死刑制度とフリーライド
先日のエントリの追記において再追記でブクマコメに応答すると予告していたけど、思っていたより多くのコメント欄コメント・ブクマコメ・トラバがついたので、独立したエントリで応答しますにゃ。個別の応答はパスね。
死刑願望による他殺の存在はガチだろ
まず、死刑願望に基づく犯行について、毎日新聞と朝日新聞の記事の全文引用が載っているブログから記事を引用
2月に東京都新宿区にある神社のトイレでタクシー運転手の頭を金づちで殴ったとして殺人未遂容疑で逮捕された無職の男(31)も、昨年9月に広島・平和記念公園で男性を刺殺したとされる無職男(63)も「死刑になりたい」と動機を語ったとされる。いずれも容疑者たちは「死にたいが死にきれなかった」などとも供述したという。特定の人に殺意を抱いたわけではなく、死刑制度を使って間接的に自殺を図ったというわけだ。
ふむふむ、今年だけで死刑願望に基づく殺人は3件ね。確か、2007年には殺人事件件数は戦後最低の1199件だそうだから、1%にも満たにゃーとはいえる。
米国では、以前から死刑願望者による事件が起きている。「死刑の大国アメリカ」(亜紀書房)の著書がある宮本倫好・文教大学名誉教授(米国近代社会論)によると、州ごとに死刑制度の有無が異なる米国では、わざわざ死刑制度のある州で、無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するという。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/3d4b26f1194c00d36d07da63d614e544
「死刑願望」でぐぐってみたところ、「本当に死刑になりたいのなら、その前に自殺しているはず」とかいう底の浅い論調をいくつかみたけれど、死にたくても自分では死ねない、なんてのはアタリマエにありえることだろにゃ。
こういう想像力のまるで足りにゃーことを言う連中は、軍の関与はなかった? よろしい、ならば洗脳カルトだね - 地下生活者の手遊びの金城証言でも読め。
死ぬ手法を見せてくれた区長さんは、妻子を殺したあと自分の首を木の枝にヒモをかけて死のうとしたが、どうしても死ねないとウロウロしていたことを強烈に覚えている。
死を決意して自分の妻子を木の棒で叩き殺した者すら、なかなか自殺はできにゃーのだよ。
死ぬまで3食昼寝つき
ではブクマコメに応答していきますにゃ。
- 終身刑だって、死ぬまで3食昼寝つきだからそれを求めて殺しをするんじゃね?
というコメントがありましたにゃ。
ふむ。
こうしたコメントをしたヒトタチに聞きたいにゃんね。
「自死を決意した者と、あくまで自分は死ぬ気のない者とどちらが危険だと思う?」
資料として
を挙げておきますにゃ。紹介したこの研究において、殺人を起こすのは「希望なきもの」であることであることは統計的にほぼ立証されていると見てよいと考えますにゃ。
戦後の日本が数十年にわたって一貫して殺人事件の発生率を減少させてきたのは、
- この社会の一員となって生きていたいと思わせるような社会であった
- この社会の一員となって生きていくという具体的な見込みがあった
逆に言えば、これらの希望が失われれば他殺・自殺の可能性は高まるわけだにゃ。
人間としてみなされていない人は、他の人も人間としてみなさない。凶行の背景には、凍えるほどの孤独が生み出す負のスパイラルがある。
自分がニンゲンとして見なされていると思っていたらなかなか自殺はしにゃーんでにゃーのか? 僕はいろいろと楽しくてしかたにゃーので死のうと思ったことがにゃーからよくわかんにゃーけどな。
自殺と破滅型の他殺は心理的には同じことなんでにゃーの?
しかも、ここ10年ほど連続して自殺者は3万人以上なんだろ? 死にたくても死ねないニンゲンは少なくともその数倍。自分がニンゲン扱いされていると考えてにゃーから他人の痛みにも無関心で、そのうえ死刑なんて何の脅しにもならにゃーどころか死刑制度こそが犯罪を促進しかねにゃー連中が10万人単位でいるわけですよ。
これでも死刑願望による犯行は無視すべき稀なただの特異例でありノイズにすぎず、終身刑でも3食昼寝つきを求める輩がいるだろうから危険度は同じで、死刑は抑止効果以外にも更生の余地のない基地外を始末するのに役立ち、前回のエントリは猫をかぶった権力の犬*1のポジショントークなのかい?
フリーライドと死刑制度
僕がいいたいのは、死刑制度にはフリーライド(ただ乗り)の余地があり、将来にまるで希望のにゃー者にとってはそのコストがゼロであり、社会がニンゲンをニンゲン扱いしにゃーほど人命というコストは低くなるということですにゃ。そしてこのフリーライドは、不可避的に人命を生贄にするものにゃんね。
先ほども述べたとおり
- この社会の一員となって生きていたいと思わせるような社会であること
- この社会の一員となって生きていくという具体的な見込みがあること
この2点を実現する社会、具体的にいえば望むものには高等教育が保証され格差が少なく民主的なコミュニティが機能している社会であれば、自殺も他殺も激減するわけだにゃ。犯罪を減らしたければこれが王道。理路もしっかりしているし統計的にも明らかだにゃ。
しかし王道にはカネがかかるという声が聞こえてくるようですにゃ。
然り、カネがかかる。
カネがかかってアタリマエだろ?
