【胎児の権利】を錦の御旗に、人を殺してまで守るもの


重い話題にかかわらず反応がある、しかも好意的な反応がそこそこあって少し驚いていますにゃ。


以上の被言及記事を読んでいろいろと思うところはあったので、何らかの応答をしたいとは思いますにゃ。
というわけで、上記の論考に対して具体的な引用をして論じるという形はとら【ない】で、書きますにゃ。

人命より性道徳が大切?

今現在、エイズが猛威を振るっているアフリカ諸国で信者を増やしているのがカトリックですにゃ。エイズを蔓延させる原因となったものに、例えば南アフリカ政府高官の疑似科学的信念があることは以前にもふれているけれど、カトリックの無責任発言もあるんだよにゃ。


法王の「コンドーム発言」に「人命軽視」批判
 ローマ法王ベネディクト16世がアフリカ歴訪の途上、エイズウイルス(HIV)感染予防につながるコンドーム使用に反対の立場を明確にしたことに対し、世界保健機関(WHO)や各国政府、一部カトリック教会から「非科学的」「人命軽視」との批判が相次ぎ、法王庁バチカン)は19日までに釈明に追われた。
 法王はナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人大量虐殺)の存在を否定する発言をした司教らの破門を解除したことについて「間違い」だったと、異例の謝罪をしたばかり。
 法王は17日、ローマからカメルーンに向かう機中で「コンドームを配ることではエイズ問題は克服できない」と語った。コンドームが不特定多数との性交渉を助長するとの理由などから使用に反対した発言だった。(共同)


http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090319/erp0903191743004-n1.htm


法王が率先してこれですよ。もともとコンドームなしで「不特定多数との性交渉」をしているからエイズが広まっているわけで、感染予防につながり人命をたすけうるコンドームを何の根拠もなくDISる馬鹿発言にゃんな。
まあ、地元のカトリック教会では、エイズウィルスはコンドームをすり抜けるとかいう疑似科学全開の捏造与太話すらあるらしいにゃー。ホロコースト関連の話題でもげんなりさせられたし、今の法王になってから聞こえてくる話からすると「やっぱカトリックは敵か?」などと思わなくもにゃーくらいですにゃ。


ガンという病気は人類を滅ぼすことのできる病気ではにゃーです。ガキを育て終えるころからよくかかる病気だからですにゃ。しかし、性行為によって罹患しそのままガキにうつるエイズは、民族・国家ことによると人類を滅ぼしかねにゃー病気ですにゃ。正直、今後のアフリカがどうなるか背筋にはしるものがありますにゃ。
この病気の蔓延をまえにして、根拠の定かでないコンドームDISなんてマネは、「人類に対する犯罪」といってもおおげさではにゃーと僕は思う。


エイズを少しでも何とかしたい、苦しむ人々を減らしたいという献身的な努力・友愛にツバをはくローマ法王の犯罪的発言からは、

  • 人命よりも性道徳のほうが大事

という本音があからさまに見えるではにゃーか。
もちろんカトリックだけの問題ではにゃーですね。現代社会で避妊を忌避するような教えを説くヒトタチというのは、基本的に「個々人の幸福より性道徳のほうが大事」というヒトタチですからにゃ。個々人の幸福、特に♀やガキのことなんて考えてにゃーんだよ*1

性道徳のダブスタ

筒井康隆のエッセイで、せくーすの時に気を抜いていたほうが妊娠するんだったら面白いというネタがありましたにゃ。「この大事な時期にチミは妊娠かね、たるんどる!」
こうだったら、性道徳のダブスタなんてなかったでしょうにゃ。もっと別の抑圧的な何かがあったかもしれにゃーけど。
そういえば、諸星大二郎にも♂が妊娠する社会の短編があったし、ル・グゥインにも「闇の左手」という構築物がありましたにゃー。


