八百屋お七と少年法

昨日のエントリの続きを書こうと思ったけど予定変更。なぜなら1683年の今日は「八百屋お七」が火刑に処せられて亡くなった日なのだにゃ。正確には旧暦の3月29日なんだけど、まあいいや。

八百屋お七の話は、ググると結構ヒットするんだけど、まあ大同小異なのでここはウィキから引用しておきますにゃ。wikipedia:八百屋お七


お七は1682年(天和2年)12月の大火(天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(左兵衛とする説も)と恋仲となった。翌1683年(天和3年)、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で、捕らえられて鈴ヶ森刑場で火刑に処された。

その時彼女はまだ16歳(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)になったばかりであったため奉行が哀れみ、お七は 15歳だろうと聞いた(15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない)が、彼女は正直に16歳であると主張し、お宮参りの記録を証拠として提出した程だったという。

注目すべきは「15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない」というくだりですにゃ。
あれれれれ? 未成年は罪一等を減じられて死刑にはならないってのは、少年法改正に反対する悪しき人権屋どもの信奉するジンケン絶対主義なのでなかったの?

例えば
真実を理解できない衆愚をみちびくために!!07/04/28から引用すると


重罪犯に関しても、法改正し、一般刑を適用するべきで、絶対に少年法で守るべきではない。少年であっても死刑を適用せざるをえない場合もあるのだ。綾瀬で起きた、女子高生コンクリート詰め殺人の犯人の少年たちは、実際、更正していない。本来なら、あの事件の場合、一般刑を適用し、死刑にするべきだったのだ。そうでなければ、正義の存在を国家が否定したことになり、社会がモラルハザードを起しかねない。どうして、社民党をはじめとするこの国の人権屋は、加害者の人権ばかりを守り、被害者の人権をないがしろにするのだろうか。悪い奴ほどよく眠り、無辜の民は泣き寝入りをする国なのか、日本は?

うむ、典型的な意見にゃんな。

しかしおかしいにゃー。江戸時代のお白州にジンケンなんて考え方が入り込む余地はにゃーはずなのに、「15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない」ですと?
では、八百屋お七の事件と同時代のエゲレスの事情をちょいと調べてみましょうにゃ。何せ、高貴なるキリスト教文化圏にしてジンケン発祥の地ヨーロッパにあって、現実感覚で知られる紳士の国のこと。さぞかし穏当なる裁きがなされていたのでしょうにゃ。


オレンジ公ウィリアムの即位から十年足らずで犯罪率が急上昇し、「手荒い暴力犯罪」が日常茶飯事になると、1699年には格別にむごい法律が成立する。価格が五シリング以上の物品の盗みは死刑というもの。万引きはたいていが死刑だ。しかも犯人はほとんど女子供。処刑場では女子供の首吊り刑が日常茶飯事になった。
治安判事ジョン・フィールディングは疱瘡で「体半分がかさぶただらけ」の十二歳の男の子のことを記録に止めている。子供は掏摸を教え込まれ、その多くがハンカチ一枚程度の盗みであえなく首吊り刑に処せられた。
コリン・ウィルソン「世界犯罪史」P191

にゃんじゃこりゃああああ!?(松田優作風に)
オレンジ公ウィリアムって、名誉革命で即位したはずだろが! ジョン・ロックが「市民政府二論」を発表したり「寛容に関する書簡」を書いたのはこの10年前の1689年だろが! 人権思想の揺籃期のはずなのに、なんでガキをぶち殺しまくるの? なんでジンケンと無関係な江戸時代の日本のほうがガキを保護してんの?


刑事犯罪の裁判において、ガキの犯罪者の量刑を軽くするという発想が人権思想固有のものではありえにゃーことは明白にゃんね。むしろ野蛮なるキリスト教国が人権思想によって教化され、ようやく17世紀の日本の寛容さに追いついたというべきではにゃーだろうか。*1

お七の事件当時ってのは、人生50年で、20歳で結婚してにゃー娘は行かず後家の時代。もちろん16歳は成人だにゃ。成人というのは、その社会の一人前の構成員として権利と責任を付与された存在のことにゃんな。権利を付与されている者と付与されてにゃー者と、同じように責任を問えるわけがにゃー。ガキでも凶悪犯罪をすればぶち殺すなどという血に飢えた白痴の所業を僕たちのご先祖はしていなかったことを誇ろうではありませんか>みにゃさま


蛇足
日本の伝統ということを言いたければ、江戸時代から目を背けることはできにゃーはず。なのに、馬鹿ウヨの諸君は明治時代にまでしか遡らにゃーんだよな。近代国家だの資本主義だのはキリスト教徒の押し付けなのにね。明治までしか見にゃーのは、伝統の捏造の一形態だと考えるにゃ。だからこのネタは歴史修正主義に分類する。


追記 4月3日
2008-04-03の指摘により、変更すべき個所を変更しましたにゃ。ついでにトラックバックも送ったにゃー。うむ、ハズカチイぞ。

*1:実はこの時期のエゲレスの制度も異常みたい。ジンの普及により爆発的に犯罪率があがり、当局は残酷な刑罰の多用で対処しようとしたみたいにゃんな。まあもちろん、厳罰化で犯罪率が下がることはなかったということらしいけど。