犯罪のない安心して暮らせる社会というのは、まっとうな者なら誰でも望む社会であり、古今東西その実現は為政者の目標とされていますにゃ。こういう社会を実現するためにカネをかけずに、いったい何にカネをかけるんだ?
死刑で凶悪犯罪が減り、厳罰化で犯罪が減るとしましょうにゃ。
にゃんとカネのかからにゃー犯罪対策であることか!
格差にも社会の不公正にも目をつぶってほっかむりして、ことをおこせばすべて個人の責任であり、すぐに吊るしてしまうことで犯罪が減るならば、これぞ金持ち様にとってのパライソ! 自己責任だから厳罰なんですよ。
裏社会のニンゲンでもにゃーかぎり、犯罪発生率の少ない社会は誰にとっても望ましいものであることは論をまたにゃー。富んでいるものほど、その恩恵を受けていると一般的にはいえるでしょうにゃ。
厳罰化で犯罪が減るのなら、金持ち様あるいは中産階級はコストを負担することなく犯罪の少ない社会の恩恵を手にすることができるわけですにゃ。
おお、これはフリーライドだ!
犯罪抑止のコストは低所得者層に負担させることができるぞおおおおお!
それに、厳罰化によって被害者・遺族の報復感情を満足させれば、その生活補償にカネもかからにゃーわけだ。現行の犯罪被害給付制度では、殺されても1500万ちょっとしかでにゃーからな*2。
犯罪被害者や遺族には、長期にわたる心理的経済的その他のさまざまなケアが必要であり、それにはもちろんカネがかかるにゃ。被害者や遺族が報道においてとりあげられるとき、報復感情にしかスポットがあてられていにゃーようなのは、実に意図的なものを感じておりますにゃ。報復より生活だという被害者・遺族もいくらでもいるだろうに。
と僕は考える。
つまり、死刑制度に代表される厳罰化要求の裏には犯罪抑止ならびに犯罪被害の補償にカネをださずにフリーライドしたいという欲求があり、そこにさらにつけ込んでフリーライドしにくるのが死刑願望の犯罪者なのではにゃーのか?
言い換えるにゃ。
犯罪を抑止するための王道ははっきりしているのに、そのカネを出すのを惜しみ、厳罰化などという効果の実証されてない方法*3を用いて利益だけをむさぼろうとした必然的な帰結として、死刑願望の犯罪という奇形的で醜悪なことが行われるのではにゃーのか? ノイズでも例外でもにゃーだろ。
嫌なら出てけ
格差の少ない社会では、貧しいものだけでなく金持ち様も健康状態が改善されるという研究結果もあるんだよにゃ。
参考:fromdusktildawnが正しすぎて屁が出る - 地下生活者の手遊び
参考:医学書院/週刊医学界新聞 【〔対談〕「社会疫学」とは何か(Ichiro Kawachi,近藤克則)】 (第2566号 2004年1月5日)
というわけで、応分の負担をするのが嫌な金持ち様は、日本から出てってもらって構わにゃーと思う。税率の低く犯罪率の高い社会で、高いコストかけて安全を買い、ストレスをためて早死にしてくださいにゃ。自己責任でよろしく。
ほそく
言いたいことはだいたい言ったけど、補足をしておきますにゃ。
まず、死刑制度に反対する最大の論拠は、一般的にいえば冤罪可能性だろうにゃ。
死刑判決がでた後に冤罪だと認められた例が何件かあるのは、死刑大好きクンたちももちろん知っているよにゃ? ニンゲンがすることには必ず間違いがあり、よって原理的に冤罪が避けられにゃー以上、冤罪での死刑の可能性は死刑制度の必然的なコストとなる理路は誰も否定できにゃーよね?
つまり、
死刑制度を支持するということは、自分が冤罪で死刑にされる可能性を受容することが前提となりますにゃ。死刑制度大好きクンって、すんごく勇気あるんだね・
といいたいところだけど
その実、冤罪死刑囚って知恵遅れとか被差別部落出身とかいう社会的弱者が多いようだにゃ。コストは弱者に負担させればいいんだよね?
僕自身の考えは、自分の手を汚せ - 地下生活者の手遊びで表明したとおり、死刑反対派ってことに形式上はなるかにゃ。生き死にや復讐を国家に委ねるつもりはにゃーです。
血は血でしか償えない、っていうテーゼは信仰に属することだと思うけど、だからこそ支持しますにゃ。
ただし
それは自分の手を汚す覚悟のある者だけが言えるセリフであるとも考えますにゃ。