くーすして妊娠するのは♀だけなので、そういえば膜も♀だけにあって、♀がせくーすしたことない/ある/している、というのはわかってしまうもののようですにゃ。チンコをひっくり返してみても、♂の性体験の有無なんてわかんにゃーけどな。♀の性体験だけが可視化されるわけですにゃ。性道徳というものは♀を狙い撃ちにならざるをえにゃーんだよね。まあ、家父長制においては♀の性を管理しなければならにゃーものだけれど*2


どういう社会においても、ガキを作って育てることにおいて、♂にもある程度の責任を負わせるようなつくりにはなっているけれど、それでも♂と♀に平等な責任を負わせることは原理的に不可能といっていいでしょうにゃ。結局♂はやり逃げ可能。
我が祖国ニッポンは先進国中、母子家庭の貧困率が圧倒的に高く、♂のやり逃げ・ガキ作り逃げを政治的・社会的に何のフォローもせず、ガキと♀につけをまわす恥知らず社会ですにゃ。ガキをかかえた♀は、ガキをかかえているがゆえに稼げる仕事につけず、ちょっとした楽しみも経済的にまたガキの世話の関係でとることができにゃーという、社会的・経済的な排除をうけますにゃ。


実にヒデエ話だけれど、安心したまえ>みにゃさま
僕たちには性道徳がありますにゃ。性道徳があれば、このような事態は正当なことだとわかるのだにゃ。
気軽にせくーすした♀の自己責任なんだよ!
ケコーンするとき一生♂についていく決意をしたはずだから、離婚するのも♀が悪い!
ほらこれで解決。♀の労苦は性道徳に反した罪だからアタリマエのことなのだにゃ。
ガキについては、母の因果だからあきらめろ。恨むなら母親を恨むのだああああ。
夫との死別は見なかったことにしよっと。
これが性道徳の使い方ですにゃ。性の管理に従わにゃー♀になんでもひっかぶせろ!


こうした性道徳の使用法は日本社会でも見られるものですにゃ。剥奪の結果としての子殺し - 地下生活者の手遊びを参照のこと。


もちろん、♀にとってせくーすはリスクのある行為なので、それなりのリスク管理が必要なのは間違いにゃーところだ。しかしそれが道徳である必要などにゃーだろ。
フリーセックスを主張するつもりはにゃーのだ。セイフ・セックスを道徳的に非難するなとは主張するけどにゃ。
リスク回避のための教育をないがしろにしておいて道徳ばかりをわめき立てれば、リスク回避に失敗した者に対して「自己責任」という名の道徳的非難が浴びせられることになりますにゃ。

性道徳と胎児の権利

「(1940年ごろに40個の胎児標本を作った)ボストンの医師たちは,自分たちのしていることを非倫理的だとは全く思っていなかったくらい,この標本が作られる以前,胎児はほとんど誰からも顧みられることのない存在だった。」と前回エントリで引用しましたにゃ。どうやら胎児の権利などというものはごくごく最近までまるで顧みられることのないものだったようですにゃ。
胎児の権利などといわれはじめた理由は、

  • 1)生物学的な知見がえられたため
  • 2)女性の自己決定権に対抗するため

の2点なのではにゃーかと考えますにゃ。


1)はよいとして、(2)について
性道徳が本質的に性差別的だということなんて、僕が指摘するまでもなく誰でも気づくことですにゃ。だから、性道徳そのものが性差別イデオロギーだという指摘に対する有効な反論というのはなかなかにムツカシイ。♀の自己決定権に対する有効な反論というものも実に厄介ですよにゃ。
だから、胎児の権利、が♀の性的自己決定権に対抗するために要請されたわけですにゃ。権利というものは往々にして対抗的に形成されるものなのですにゃ。
つまり

  • 胎児の権利の正体は性差別的な性道徳

中絶医を殺すメリケンの馬鹿クリなんかも、口では「生命尊重」といいつつ実は性道徳至上主義の典型にゃんな。生命尊重なんて口だけで、自分の性道徳で他人をがんじがらめにして♀を罰したいだけ。


