755年だにゃ。
先ほど引用した、瀉血療法を積極的に行っていた「名医」よりも早い時代に生まれた医師にゃんね。つまり、瀉血療法がアタリマエであり、瀉血療法による死者がごろごろ出ていた時代、感染症などに医学がまだ無力であった時代、外科手術で開腹すると、ほとんどが腹膜炎で死んだ*5時代ですにゃ。
由井寅子氏代表の、日本ホメオパシー医学協会のサイトから引用しますにゃ。


ホメオパシーの歴史は1755〜1843年に生きたドイツ人医師であり科学者であるサミュエル・ハーネマンに始まる。


ハーネマンは際立った学者であり、並外れて決意の堅い人物だった。


1779年に医師としての資格を得てから、数年間診療を行ったが、序々に当時の有害で効果のない治療に幻滅していった。


主に瀉血、下剤、毒の投与を行っていた当時の正統派医学に対して、彼は遠慮なく批判をするようになった。
彼は僅かな金銭を得、多数の敵を得た。当時の医師や薬剤師に対する彼の攻撃から「激怒のハリケーン」というあだ名をもらっていた。


ホメオパシーの歴史


歴史的背景を考慮すると、このあたりの記述はおかしなものではにゃーと思われますにゃ。当時の主流の医療が無効どころか有害であると指摘した、先見性のある良心的な医師であると見なしてよいのではにゃーだろうか?
しかも、1831年に西欧でコレラが流行した際に、ハーネマン


「あらゆる感染原因」を破壊するために衣服やベッドを熱処理すべきこと、そして清潔さ、換気、部屋の殺菌、隔離を力説した。


細菌のパストゥールや殺菌のリスターに先立ち、これは著しい先見の明のある忠告である。


同サイトより


この記述もおかしなものではにゃーだろう。
少なくとも、患者に瀉血療法を試みたり下剤を飲ませるよりは、砂糖玉をなめさせたり希釈水を飲ませ、衛生を重視していたほうがはるかに「治療」効果が高かったということは十分にありえますにゃ。
18世紀終わりから19世紀初頭のヨーロッパにおいて、ホメオパシーはそれなりに効果のある最先端の医療思想であったという見方はそれほど不当なものではにゃーだろう。

予防接種という類感呪術

ジェンナーにより種痘が確立されたのが1796年ですにゃ。コッホやパスツールによって細菌学が確立される100年近く前にゃんね。「牛痘にかかったものは天然痘にならない」という民間での言い伝えに基づいた人体実験により確立したのが種痘ですにゃ。ヒデエといえばヒデエ経緯で確立していますにゃー。


さて、フレイザーの呪術の分類に「類感呪術」というものがありますにゃ。ウィキペディアによると

類似したもの同士は互いに影響しあうという発想(「類似の法則」)に則った呪術で、広くさまざまな文化圏で類感呪術の応用が見られる。


この「類似の法則」というのは確かに広く見られる考え方にゃんね。太鼓の音を雷と類似のものとみなし、太鼓を叩いて雨ごいするとかにゃ。ニンゲンが隠喩的に思考する生き物である以上、この考え方を払拭できるものではにゃー。


「牛痘にかかったものは天然痘にならない」という民間での言い伝えは、確かに経験的に得られたものであったとは思うけれど、類感呪術的な解釈を施されていたのではにゃーだろうか? なんせ、細菌だのウィルスだのという概念がにゃー時代だ。
動物磁気で有名なメスメルが1766年に提出した博士論文は「人体疾患に及ぼす惑星の影響について」という、医療占星術ニュートン力学がごっちゃになったようなシロモノだにゃ。そういう時代。


ジェンナーの種痘は、一面では確かに経験科学といえるかもしれにゃーが、一面では類感呪術であったのではにゃーかと考えますにゃ。呪術と科学はこの時代にはまだまだ明確に区別できるわけではにゃ*6

ホメオパシーは典型的な類感呪術

もちろん、この「類似の法則」を全面的におし出したのがホメオパシーですにゃ。


「似ているものが似ているものを治す」という概念は、初めてのものではなかった。


紀元前15年、医学の父として知られているヒポクラテスは、治療の手段には2種類あり、それは相反するものと同種のものであると記述している。


主流である西洋医学では理論として無視されているが、この原理は数多くの文化で、アメリカン・インディアン、マヤ語族、中国人、アジア人によって治療に利用されており、伝統的西洋医学においてさえ、癌の原因である放射能を、癌を処置し治療するために使い、この原理が浮び上がっているのである。


ホメオパシーの歴史


類似の法則は典型的な呪術思考であるため、西洋医学では無視されるのは当然だし、数多くの文化で採用されているのもまたアタリマエのことなのですにゃ。「癌の原因である放射能」なんてのは笑うところにゃんな*7

教団化するホメオパシー

ハーネマンやジェンナーの生きていた時代は、科学と呪術が明確に分離していたわけではなく、医療においても呪術的措置が公然と行われていましたにゃ。現代から見ればジェンナーの種痘は科学で、ハーネマンホメオパシーは呪術だけれど、これはあくまで現代の視点だからではにゃーのか?
ジェンナーの種痘を類感呪術と、ハーネマンホメオパシーを公衆衛生の考慮と捉えることだってできるように思えますにゃ。少なくとも、ホメオパシーと種痘は同じような発想に基づいた療法だったと考えられますにゃー。
ホメオパシーは種痘と同様に、呪術的側面と科学的側面があり、当時の医療を批判して一定の効果をあげていた、というところまでは認めてよいのではにゃーだろうか?


しかし、現代においてホメオパシーは科学的に否定されてしまいますにゃ。
すると何が起こるのか?


