ニセ科学でヒトは死ぬ


circledの日記
http://d.hatena.ne.jp/kuro05/20090219/1235006672
2009-02-18(←追加分)
こういう虫の鳴き声レベルの戯れ言は定期的に聞こえてきますにゃ。どうしようもにゃーね。


馬鹿にもなるべくわかりやすく啓蒙してあげると

となりますにゃ。

ニセ科学にガキが殺される

ニセ科学が医療に絡むと実に悪質かつわかりやすいことになるにゃ。
例えばこれだ。この事例ではメリケンの信仰治療なる典型的代替医療が問題ですにゃ。


Kara Neumann(11歳)は、あまりに弱っていて、歩くことも話すこともできなかった。彼女の両親は、神のみが病を癒せるのだと信じており、神に娘の回復を祈ったが、医者には連れて行かなかった。


カリフォルニア州から来た叔母が、ここの保安本部を呼び、病気の子供の救出を狂わんばかりに訴えた。救急車がWausau郊外のNeumannの家に来て、Karaを急いで病院に運んだ。病院に到着したとき、Karaは既に死亡していた。


郡検死官は、Karaが、診断および治療を受けなかった若年型糖尿病による糖尿病性ケトアシドーシスで死亡したと判断した。この状況は、体内でインシュリンを合成できなかったときに起き、重い脱水症状と、筋肉・肺・心臓機能の障害をもたらす。


中略


昨年には、信仰療法に対する信仰への冒涜という理由で子供たちの治療を望まなかったことにより、オレゴン州在住の二組の両親たちが刑事訴追された。一組目の両親は昨年3月に肺炎で死亡した生後15か月の娘について、殺人容疑で訴追された。もう一組の両親は、ひどく痛み、かつ容易に治療できた尿路感染症の合併症で16歳の息子を死なせて、過失致死で訴追された。


「多くの種類の児童虐待が、頑固な信仰に動機づけられている」とRita Swanは言う。彼女は元クリスチャンサイエンスの信者であり、生後16か月の息子Matthewを、髄膜炎の治療に病院に連れていくのを先延ばしにして死なせている。「我々は厳しい方法で学んだ」


宗教教義としてのQuackery: 忘却からの帰還

ニセ科学と権力

ニセ科学そのものは愚かな信念の一種であるとして、もちろん自由主義社会には愚行権があり、僕らは他者に危害を加えない限りは馬鹿でいる自由がありますにゃ。
だから、
ニセ科学信奉者 と ニセ科学批判者 を「どっちもどっち」と見なすという理路は、そこだけ見ればわからなくもにゃー。
だけど、犯罪的にものが見えてにゃーものいいであることも確かだにゃ。


親権というのは幼いガキにとって絶対権力といっていいでしょうにゃ。ガキは親の言うことを聞かざるをえにゃー。
で、
ガキにとって不幸なことに、自分の親がわけのわかんにゃーニセ科学代替医療にはまっていたらどうなるのか? さきほどリンクした子どものように、死ななくてもよいのに死ななければならにゃーことになるかもしれにゃー。


つまり、ニセ科学と権力の結びつきは最悪の取り合わせといっていいでしょうにゃ。
こういう例もありますにゃー。


人口4300万の南アフリカでは、1日に1000人近くがAIDSで死亡し、1400人近くが新たにHIVに感染している[AP]。


南アフリカの不幸は、アパルトヘイト撤廃の頃にHIV/AIDSの流行が拡大したこと。撤廃と和解という課題をかかえた最後の白人政権de Klerk大統領[1989-1994]と最初の黒人政権Nelson Mandela大統領[1994-1999]はAIDS対策に気が回らず、妊娠女性のHIV感染率は25%を上回ってしまった。


さらに、不幸だったことは、現政権Thabo Mbeki大統領[1999-] が、HIVはAIDSの原因ではないというAIDS再評価運動な考えを信じていること。そしてMbeki大統領は政権発足時に、ガーリックやレモンで AIDSが防げるのだと主張するDr Manto Tshabalala-Msimangを厚生相に任命したこと。