性道徳のダブスタがヒトを殺す例を以下に引用しておきますにゃ。


長きにわたって、南アフリカは非常に保守的な地域だった。カルビン主義のアフリカーナ[英国系でない白人]たちは、肌を露出させる衣服や酒の飲みすぎや大衆文化のセックスの描写に深刻に眉をひそめる。英国政府と英国国教会は、夫婦間以外のいかなるセックスも禁じる。そした大多数派である黒人たちと、彼らが信仰するプロテスタント諸派南アフリカで生まれた教会は、伝統的なキリスト教を支持している。


中略


男たちも、女たちも、長い付き合いがあるにせよ、金や食料や保護のためのゆきずりにせよ、複数のセックスパートナーを持っている。

女たちが、男たちがHIV検査もコンドームを使うことも拒否したと私に語ったとき、私は「それが彼を死なせ、あなたをも殺すと意味しているとしても」という簡単な質問を必ずした。彼女たちの答えは、シンプルに「イエス」だった。


中略


それでも、男たちは複数のセックスパートナーを求めている。女たちはHIV検査を受けていない男たちとコンドームを使わずにセックスすることを認めている。男たちは、自分自身の子供たちに、苦しみに満ちた短い人生と死を強要し続けている。


人々が他人のことを冷淡に無視できるのは目新しいことではない。男たちが自分自身の妻子に無慈悲なことができるのは目新しいことではない。わからないのはそのスケールだと思う。繰り返しHIVサイコロを振って、いつもOKが出ることを望む人々が、あまりにも多くいる。


だからこそ、汚名を取り除かなければならないと私は言われた。ある男がコンドームをつけようと言えば、ただちにその男はHIV感染を疑われ、セックスパートナーとして不適だとみなされてしまう。セックスパートナーにコンドームをつけることを求める女性は、不義を責めているか、不義を容認していると見られる。女性たちはそのどちらも選びたくない。なので、何百万もの人々が、惨憺たる結末が予測できることを、続けている。



原文 Ray Suarez: "Reporter's Notebook: Cultural Taboos Around Sex Feed AIDS Epidemic" (2009/02/23) on PBS
翻訳 南アフリカのセックスとHIV/AIDS: 忘却からの帰還

利用される胎児

【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊びで、胎児の権利というのは先に生まれたガキの権利と敵対しうると述べましたにゃ。
ここここで述べたとおり、♀は資源をガキのためにつかう傾向がつよいわけで、先に生まれたガキのための資源を確保するために中絶するという考え方もありうるわけですにゃ。
先進国においては子育て費用が高騰しており、かけられる教育がその子の一生を左右するという事実がありますにゃ。途上国においては、それこそ必要カロリーを満たせるかどうかという選択をしなければならにゃーこともあるだろ。どこにおいても資源は有限にゃんね。
さて
もし胎児の権利という考えをもって中絶を否定した場合、どうなるのか?


老子でもにゃー僕たちは、お腹の中に十月十日しかいられにゃーわけだ。外にでてくると胎児ではなくなりますよにゃ、アタリマエ。
で、いったん外の世界にでてくると、今度は自分の母親が次に妊娠した場合に、自分のために振り分けられるべき資源が奪われるということになりますよにゃ。ガキにとって、自分の母親の妊娠は常に潜在的な脅威となってしまうわけだにゃ。
つまり、こういうことになる

  • 【胎児の権利】とは、胎児自身の将来にとって敵対的なものとなりうる

胎児の権利は胎児自身のためにならにゃーかもしれにゃーわけだ。胎児の権利というレトリックは、特定の性道徳を押しつけるために胎児を利用したものにすぎにゃーのか?
にゃんてこったあああ(松田優作風に


しかし、これは当然のことではにゃーだろうか?
胎児の権利とは、誰かが代弁するしかにゃーものだ。
♀の自己決定権に対抗するために作りだされた*3権利が、そもそも代弁という形でしか成りたちえにゃーのだから、しかもそれは性道徳の仮面として選択されたものだったのだから。

中絶を減らすには?

