ジンケンの自明性には簡単に賛同しない
「自明」にも「自然」にも賛同できにゃー。と本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去のブクマコメに書きましたにゃ。その理由を考えていたのだけれど。
- 1)「自明」と「自然」の区別はけっこう厄介
ナチの優生学は一種の科学史上至上主義であり、「自然の鉄則」の自明性に依拠していたということは重要な論点だと考えますにゃ。
- 2)「ジンケンは自明」では生命至上主義(vitalism)に対抗できない
特に、脳死や中絶などの生命倫理にからむと、ジンケンは自明だ、ではいろいろと困ったことがでてきますにゃ。特に、宗教を背景にした狂信的生命至上主義者がジンケンの自明性をふりまわすという事態があるのだにゃ。掲示板での中絶論争で、僕は実際にこの手のお方をだいぶ相手にしていますにゃ。
- 3)「ジンケンは自明」では所有権至上主義に対抗できない
私有財産の不可侵というのはジンケン概念としては古典的なものにゃんが、これを自明としたらシャカイ主義もキョーサン主義もダメダメにゃんな。それどころか、徴税もダメになりかねにゃー*1。社会的な問題のみならず、環境問題なども考えると、所有権が神聖不可侵だと困るんだよにゃ。
ジンケンについて論じるときに紛糾するのは、「ジンケンの中身の問題」 と 「ジンケンの適応対象の問題」 がごっちゃになることがありがち。
脳死や中絶の問題を考えると、ジンケン概念の適応対象は自明ではなく、いわゆる新しいジンケンといわれる社会権を考えるとその中身がどこまで自明かはなんともいえにゃーところがある。財産権の制限も必要だし。
「自明」といってしまうと、逆に「反動側」にやられ放題になりかねにゃーかも。
最後に
- 4)僕自身のジンケンを「自明」だとは感じられない
ロジックとしての自明性とかツールとしての自明性はよくわかるんだけどにゃ。
忙しいので今日のところはメモのみ。月末には時間もとれるだろ。