ホメオパシーの根本を理解することは、ハーネマンを理解することです。しかし残念ながら、彼が本当に伝えたかったことは正確に伝えられていません。その理由として、一つには、各国語の翻訳書に問題があったことがあり、二つには、ケントの教えを中心にすえたクラシカル派によってハーネマンの教えが歪められ、ないがしろにされて来たからです。しかし近年、世界的にハーネマンの復興運動とも、真のホメオパシー復興運動とも言うべき運動が起っています。その運動のなかで、本書はそのさきがけとも呼べる記念碑的な著作となりました。まさに本書こそ、真のホメオパシーとはどうあるべきか?また、ハーネマンの真意はどこにあったのか? それを知るために必読の文 献と言って差し支えないでしょう。


http://www.homoeopathy.gr.jp/cart/hp/index.php?m=prod_detail&out_html=detail_hp&syo_mas_num=PB054A&Example_Session=c943c2894f208cb1fac22c2962858c93


この書籍の監訳者、つまり引用したまえがきを書いたのは由井寅子氏。
「クラシカル派によってハーネマンの教えが歪められ」という記述に注目にゃんな。
「○○派によってダーウィンの教えが歪められ」「××派によってアインシュタインの教えが歪められ」などといった記述は自然科学の世界ではありえにゃー。ダーウィンにしろアインシュタインにしろ、偉大な科学者として尊敬されているけれど、尊敬されているのはその精神だにゃ。間違いをしない存在としてたてまつられているわけではにゃー。科学理論は間違いえるものなのだというのが前提なのだにゃ。
相対性理論の根本を理解するということは、アインシュタインを理解することです」という理屈にはならにゃーんだ。アインシュタインを理解しなくても相対性理論は理解できるものですにゃ。そうでなければそれは科学ではにゃー。


しかし
キリスト教の根本を理解するということは、ナザレのイエスを理解することです」
という言明に異をとなえるキリスト者はほとんどいにゃーだろう。
創始者は無謬、創始者に間違いはありえにゃー。それが宗教なのだにゃ。創始者の教えを正当に受けついでいることを示そうとするのは宗教ならではにゃんね*8


ここでハーネマンは、明らかに無謬の創始者とされていますにゃ。つまり、ホメオパシーハーネマンを創唱者とする宗教となってしまっている。創唱者ハーネマンの言霊を正しく伝え、そして創始者以上の貢献を「教団」に為したものとして現在の「教祖」を設定すれば教団の完成ですにゃ。


2008年9月…英国認定ホメオパス連合(ARH)の学術大会に招聘され、「医原病と発達障害におけるホメオパシーのアプローチ」について、発表を行う。発表後、「ホメオパシーに対し、このように傑出した貢献を遂げた人は、由井会長以外考えられません。将来、由井会長の達成に見合うような人がでるかどうか見守るだけです。」とのコメントとともにARHから特別表彰を受ける。


http://www.homeopathy.ac/pro.html


日蓮創始者としながら、日蓮よりも偉くて(?)個人崇拝の対象となっているI田D作がいろんな博士号とかとりまくっている某学会と同じ構図にゃんな。由井学長の発表も、I田会長の発表も、とにかく感銘を与えまくりだということになっているようだしにゃ。
まあ、あっちはまだいいのよ、宗教だと自他共に認めているわけで。


しかし、ホメオパシーの教団化、創始者の聖化、現在の指導者の個人崇拝化はまずすぎるにゃ。宗教というのは教義の「進歩」を認めにゃーからな。ハーネマンの生きていた時代より後の医学の進歩を全否定するという論理的帰結になるわけですにゃ。パスツールもコッホもダメダメで、特定病因論なんてトンデモということになるにゃ。ホメオパシーには科学の萌芽があったと思うのだけれど、現在ではその科学性を完全に失って、医療呪術をベースに教団化する一団すらあらわれてきたわけですにゃ。しかも、日本ではそれが主流ね。
そして、現代医学を瀉血療法と同様に有害なものとみなし、その「教義」を実践することになるのではにゃーだろうか。

*1:重要な論点をいろいろと含む論文なのでご覧あれ。遺伝子治療が特定病因論の正当なる嫡子であるという指摘には眼からウロコぼろぼろでした。

*2:19世紀半ばにゼンメルワイスやリスターによって「消毒、麻酔、止血」という外科手術の革新が起こるけれど、消毒の理論的裏付けはコッホやパスツールによってなされたといえる

*3:ちなみに、引用したペッテンコーフェルのパフォーマンスだが、これはいわゆる「藁人形論法」かと思われる。個体因子や環境因子を無視する医師はいないわけで、特定病因論とはある病気を構成する決定的なピースが特定されているという考えなのだろう。例えば、どんなにコレラと同様の症状があるからといって、コレラ菌に感染していなくてはコレラとはいえない、ということ。いい方を換えると、客観的な実体をもったものとして病気を捉えるのが特定病因論といえるだろう。

*4:他にも、下剤をつかって悪い体液を排出するという療法も西欧では広く行われていたみたい。体内のバランスを「毒素」の排出によって行うというこの考え方の現代版がデトックスといえるだろう

*5:外科手術で患者が死ぬと、医者がリンチにあってぶち殺されまくりの時代でもある。現代日本もそうかもしれんけど

*6:呪術と科学が完全にわかれたのは、科学への統計の導入であったと考える。詳しくは http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090113/1231823737

*7:ついでにいっておくと、もとの分子がなくなるほど希釈した水に治療効果がある、というのは、フレイザーによると「感染呪術」ということになる。ホメオパシーは、類感呪術感染呪術というふたつの呪術類型を複合させた呪術複合体といえよう。よくできとるわ、これ

*8:この意味ではマルクス主義って確かに宗教といわれても仕方ないかも