♀の社会的・経済的地位があがると、出生数は少なくなりますにゃ。これは、♀が性的な自己決定権を獲得するからにゃんね。
同時に、中絶数も減りますにゃ。性的な自己決定・リスク管理ができれば、道徳感情は別にしても、中絶するよりも避妊するほうがリスクもコストも劇的に低いから当然のことでしょうにゃ。
つまり
中絶を減らしたいのなら、♀の自己決定権を認め、その社会的・経済的地位の上昇に努めればいいのだにゃ。夫婦間レイプなんかも当然ながら法制化するべきだし、ピルなどの現代的な避妊法ももっと利用しやすくするべきだにゃ。それでほっといても中絶は減りますにゃ。
中絶したがる♀なんていにゃーのだから*4、せくーすの結果を直接的にかぶらざるをえにゃー♀のやりたいようにできれば中絶は減るという、あまりにも自明な理路ですにゃ。しかし、コンドームと責任をとることの嫌いな(少なくとも逃げうる)♂のやりたいようにやってしまうと中絶が減ることはにゃーだろうね。



♀の社会的・経済的地位向上と、安全で効果的な避妊法を♀に開放することは、コインの裏表のように一体のものだと思いますにゃ。こういう条件の下では、♀は基本的に避妊で生殖をコントロールするので意に沿わぬ妊娠が減り、万が一の場合に中絶を検討することになるでしょうにゃ。その場合でも、安全な初期中絶薬が開放されていれば、コストもリスクもたいしてかからにゃーだろう。産婦人科医にかかる種々の負担も激減するだろうにゃ。


昔より今の方が、途上国より先進国のほうが中絶が少ないのはこういう理路でしょうにゃ。別に僕たちがご先祖様や途上国のヒトタチより道徳的に立派だからというわけではにゃーだろ。道徳とは関係のにゃーところで中絶は確実に減らすことができるのだと思いますにゃ。
だから道徳も宗教も不要だ、ということにはならにゃーけどな。

まとめ

  • ローマ法王の発言や中絶医を殺すメリケンの馬鹿クリの行動からは、生命尊重はただのタテマエで、本音は生命よりも性道徳を重視していることがわかる
  • ニセ科学だけでなく、性道徳もまたヒトを、特にガキを殺している
  • 胎児の権利の正体は性道徳、さらに性道徳の正体は♀の性を管理すること
  • 胎児の権利は、胎児自身の将来に潜在的に敵対する
  • 一般的には、♀の性的自己決定権の十全な保護により中絶は減り、ガキも保護しうる


要は、中絶が仮に悪だとしても、中絶を認めにゃーことはさらに大きな悪だということであり、ガキの(胎児の)命が大切だというのなら♀に自己決定権を十全に認めろということだにゃ。
ただし、前回エントリにも書いたとおり、一定週齢以上の限定的な【胎児の権利】を認めますにゃ。でっちあげによって権利が拡大していくっては悪くにゃー。確かに生命は大切だからにゃ、もんのすごく譲歩しましたにゃ。

*1:カトリックを初めとしてオギノ式避妊法なら認めているという声もあるけど、オギノ式の提唱者である荻野久作博士は「俺の提唱したのは効率的な受胎の方法であって避妊法じゃねーんだよ。避妊法としては確率悪杉。めーわくだから避妊法って言うな」というようなことを言っていたとか

*2:なぜ♀の性を管理しなければならにゃーかについては、売春が悪とされてきた本当の理由と非モテ童貞の真の敵 - 地下生活者の手遊びで述べました

*3:他の権利に対抗するために、新しい権利が作り出されること自体に文句はないけど

*4:リストカットを繰り返すヒトのように中絶を繰り返すということはあるようだけど