他者がどこにもいない自由(追記あり)

公務の執行を妨害する自由は たいせつだよが我慢ならにゃー。ブクマコメントもつけたけど、こちらでも書いておくにゃ。


他人が「めいわく」と感じようが 感じまいが、他人に危害をくわえることになろうが なるまいが、わたしの行動は、わたしにとって可能な範囲で、制約されることなく自由です。


然り、それはそうだろにゃ。現実にすべてのニンゲンを監視することなんざできにゃーのだから。


いっぽう、ほんとうに こわいのは、反対に「ひとをころす自由」を否認するような かんがえかたです。かれらは いうでしょう。「われわれは ひとをころす自由を みとめられていない」と。しかし、あなたの「ひとをころす自由」を みとめないのは、《だれ》(あるいは《なに》)ですか。「法律」でしょうか。それとも、「ケーサツ」でしょうか。


 かりに、「ひとをころすのは、法律で ゆるされていないから、自由ではない」と かんがえる ひとが いたと しましょう。そのひとは、法律が「ひとを ころせ」と 命じたら、ひとを ころすのでしょうか。


何をおつむの弱い中二のような理屈をこねとるの?
法には権力の抑圧と支配の装置という側面は確かにありますにゃ。基本のキだよにゃ。
しかし、法には弱者がその庇護を求めているという側面も捨てがたくあるはずなのににゃー。公権力の暴力を背景にはしているけれど、相互安全保障という弱者にとっての現実的で不可欠のツールという側面を無視してはならにゃー。
「ヒトを殺す自由」を認めにゃーのは、権力でも警察でもなく、ロールズのいう「正義」の理念だにゃ。
wikipedia:ジョン・ロールズより引用


彼は正義を「相互利益を求める共同の冒険的企て」である社会の「諸制度がまずもって発揮すべき効能」だと定義した。そして社会活動によって生じる利益は分配される必要があるが、その際もっとも妥当で適切な分配の仕方を導く社会的取り決めが社会正義の諸原理になるとした。


ここで彼は社会契約説を範にとってこの正義の原理を導出していく。まず正義の根拠を、自由かつ合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う「無知のヴェール」に覆われた−すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない−状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。


第一原理
各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。


第二原理
社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。

1. それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)
2. 公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。(機会均等原理)


ここにあるのは、人々が自由でかつ合理的であるがゆえに、他者に危害を加える自由を否認するというロジックですにゃ。


自由というものを考えるとき、前提となるのは他者の存在だにゃ。憲法学の主流の解釈では「公共の福祉」とは他者の人権と考えられていますにゃ。
だから


他人が「めいわく」と感じようが 感じまいが、他人に危害をくわえることになろうが なるまいが、わたしの行動は、わたしにとって可能な範囲で、制約されることなく自由です。たとえば、わたしには ジャスコで まんびきする自由があります。吉野屋で くいにげする自由も あります。さらに、ひとをころす自由が あります。


この馬鹿理屈な、強者にとっては成り立っても、弱者にとっては「まんびきされて、くいにげされて、ころされて、それでも泣き寝入りする自由」でしかにゃーぞ。
強者はこういう自由をいくらでも謳歌できますにゃ。この自由論は、徹頭徹尾「強者の論理」でしかにゃーんだよ。それで我慢できにゃー。この理屈のどこにも他者がいる場所がにゃー。
ブクマコメントにアナーキズムだとかあったけど、こんなのアナキズムはにゃーぞ。


あ、いっておくけど、公務の妨害を執行執行を妨害するのは大事だと僕も思うにゃ。
これは自由というより権利の問題。
僕は「憲法に抵抗権を明記したら国家の交戦権を認めてやるぞ改憲派」ですにゃ。

追記 20:10

「公共の福祉」というのは馬鹿政治家が抑圧の道具にしか使ってにゃーように見えるけど、憲法学においてはそれと反対のベクトルで解釈がされているにゃ。いままで先人の考えてきたことを無駄にすべきではにゃー。disる前に調べるべきだにゃ。僕らの考えつく程度のことは、誰かが必ずすでに考えついていますにゃ。太陽の下に新しいものなどにゃーのだ。自由論においては、先人の残した膨大な考察があるにゃ。ちゃんと参照しにゃーと。