そのためAIDS対策は遅滞し、その結果が、国民のHIV感染率は10%を超え、妊娠女性の感染率30%になるという事態だった。


2007 年初にTshabalala-Msimangを厚生相が肝臓障害で入院したことで、Madlala-Routledge副厚生相がAIDS対策の指揮をとるようになって、やっとAIDS対策がまともに進むかと思われたが、6月にTshabalala-Msimangを厚生相が復帰。そして、8月には Mbeki大統領が適当な口実をつけてMadlala-Routledge副厚生相を解任した。


HIVはAIDSの原因ではないという南アフリカ大統領は一歩も引かない: 忘却からの帰還


南アフリカHIV否定論というニセ科学を権力が信奉することで、結果的に万単位でヒトが死ぬことになるでしょうにゃ。他にも、ルイセンコ学説というニセ科学ソ連が採用したために飢饉が起こり、だいぶヒトが死んだという話もありますにゃー。


というわけで

  • ニンゲンはなるべく死なないほうがいい、とか、なるべく健康なほうがいい、とかなるべく効率的な資源配分をしたほうがいい、という価値を前提とするのなら(重要な仮定)、疑似科学信奉者と疑似科学批判者を「どっちもどっち」とシニカルに扱うことはできない

となりますにゃー。まあ、アタリマエのことですよにゃー。

事実と価値とニセ科学

科学を語る者、ニセ科学を批判する者は、たいていは(無論、馬鹿は必ずいるだろうけど)事実と価値の形式的な切り分けをしていますにゃ*1
ところが、いわゆるニセ科学ってのは、事実と価値がぐちゃぐちゃに一体化しちゃっているものなのですにゃ。よいコトバ、という価値と、氷の結晶という事実を結びつける「水からの伝言」ってのは、その意味でもニセ科学の典型といっていいでしょうにゃ。


いってしまえば、ニセ科学というのは、自分たちの価値観を押しつけるために科学を方便として持ち出しているものだといえるのではにゃーだろうか。単なる価値観の表明であれば、そこで科学を装う必要なんてにゃーからね。そして、ニセ科学信奉においては価値観の押しつけが隠れた目的であるとしたら、結果としてヒトが不幸になろうが死のうがどうでもいいっていうのが当然の帰結でしょうにゃ。
ニセ科学というのは不当に権力を獲得すること(そして往々にして不当にカネを儲けること)がその目的になっていると考えますにゃ。自然科学が自由民主主義政体における権力の正統性のひとつだと捉えれば*2ニセ科学は不当に権力を持とうとする試みだということになるのですにゃー。


ニセ科学って、科学と宗教あるいは呪術のダメなところをツギハギしたグロテスクな劣化奇形キメラのようなものに思えますにゃ。
科学をまっとうに批判的吟味しようとする者にとっても、宗教をまっとうに批判的検討しようとする者にとっても、非常に気色ワリイものになっているのではにゃーだろうか。しかも3流オカルトだしにゃ。
全方位でダメダメなので逆にいくらでも逃げ場所があり、かえって効果的な批判が困難というわけで、実に厄介にゃんねえ・・・

最後に

僕は別に科学が正しいとか絶対だとかいうつもりはさらさらにゃー。過去にそんな発言もしてにゃー。
ただ、
何が正しいかを言うことはできなくても、何が間違っているかははっきりと言えますにゃ。それを言えなくてはガクモンとはいえにゃーだろ。間違いは間違いなのだにゃ。歴史学においても自然科学においてもね。
そして、間違いや嘘をベースにカネ儲けしたり自分たちの価値観を押しつけたりしたがる連中がいて、そいつらが批判されるのは当然なのですにゃ。もちろん、どんなに批判しても、馬鹿もウソツキも人殺しもいなくはならにゃーよ。
そして、ウソツキや人殺しが次々に涌いてくるという事実から、ウソツキや人殺しと、その批判者を「どっちもどっち」といい出す輩というのも、やはり尽きずに涌いてくるものですにゃ。こいつらは、メタレベルで上に立ったつもりで、その実ウソツキや人殺しのエサ以上のものではにゃーのだ。

*1:事実と価値のきっちりした分断なんてできんだろ、というパトナムらのネオ・プラグマティズムは説得力があると思うけど、まあここではそういうレベルの話をしているわけではにゃーので

*2:http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081126/1227653451 を参照